日和見主義者の効用(2019)
日和見主義者の効用
Saven Satow
Jan. 16, 2019
「理想の環境を求めず、現在の環境もいくらか居心地が悪く、そこをやりくりしていく生活。そうした感性で環境のことを考えている」。
森毅『理想なしの環境派です』
英国下院は、2019年1月15日、テリーザ・メイ内閣が提出したEUからの離脱合意案の採決を行っています。結果は賛成203に対して反対432で否決、予想以上の大差です。メイ首相の目指す穏健な離脱案に対し、与野党双方の急進派や国民投票再実施派が反発しています。これは現在の英国がいかに分断されているかを物語っています。
英国の歴史において今以上に国内が分裂していたのは、おそらく、17世紀でしょう。宗教問題をきっかけに1639年と40年に二度の主教戦争が勃発、42年に盛況と革命が始り内戦に突入、49年、革命政府は国王チャールズ1世を処刑、共和政を宣言します。しかし、60年に王政復古したかと思えば、88年には名誉革命が起こり、89年に新政府はジェームズ2世を追放してオランダ総督ウィリアム3世を即位させています。このように17世紀の英国の国内は分裂・対立・混乱しています。
この激動の時代に「日和見主義者」を自称して行動した政治家がいます。それがジョージ・サヴィル・ハリファックス(George Saville Halifax)です。彼は1633年に生まれ、95年に亡くなっています。まさにイギリス革命期に生きた政治家です。
ハリファックスが政治の表舞台で活躍するのは1660年の王政復古からです。彼は政復古に尽力、68年に子爵に叙され、72年に枢密顧問官に任命されています。
王政が復活したものの、1678年から81年にかけて王位継承問題が沸騰します。実子のいないチャールズ2世の有力後継者である彼の弟ヨーク公ジェームズがカトリックだからです。
即位に対して支持・不支持の両派が激しく対立します。賛成派は「トーリー(Tory)」と呼ばれ、現在の保守党の前身です。トーリーはアイルランドの山賊のことで、カトリックの国王を容認することからそう呼ばれています。一方、反対派が「ホイッグ(Whig)」で、その後に自由党へと発展、さらに自由民主党へと至ります。ホイッグの語源はスコットランドの叛徒「ホイッガモア(Whiggamore)」です。いずれの党派も相手からの蔑称が党名に転じています。英国の二大政党制は、モンタギューとキャピュレットよろしく、対抗勢力の措定をアイデンティティの拠り所にして競争していくのです。
ハリファックス枢密院議員はトーリーに近い立場をとります。ジェームズへの王位排除法案に反対、国璽尚書になります。しかし、76年に審査法改正に反対したため、チャールズ2世の怒りを買い、枢密院から追放されています。審査法は官公庁に勤務する公務員には国教徒ガ望ましいとする法律で、73年に発行しています。78年にジェームズを国王にするために、大幅に緩和されています。
ハリファックスは79年に枢密院に復帰、伯爵に叙されています。排除法案の秘訣を議会に訴え、それが功を奏しています。さらに、その功績により、チャールズ2世から国璽尚書の地位を与えられます。
1685年、ジェームズ2世が即位します。ハリファックスは枢密院議長に選ばれましたが国王の審査法廃止要求に反対したため、職を追われます。その後、彼は独裁を強めていくジェームズ2世の統治に反対していきます。
彼は、その一方で、新国王としてオランダ総督のウィレム3世を擁立する動きにも反対、合法的な解決を模索しています。しかし、名誉革命が達成されると、ハリファックスはそれを支持します。彼は、革命後、ウィリアム3世の下で国璽尚書として補佐に当たっています。
このように、ハリファックスはトーリー・ホイッグいずれの党派にも属せず、その都度是々非々で態度を表明しています。ただし、何度か職を追われている通り、時の権力におもねるわけでもありません。確固たる理念に基づいていないと同時に、保身のために行動してもいないのです。
一貫した党派的立場をとらなかったために、ハリファックスはさまざまな政治プレーヤーから非難されています。それに対し、彼は『日和見主義者とは何か(The Character of a Trimmer)』(1688)を著し、自らの政治行動について述べています。
