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福田赳夫、あるいは”Cool Head, but Warm Heart”(2)(2016)

3 石油危機とダッカ事件
 1972年、佐藤の希望に反して田中内閣が誕生します。高支持率で出発しましたが、1973年、深刻な事態に直円します。第4次中東戦争をきっかけに第1次オイル・ショックが起きます。田中内閣はドル・ショックへの対策として日銀が金融緩和政策を実施します。列島改造を掲げた田中が首相に就任すると、不動産ブームが起き、物価水準が上昇します。この状況でオイル・ショックに日本は見舞われます。物価と失業率が同時に上がるスタグフレーションが発生します。

 戦後を席巻してきたケインズ経済学はこの現象に対する有効な処方箋を示せません。田中はライバル福田に頭を下げ、事態の収拾を頼みます。福田はそれを受け入れ、大蔵大臣委主任します。かつての政治家は犬猿の仲であっても、大義のあめには協力する度量があります。

 福田は均衡財政論者で、ケインジアンではありません。彼はケインズ主義と異なった経済に対する認識を持っています。福田は総需要の抑制を対策の基本と考えます。石油の需要がインフレを引き起こしているのだから、それを抑制すれば、鎮静化するというわけです。対処療法ではなく、体質改善です。福田は「日本経済は全治3年」と見通しを示します。それを信じて官民一丸となって省エネに取り組まれます。

 省エネの効果は石油危機対策にとどまりません。企業は製造の全過程を見直し、無駄を排除するなどの改善を行い、生産性を向上させています。人員整理も限定的ですから、従業員の会社への忠誠心も高まります。こうした努力により日本企業の体脂肪率は減少し、高い国際競争力を有する筋肉質に改造されていきます。日本経済は1977年ごろに回復します。

 この取り組みによりイラン革命に伴う1979年の第2次オイル・ショックの影響も小さく住んでいます。70年代の省エネが世界的な不況の80年代に日本が一人勝ちする下地になったと言えます。

 福田の石油危機対応は世界的に見ても優れています。日本以外が大きな影響を受けたのは第1次ではなく、第2次の石油危機です。日本と異なり、オイル・ショックに際して米英は価格統制に走ります。インフレと失業率の上昇に対して後者より前者の対策を優先し、対処療法で臨んでいます。これは成功していません。価格を統制しても、需要が抑制されていませんから、供給不足が起きてしまいます。また、後回しにされた失業率は上昇を続けます。日本の省エネ以上の効果を挙げていません。この時の福田はもっと評価されてしかるべきです。

 日銀の黒田東彦総裁は2013年に2年間で物価2%上昇を目標に異次元緩和を実施します。達成が困難とわかると、マイナス金利を導入します。それでも難しいと知ると、持久戦で臨むと発言します。こんな無責任で無能な政策担当者を目の当たりにする今の人々にも福田がいかに優秀か理解できるでしょう。

 1976年12月、福田は念願の総理大臣に就任します。主要派閥が協力して「三木おろし」を進めるにあたり、次期首相には福田、大平が幹事長とするが、2年後、前者は後者に禅譲することという密約が結ばれます。福田はこの合意に基づいて三木武夫首相の後任に選出されています。

 福田はエリート中のエリートとして知られていますから、国民にとって遠い存在という印象があり、低い支持率で内閣は出発します。ただ、派閥抗争が休戦したため、政権運営は比較的安定しています。

 さまざまな成果を上げた福田内閣ですが、国民にとって最も記憶に残る出来事はダッカ事件でしょう。1977年、日本赤軍がパリ行きの日航機をハイジャックし、バングラデシュのダッカで日本政府に身代金600万ドル(約16億円)と服役・勾留中の9名の釈放を要求します。福田は「人名は地球より重い」と公言、超法規的措置として要求を丸呑みします。それはハイジャックに対し暴力的解決を辞さない他国の対応と異なっています。国際世論は驚きましたが、国内は支持します。

