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エドウィン・S・ポーターの『大列車強盗』、あるいはファティックとしての映画(4)(2007)

7 ファティックとは何か
 『大列車強盗』は「ファティック(Phatic)」だと言うことができよう。観客は「ファティック・コミュニケーション(Phatic Communication)」によって覚えたカタルシスがグルーミングと感じられる。

 「交語」とも訳されるファティックは、特にメッセージ性がないけれども、発することにより送信者と受信者の間につながりをつくり、強める言語の機能である。自己を表現するためでも、情報を伝達するためのものでもない。「あいさつは、その代表的なものであって、人間同士の結びつきを作り、社会を作り出す。会っておきながらあいさつをしないと、その人との関係が切れていく。あいさつをするからといって、それだけで関係が深まるわけではない。『おはよう』などのあいさつは、一度できた社会的な関係を維持するという働きをする」(金田一秀穂『新しい日本語の予習法』)。

 他にも、友人や恋人、家族とのおしゃべりもファティックに含まれる。それらは伝えるべきメッセージ性に乏しく、生産的・建設的な内容でもない。それは発すること自体に意味がある。ファティックは関係性をつくり、強め、グルーミングの機能を持っている。

 実際、ポーターはファティックの持つ役割を意識している。彼は『鉄道のロマンス(A Romance of Rail)』(1903)という映画も製作している。これは、駅で出会った男女が二人で旅に出発し、列車の中で結婚式を挙げるという物語である。ポーターはファティックから関係が始まり、それが深まっていく過程を映像化している。

 映画観賞後、流行のレストランで恋人同士が次のよう会話をしているとしたら、それはファティックである。

「さっきの映画、面白かったね」
「そうだね」
「最後のシーン、びっくりしちゃった」
「ほんと、意外だったよね」

 この会話には、これと言った内容がない。お互いの関係を確かめるために交わされているのであって、行為自体に意義がある。この会話に潜在している意味を顕在化させれば、次のようになるだろう。

「あなたが好きよ」
「ぼくもさ」
「あなたが好きよ」
「ぼくもさ」

 しかし、こういった他愛のない会話を「あああ、聞いてらんねえや」と軽視すべきではない。なごやか笑い声がし、食器の音が微かに響き、ウェーターが丁寧に応対している雰囲気のレストランで、カップルが無言でいたり、深刻に言い合っていたりしている方が本人たちだけでなく、周囲も気まずい。こうしたファティック・コミュニケーションにはグルーミング効果がある。ファティックこそが言葉の起源という学説もあるほどだ。「ことばはコミュニケーションの道具である、とよく言う。しかし、ことばは情報伝達の道具というだけではすまされない。ことばの起源を見た人はどこにもいないのだから、あくまでも仮説にすぎないけれど、ことばがお互いに仲良くする目的のために生まれたのだという考え方は、ちょっと魅力的だと思う」(『新しい日本語の予習法』)。

 『大列車強盗』の最後のシーンからは「心配すんなよ。映画じゃねえか。でも、面白かったろう?」というポーター監督の声が聞こえてきそうだ。これは、明らかに、ファティックである。ファティック・コミュニケーションが成り立つ関係になったということは、映画が社会的に認知されたのを意味する。このシーンを契機に映画は社会に浸透していく。ハ「ッハッハッハッハ、面白かったぜ」(黒澤明『用心棒』)。

8 ファティック映画の系譜
 観客層を拡大、世界規模の産業と成長し、高い芸術性を獲得しながらも、以降、社会や映画界にグルーミングを必要とするとき、ファティック映画が登場している。それはしばしばピカレスクの特徴を持つ。ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)の『勝手にしやがれ(À bout de souffle)』(1960)がそのことを端的に物語る。

 1960年代後半、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカは分裂の危機に陥る。そんな頃、アンチヒーローを主人公として、最後に、シニカルさを排しつつ、悲惨な末路で終わる『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)』や『ワイルド・バンチ(The Wild Bunch)』(1969)、『明日に向かって撃て!(Butch Cassidy and The Sundance Kid)』(1969)などの映画が流行する。これはファティック・フィルムであり、人々は映画にグルーミングを求めている。

 また、1994年度のアカデミー賞では、インディーズ系のクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション(Pulp Fiction)』が七部門にノミネートされる。これは登場人物が薬の売人やら殺し屋やら賭けボクサーやら悪人だらけで、社会風刺も含めて特に伝わってくるメッセージがないファティック・フィルムである。それは大手映画会社の映画が行き詰まりを見せる中、その状況を打開すべく、映画界が原点を振り返ろうとした動きである。

 数あるファティック映画の中にあって、黒澤明監督の『用心棒』(1961)はファティックが映画の原点であることを最も理解し、それを体現している傑作である。棒きれを放り投げていく先を決めて宿場町にやってきた桑畑三十郎は抗争を続ける二組のやくざ連中をまとめてぶっ潰すが、義憤に駆られてと言うよりも、面白そうだからそうしたにすぎない。大暴れした後、桑畑三十郎は刀を抜き、切る真似をして、居酒屋の権爺たちに次のように言って去っていく。

