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移住までの経緯

東京の高円寺から富山県朝日町に越してきて二ヶ月。

ツイッターでは移住に関するご質問やご相談をたくさんいただいていておりまして、中でも「移住までの経緯を教えてほしい」というDMが山盛りきていました。

「自然豊かな地で猫とこころ穏やかに暮らしたかったんですよね〜」とぼんやり返答してきたのですが、そういった考えが浮かんでから今の生活を実現するまでのここ一年間は山あり谷ありの日々でして。

今まで隠してたこともなんかもう時効かなと思うので、ぜーーんぶ包み隠さずお話しします。


昨年の春、コロナ禍の影響もあってリモートワークができる職場の友人たちは田舎へ移住をしたり二拠点生活を始めていて、そんな彼らの暮らしの様子を指を咥えながらSNSで眺めていた。
そんなとき、長野県松本市のとある会社の求人をツイッターで見かけて「これだ!」と思い、以前から興味のあった業種だったので即熱意を込めた志望メールを送った。話はトントンと進んでいきメールを送った5日後には松本市へ向かうことに。

求人には正社員での募集と書かれていたものの、松本に向かう直前に雇い主さんから電話にて「雇用形態にこだわりがなければアルバイトでの採用でも良い?手取り15万くらいで他のスタッフはバイトをするなどして兼業している。」と聞かされ、え、うん、まぁそういうことならそれでもいいか、、と流されてしまった。モヤッとした気持ちを抱えながら特急あずさ号に乗り込んだことをよく覚えている。

こういった書き方をすると、向こうが悪いように映ってしまうかもしれないが、どう考えてもオンラインでの面談時にわたしが確認を怠ったのが悪い。


現地に着いて数日働いてみると、一緒に働く仲間たちは東京から移住してきた同年代の優秀なTHEクリエイティブ集団といった感じで、イラストレーターやライターなど、みんな何かしらのスキルを持っていることがわかった。

私には何もない。

とにかく情けなくて悲しくて。毎日のように川辺に行っては透き通った川を眺めながら缶チューハイを飲んで無理やり不安感を薄めた。
そんな不安な気持ちのまま働いていたところ、雇い主さんから「電話で手取り15万と伝えたけど保険とか引くと12万くらいになる。大丈夫そう?」と言われた。

あぁ。無理だな。松本の環境も人も素敵だけれど、きっとわたしには合わない。やっていけない。

すっかり自信を失ってしまい、結局一ヶ月も経たないうちに東京へ戻った。


猫との暮らしを維持すためには働かなければならない。
自信を失って完全に思考力が落ちたまま闇雲に就職活動をして、なんとか採用されたWebコンサルを行っている小さな会社に就職をした。

しかし働き始めてひと月ほど経ったころ、この会社は詐欺まがいのビジネスが主軸となっていて、そういった内容は会社のホームページに一切記載されてないことに気がついた。
会社の人たちは悪い人じゃないし、給与もしっかりもらえている。でも詐欺に加担することはどうしても自分のポリシーに反すると感じたので、ここの会社も三ヶ月も経たないうちに退職。

そんなとき当時お付き合いをしていた人からは「なっちゃんのことは好きだけど結婚する気はない」などと言われたりして、こころがズタズタになっていた。就活するエネルギーも残っていなかったわたしはどうにかして生き延びる方法を調べていると、職業訓練校に通うとお金がもらえるという情報を目にした。

藁にもすがる思いでハローワークへ行き、webデザインの職業訓練校に応募した。そしてあっさりと入学が決まった。

WEBデザインの授業は面白かったけれど「きっとこの半年の授業で就職できるだけのスキルは身につかないだろうな」ということにも、通い始めてすぐに薄々と気づいてしまった。

もうすぐ27歳になるというのに、わたしはいつまでフラフラとその日暮らしを続けていくんだろう。

もやもやとした気持ちのまま訓練校へ通学をしているとき「わたしはやっぱり自然豊かな地で暮らしたい。欲を言えば海があるところがいい。」そう思って訓練校のパソコンでネットサーフィンをしている時に辿り着いたのが、富山県移住定住サイト「くらしたい国、富山」だった。