 当時、福田の「人名は地球より重い」は情緒的に受けとめられています。今では、身代金の金額が万が一の保障額おりも少なかったからだとわかっています。合理的な考えをする福田がそうした計算をしなかったはずもありません。けれども、決断には国民感情がより大きかったでしょう。国民は人質や家族に自分を重ねています。部隊が「行突入して犠牲が出れば、内閣はもたなかったに違いありません。

 戦後30年亜也経った頃です。国民の間に、お国に見捨てられたり、死に追いやられたりした人たちの記憶があります。その犠牲は軍人だけではありません。大勢の民間人も含まれています。福田は、戦時中、そうした政府の一員です。そんな彼が強行突入で事件の解決を図ったら、国民は決して許さなかったでしょう。

 と同時に、福田にはその選択はあり得なかったに違いありません。彼は冷たいと国民に思われていましたが、実際には人間味に溢れる人物です。人間的、あまりに人間的です。

 福田赳夫は質素な人物です。住居は戦時中にからの官舎です。まるでサザエさんの住宅で、表札の「福田」ではなく、「フグタ」ではないかと見まごうほどです。とても一国の首相の住まいに見得ません。家の前の道は狭く、駐車スペースもありません。首相在任中は、訪問者のために近所で駐車場を借りています。

 官舎に住み続けた首相として他に池田勇人がいます。しかし、池田は別荘を持っていますが、福田にはありません。自民党の歴代総理の中で別宅も別荘もないのは福田くらいです。また、福田は妾もかこっていません。愛人宅もないのですから、彼にとって家はあの日本家屋だけです。最も庶民一回首相だったと言って過言ではありません。

 建築は古来より抽象的な権威や権力を具体的に視覚化する効果を持っています。福田は、近所と同様、自らを一国民と自覚しています。支配の頂点にいながらも、支配される人の気持ちに思いを寄せています。そんな彼に強行突入の選択肢はあり得ません。

 政治家は、官僚と違い、選挙活動をします。それを通じて市井の空気や表情、願望など漠然としたものをくみ取り、政策に反映する役割があります。国民と意識を共有することが税時価の暗黙の前提です。福田は極めて有能な官僚ですから、政策の立案能力を有しています。彼は、それでいて、市井と意識を共有することを忘れません。彼は信奉するイデオロギーの実現よりも、国民と共有する意識に基づく政策の実行を優先させるています。冷静な頭脳と温かい心の持ち主なのです。

 現在、当時の福田邸はありません。取り壊され、付近一帯がマンションになっています。その一室に息子の福田康夫元総理が入っています。

 福田赳夫の系譜を引き継ぐ政治家は、息子を除くと、思い浮かびません。田中の後継者には少なくとも自認する小沢一郎がいます。けれども、福田の系譜を引き継ぐ意思を示す政治家は見当たりません。

 現在に首相の安倍晋三は清話会出身です。しかし、その姿は福田とおよそかけ離れています。包括的基本権や立憲主義、三権分立も知らない反知性主義で、拘束された人質を見殺しにするなど人情味は皆無、休みには別荘でゴルフに興じ、ガリガリ君購入を始めとする恣意的な政治資金の使途、競争的民主主義や言論の自由を抑圧する独裁体質など福田にはなかった傾向に溢れています。何よりも、市井と意識を共有する気がなく、選挙は権力行使の白紙委任状のための儀式とさえ扱っています。政治家としての資格がない態度です。

 小泉純一郎は首相在職中に旧田中派が主導の自民党をぶっ壊すと叫んでいます。彼の主張通り、自民党における旧田中派の影響力は衰えています。それに代わり、旧福田派の自民党支配が強くなっています。けれども、福田が結成した清話会ですが、安倍らが示しているように、彼の精神は消え去っています。まったくの別物です。そんな状況だから福田赳夫を再検討する必要があるのです。
〈了〉
参照文献
御厨貴他、『改訂版日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2013年

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