ハリファックスは激しい党派対立が暴力と熱狂につながり、無秩序を招くと憂慮、中道こそ賢明な態度だと説きます。その彼は自身を「トリマー(Trimmer)」と呼びます。船の上下方向の傾きを「トリム(Trim)」と言います。「トリマー」はそれを制御して船の転覆防止するものです。政治のバランスをとって、国が転覆しないようにするのが自分の役割、すなわち日和見主義者の効用だというわけです。
日和見主義は極論を批判し、中道を指向します。穏健な中道ですから、独裁にも党派対立にも与しません。保身が目的なら、極論をとっていようと、時の権力におもねればいいでしょう。しかし、日和見主義者は政治のバランスを重視します。ですから、急進的・独善的な権力には、職を賭してでも、抵抗するのです。
ハリファックスは穏健な中道政治家として振る舞いますが、政界は政党政治の時代へと向かいます。彼は国王の独裁を批判しつつも、感情的な民衆が扇動されて多数派の暴政につながると政党政治も危惧しています。抑制と調和を重んじる貴族政がその統治の理想です。しかし、党派対立が激化する中で、彼は孤立し、1690年に政界を引退します。以後の英国はホイッグ優位の政治が展開されていきます。
ハリファックスは政党政治の発展を見据えることができませんでしたが、彼の飛世詠美主義者の発想は今日においても示唆的です。日和見主義者とは穏健な中道のことです。けれども、それは現前の政治言説・行動の中間を意味しません。急進的・独善的な極論を批判、政治のバランスを保とうとする姿勢です。時の権力がグロテスクであれば、それに妥協することではなく、国が転覆してしまうと抵抗して穏健な方向に戻さねばなりません。理想の政治を求めませんが、現状に甘んじるわけでもなく、やりくりして漸進的に状況を改善していくことです。
住み慣れた家を取り壊して新築に移っても居心地が悪いものです。むしろ、住みながら、その都度、改善していく方が違和感は少ないでしょう。やりくりの政治こそ中道、すなわち日和見主義者の効用です。
グローバル化や少子高齢化、環境問題、低成長、財政難など困難な状況により政策選択の幅が狭くなっています。こうした現実下、急進的・独善的な極論を唱える政治家・勢力が登場すると、現状に苛立つ世論がしばしば虜になってしまいます。しかし、極論は、往々にして、悲観的な現状認識に対する根拠の曖昧な楽観的な解決法の提示ですから、統治は嘘とごまかしに終始します。結局、やりくりの政治を地道にやるほかないのです。
日本の戦後政治の文脈で言うと、ハリファックスの説く「日和見主義者」は田中派=経世会でしょう。「風見鶏」と呼ばれた中曽根康弘や中道を標榜してきた公明党も、保身の動機が透けて見えますので、それと見なすことはできません。
山崎拓元自民党副総裁は、『山崎拓元自民党副総裁が語る 安倍一色に染まった自民党』において、三角大福中について次のように述べています。
かつては福田派(福田赳夫氏)と中曽根派(中曽根康弘氏)は右寄り、大平派(大平正芳氏)と三木派(三木武夫氏)はリベラル色が強かった。田中派(田中角栄氏)はどちらかというとノンポリ。いずれにしても、5大派閥が互いに競い合っていましたね。
山崎元副総裁は田中派を「日和見主義者」に位置付けています。木曜クラブとその後継の経世会は70~90年代にかけて日本の政治において最も影響力を持った党派です。一時期は野党第一党の社会党より議員数が多かったほどです。中曽根内閣では、首相が暴走しないようにと田中派が抑制していたことはよく知られています。また、竹下登元首相が諸問題を複合的に調整して解決を図ったことも有名です。
しかし、21世紀に入ってから、清和会の政治家が首相に就任する時期が長くなり、極論の統治が横行します。特に、安倍晋三政権下では国のバランスが失われ、転覆寸前です。今、改めて田中派、すなわち日和見主義者の効用を再認識し、それを踏まえた政治の復活が急務なのです。
〈了〉
参照文献
ジョージ•ハリファックス、『日和見主義者とは何か』、山崎時彦他訳、未来社、1986年
「山崎拓元自民党副総裁が語る 安倍一色に染まった自民党」、『AERA』、2017年5月2日07時00分更新
https://dot.asahi.com/aera/2017042800070.html?page=1