「あばよ」。

 ファティック・フィルムがファティックによって閉じる。これこそ映画のアイデンティティを知り尽くした映画である。

 映画は近代の産物である。それは光学や力学、化学、電磁気学によって生み出されている。農村や異国から集まってきた新しい住民により都市は構成され、変貌を遂げ、新たなストレスに満ちている。映画はそんな社会におけるグルーミング効果のファティックとして最もふさわしい。『大列車強盗』はその原点にほかならない。

9 その後のポーター
 このヒットの後、ポーターは業界で一目置かれるようになる。もっとも、映画はまだまだ舞台に比べて低級と思われ、大部分の作品は、ニッケルオデオンで数日上映されたらおしまいという具合に、使い捨てされているのが現状である。それを変えることにポーターは間接的にかかわる。彼は、1907年、訪れてきた脚本家志望の青年を『鷲の巣より救われて(Rescued from an Eagle's Nest)』に出演させている。この若者が後に『国民の創生(The Birth of Nation)』の監督で知られるD・W・グリフィス(David Llewelyn Wark Griffith)であり、これが映画界との最初のつながりである。この「映画の父(Father of Film)」を映画界にデビューさせたというのも彼の功績の一つである。

 ポーターは、1909年にエジソン社を去り、15年まで草創期の映画界で監督業など現場にかかわり続ける。えげつなさで知られる業界人アドルフ・ズーカー(AAdolph Zukor)とも手を組んでいた時期がある。17年、ビジネス界へ転進し、AV精密機器の会社の社長に就任するなどしている。

 エドウィンS・・ポーターは、1941年4月30日、ニューヨークのホテル・タフトで71年間の生涯の幕を閉じる。翌日のニューヨーク・タイムズ紙に、次のような彼の死亡記事が掲載されている。

 "Edwin S. Porter. Pioneer in Films. Collaborator With Edison on Invention of Motion-Picture Camera Dies in Hotel. Once Partner of Zukor. Ex-Head of Simplex Projector Company Was Producer of 'Great Train Robbery'".
〈了〉
参照文献
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いかりや長介、『だめだこりゃ―いかりや長介自伝』、新潮社、2001年
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岩本憲児、『光と影の世紀 映画史の風景』、森話社、2006年
岡田晋、『映画の誕生物語 パリ・1900年』、美術出版社、1980年
小川徹、『私説アメリカ映画史』、三一書房、1973年 
小栗康平、『映画を見る眼』、日本放送出版協会、2005年
紀平英作、『改訂版アメリカの歴史』、放送大学教育振興会、2000年
金田一秀穂、『ふしぎ日本語セミナー』、生活人新書、2006年
同、『新しい日本語の予習法』、角川oneテーマ21、2003年
同、『日本語のカタチとココロ』、日本放送出版協会、2007年
黒澤明、『蝦蟇の油―自伝のようなもの』、岩波現代文庫、2001年
佐藤忠男、『世界映画史』上、第三文明社、1995年 
蓮実重彦、『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』、筑摩書房、1993年 
同、『傷だらけの映画史 ウーファからハリウッド』、中公文庫、2001年 
濱口幸一、『〈逆引き〉世界映画史!』、フィルムアート社、1999年 
双葉十三郎、『アメリカ映画史』、白水社、1955年
村山匡一郎、『映画史を学ぶクリティカル・ワーズ 』、フィルムアート社、2003年
淀川長治、『淀川長治の映画塾』、講談社文庫、1995年
四方田犬彦、『映画史への招待』、岩波書店、1998年 
筈見恒夫、『写真映画百年史』1・2巻、鱒書房、1953~54年

テーオドール・W・アドルノ、『ミニマ・モラリア』、 三光長治訳、法政大学出版局、1979年
アンリ・エレンベルガー、『無意識の発見』上下、木村敏訳、弘文堂、1980年
G・サドゥール、『世界映画史1 第二版』、丸尾定訳、みすず書房、1980年
G・サドゥール、『世界映画史2』、丸尾定訳、みすず書房、1994年 
ジョルジュ・サドゥール、『世界映画全史3』、丸尾定他訳、国書刊行会、1994年
スティーヴ・ブランドフォード他、『フィルム・スタディーズ事典―映画・映像用語のすべて』、杉野健太郎訳、フィルムアート社、2004年
マドレーヌ・マルテット=メリエス、『魔術師メリエス』、古賀太訳、フィルムアート社、1994年
ラプランシュ=ポンタリス、『精神分析用語辞典』、新井清他訳、みすず書房、1977年
『The New Encyclopedia Britannica』3、日本ブリタニカ、1983年

Charles Musser,, Before the Nickelodeon: Edwin S. Porter and the Edison Manufacturing Company , University of California Press,1991
John Wakeman, World film directors volume 1, The H.W.Wilson, 1987 

DVD『NHKスペシャル 映像の世紀 SPECIAL BOX』、NHKエンタープライズ、2005年
DVD『用心棒』、東宝ビデオ、2002年
DVD『パルプ・フィクション』、芝デジタルフロンティア、2003年 
DVD『エンカルタ総合大百科2006』、マイクロソフト社、2006年

American Memory from the Library of Congress
http://memory.loc.gov/ammem/index.html
Encyclopedia Britannica Online
http://www.britannica.com/
Institute Lumiere
http://www.institut-lumiere.org/
The New York Times
http://www.nytimes.com/


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