コングラッチレーション

生命の樹を上るにあたって

まっすぐ下から上に行くのは「概して失敗する」(ジョン・マイケル・グリア著「生命の木」356頁)にありました

それは

例えばなんとなく

恋愛シュミレーションで(マンガの『神のみぞ知るセカイ』じゃないですが、個人的に、恋愛シュミレーションゲームのシステムに人生の縮図を学ぶ事があります)

いきなり主人公の男性を攻略することは絶対にゲームのシステム上できず、ちょっと極性の強い脇キャラ(というのも失礼ですが🙇)みなさん全てを攻略してからでないと

主人公とのハッピーエンド、トゥルーエンドに至るための
「ルートが開かれない」(←このルートが開かれる、というのがまさに生命の木における「パスが開かれる」と同義(ではないと思いますが笑😅)と感じました)

みたいなものかなあ、みたいな、、

そうすると

たとえばある恋愛シュミレーションゲームを
そのゲーム上
「完全にクリア」
するためには
全てのスチルを見るためには

自分的には
興味のないキャラも攻略しなければならない

バッドエンドも見なければならない

面倒なパラメーター上げやミニゲームも
こなさなければならない

的な、、

ゲームなら楽しいですし
別に完全にクリアしたくないならしなく他のゲームに行ったって良い

私の友人は始めたゲームは完全攻略したいタイプなので
すごい面倒な作業も緻密に丁寧にこなしていきますが

別に好きでやってる事なので楽しそうです
(あの緻密な攻略メモを見ていると
アインシュタインの有名な名言
「結果というものにたどりつけるのは偏執狂だけである」
がものすごくちらつきます😌良い意味で😌)

しかし

これが生身の人生で

肉体的な制約もあって

となると

人生100年が長いのか短いのかもわからないし

というか短いのだと思うし、まず、「一生」では足りないというのが
至極納得いくし

そもそも恋愛ゲームじゃないから
何が「クリア」なのかもわからないし

そうなると

ちょっと壮大すぎて

一瞬

「げんなり」

なりかねない気づきでした笑

完全攻略すると
「コングラッチレーション!」という
男子キャラ全部に祝ってもらえるスチルが見られますが

人生はなにがコングラッチレーションかも
けっこう人によって微妙だと思いますので

やっぱり、
「人生の道のりは旅と同じ、ゴールを急ぐより過程を大事に」

というある種のもはやありきたりなメタファーは

精神論とかより、単純に本当に
「そうするしかない」

事なんだなあと思いました

かといって

一足飛びにいけるならそれはそれで良いと思うし

ゲームだって映画やマンガだって
1度結末を見てからの2度目3度目ほうが
ある種安心して、余裕をもって

それこそ「過程を楽しめる」し、細かいディテールにも気づける

と思うし

私の友人の様に自分の望むゴール(完全攻略)のために必要だと思うからこそ
面倒なパスにも、「なぜ自分がこんな目に」とならず
ゲームだからと、「能動的に」「自主的に」挑めるわけだし

それに

地球人類は「生命の木ゲーム」をしているのかもだけど他の星の人(いるとして)は違うかも知れないし

等々

結末はありませんが今のところの備忘録です











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