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造語から見る英語(2003)

造語から見る英語
Saven Satow
May, 07, 2003

"All I know is that I am not a Marxist”.
Karl Marx

 エルメスの製品で身を覆っている女性が「エルメシアン」と巷で呼ばれています。どうやら女性誌の『an an』が命名したようです。過去にも、「シャネラー」や「グッチャー」という造語を普及させています。しかし、この造語は、英語の規則から見ると、デタラメです。

 英語で「…をする人」もしくは「…主義者」を意味する一般的な接尾語として次の三つをあげることができます。”-er(-or)”と”-an(-on)”、”-ist”ですが、それぞれ指し示す領域が順に小さくなっていきます。医者全般は「ドクター(doctor)」で、それより狭い範囲を担当する外科医は「サージャン(surgeon)」、さらに小さい領域の歯を診る歯医者は「デンティスト(dentist)」です。

 また、哲学者は「フィロソファー(philosopher)」、近代哲学のチャンピオンであるカント主義者は「カンティアン(Kantian)」、マルクス主義者は「マルキスト(Marxist)」です。カント主義とマルクス主義の概念としての関係もはっきりしています。柄谷行人のように、「カント主義的マルクス主義者」はいますが、「マルクス主義的カント主義者」とは言いません。つまり、”-er”は非常に広い範囲を指し示す概念に用いられる接尾語です。

 ブランドの一つでしかないシャネルやグッチの語尾に”-er”がつくことはありません。いくらなんでも、ガブリエル・"ココ"・シャネルが「デザイナー(designer)」全般と並ぶことはないでしょう。また、エルメシアンにしても、確かに、シャネラーよりはひどくないかもしれませんが、造語法としてはやはりおかしいのです。

 エルメスは古代ギリシア神話の交通の神「ヘルメス(Hermes)」に由来します。1980年以降の現代思想で、最も重要視された神の一人です。交通は、英語で、「トラフィック(traffic)」と言いますけれども、これには「交易」という意味もあり、さらにそこから「違法取引」も指します。アメリカとメキシコの間の麻薬取引とその取締を描いた映画『トラフィック(Traffic)』(2000)のタイトルはそういう意味です。ヘルメスは、実際、泥棒の神でもあります。

 数は少ないのですが、ギリシア語に由来する単語で、「…主義者」を示す接尾語として、”-c”があります。プラトン主義者は「プラトニック(Platonic)」、禁欲主義者とも訳されるストア主義者は「ストイック(Stoic)」です。ヘルメスの場合も、同様に、「ヘルメティック(Hermetic)」です。もっとも、こうなると、エルメスとは関係なく、「ヘルメス主義者」の意味になってしまいます。

 熱烈なファンを指す時、英語では、「マニア(mania)」を使います。シャネルを集めている人は「シャネル・マニア(Chanel Mania)」、グッチの場合、「グッチ・マニア(Gucci Mania)」、エルメスでは「エルメス・マニア(Hermes Mania)」です。

 さらに、マニアは「追っかけ」の意味でも使われます。2002年のワールド・カップの時、イングランド代表のデヴィッド・ベッカムの追っかけが話題になり、メディアで、彼女たちは「ベッカマー」と呼ばれています。しかし、あれは「ベッカマニア(Beckhamania)」とすべきです。

 また、安室奈美恵のファッションを真似た少女が90年代に日本のメディアから「アムラー」と名づけられています。かつてアメリカにおいて、マドンナのヘアー・スタイルやメークアップまがいの少女が出現した時、彼女たちは「マドンナ・ワナビーズ(Madonna Wannabes)」と呼ばれています。”Wannabe”は”want to be”から派生した単語で、「かぶれ」という意味です。それを踏まえると、あの現象に関しても、「アムロ・ワナビーズ(Amuro Wannabes)」であって、「アムラー」ではありません。

 英語の造語法も、もちろん、時代によって左右されます。科学者を英語で「サイエンティスト(scientist)」と言います。この言葉が生まれたのは1842年ですが、これを最初に聞いた時、イギリスの知識人トマス・ハクスリー(Thomas Huxley)は「こんな酷い言葉を造ったのは、ろくに英語を知らないアメリカ人に違いないと」と酷評しています。

 “Science”はラテン語の”scienta”に由来する単語で、「知識」を意味します。そんな広い範囲をカバーする”science”に対して、”-ist”はないだろうというわけです。ハクスリーは、後に、講演で司会者により「科学者」と紹介された際、憮然とした表情を見せ、「私は科学者と呼ばれることを拒否します」と壇上から毒づいたというエピソードが伝わっています。

“Scientist”を造ったのはアメリカ人ではなく、実は、イギリス人のウィリアム・ヒューエル(William Whewell)です。ケンブリッジ大学のトリニティー・カレッジには、アイザック・ニュートンやフランシス・ベーコン、アイザック・バーローと並んで、彼の彫像が飾られています。英語の造語法の規則を承知していながら、意図的に、この単語を造っています。

 近代に入って、科学は専門家・細分化していきます。狭い近代科学に携わる研究者は、結局定着した通り、やはり「サイエンティスト(scientist)」がふさわしいのです。けれども、その結果、科学者の中の一専門領域を扱う「物理学者(physician)」が造語の慣習上では逆転してしまっています。

 好意的に見れば、細分化していく時代の流れにあって、ブランドの一つでしかないシャネルを集めることが人生のすべてとでも言いたげな彼女たちを揶揄して、メディアがそう呼んだのかもしれません。けれども、それにぴったりの単語がちゃんとあります。「フェティシスト(fetishist)」です。接尾語もしっかり”-ist”です。日本語でも「フェチ」と言いますから、「シャネル・フェチ」とでもすればよいのです。

英語は用法の言語です。イメージで、造語を考案することはできません。イメージだからと不適切な英語の造語を公表し、使い続けるのは、異文化をないがしろにする傲慢な姿勢でしょう。規則を知った上で、英語の新語を造ってみるのも、いろいろな発見もあり、結構、楽しいものです。自分の自明性を覆す楽しさを味わうには、異文化はもってこいです。

英語のネイティヴ・スピーカーは日本に大勢います。しかも、ピーター・バラカンやデーブ・スペクターのように、同時に日本語も流暢な人だっています。造語が正しいかどうか、彼らに聞けばよいのです。幸いにも、日本語でも、英語でも、こんな諺があるのです。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥( Nothing is lost for asking)」。
〈了〉
参照文献
村上陽一郎、『新しい科学史の見方』、日本放送出版協会、1997年

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