海に、山に、わたしの求めていたものがすべてある。一目惚れのような衝撃。授業中に蟹のバナーの模写しながら、もう頭の中は富山のことでいっぱいになっていた。


そんなとき、大好きなじいちゃんが他界した。つい一週間前いっしょに将棋を指したばかりなのに。あまりに突然のことで信じられなくて涙も出なかった。

親族だけで行われた小さな葬儀。棺の中には数年前わたしがカナダから送ったヘラジカのぬいぐるみが入っていた。
「じいちゃんはなっちゃんのことを応援していたからね。いつもこのぬいぐるみを抱えて寝ていたんだよ。」とばあちゃんから聞いた。

胸が詰まった。気づかないところでわたしのことをこんなに思ってくれている人がいたなんて。

そこから何かに突き動かされているように、活動的になった。
まずなあなあな付き合いのままになっていた恋人に自ら別れを告げた。遠距離だった彼とは電話一本であっさりと別れることになった。
そして富山移住に関しても、オンライン説明を受けたり現地ツアーに申し込んだり積極的に動き始めた。

そんなとき、ひょんなことから一人の男性と毎日LINEや電話でのやり取りをするようになった。
彼は車中生活をしており、全国を旅するように仕事をしていて現場の様子を連日写真で送ってくれていた。毎日の楽しみになっていた。


気がつくと年が明けていた。申し込んでいた富山県魚津市と立山町の移住体験ツアーはコロナの影響で中止になったとメールがきていた。

ある日、車中泊生活をしている彼が「今週東京に行くのでいっしょに散歩しましょう」とLINEで誘ってくれた。嬉しさのあまりベットで跳ねた。
彼が「車で行きたい遠い場所、実はあったりしませんか?」と尋ねてきたので「ずっとどこか遠くへ行きたいと思っています」と返信した。

すると「じゃあ富山行きますか〜」とちょっと飲みに行こうかくらいのノリで提案してきた。ドキドキした。

そして初の富山旅行を決行した。
新潟県の親不知を経由して富山市、南砺市に行った。

ちょっと思い出しただけで未だに胸がきゅっとなるのでここは割愛。


その翌月に彼が家にきた。うちの猫とも遊んだ。そして突然連絡が途絶えた。何か気持ちを害することをしてしまったのならごめんなさいと電話した。

「僕はなつめさんに対して恋愛感情を持てなかった」と言われた。なぜかと問うてみると「対話ができなかった」と言われた。これがあまりにもきつかった。きつい。

一週間前「いま僕にとってなつめさんは会いたい人です!」と笑声で言っていたのはなんだった?まぼろし?

人の気持ちを変えることはできない。わかっている。しかしきつい。
また気力を失った。職業訓練校をやめた。そして有楽町の移住相談窓口に引き寄せられるように向かった。予約が必要と言われて引き返す。

しんどい。その晩に出雲大社に向かう寝台列車の予約を日比谷公園のベンチでとった。寝台列車に乗る。遠くに向かうに連れて気持ちが少しずつ軽くなっていく。

出雲に着く。綺麗とは言いがたい海で酒を浴びる。つらい。しかしひと気のない海は気持ちがいい。出雲大社に酒気帯びたまま参拝にいく。参拝を終えるとツイッターのフォロワーが一万を超えていた。どうでもよかった。きつい。

帰ってきてから、改めて有楽町の移住相談窓口に出向く。
現在無職。とにかく富山に移住したい。仕事はこだわりはないが農業をやってみたいと窓口の人に伝える。

富山県の農業法人をいくつか紹介される。紹介された中で気になったところにインスタからDMを送りオンライン面談をしてみた。研修生は受け入れているが無給と言われる。困る。オンライン面談後「なつめさんのような素敵な方は富山を変える力がある!今度いいセミナーがあるからよかったら参加してほしい」とメールが届く。リンクを開くと一回15万のなんか胡散臭いセミナーだった。フォローを解除した。途方に暮れて泣いた。

そんなこんなでもう一度相談窓口に出向く。農業でやりたい作物が決まっていないなら朝日町というところが、地域おこし協力隊の農業研修に力を入れているから行ってみるといいと言われる。

行ってみた。

朝日町の移住相談窓口こすぎ家に着く。朝日町の説明を受けた後、根掘り葉掘りわたしのことを聞かれた。全部答えた。将来的にはゲストハウスをやりたいという、ずっとこころに閉まっていた思いも全部話した。
いっしょに働かないかと言われた。面白そうだと思ったので了承した。
農業の説明も受けたが、気持ちはもうそちらに向いていなかった。薄情なやつだ。

町を車で案内してもらった。あまりにも美しい景観に惚れ惚れして「こんなところに住めたらいいな」とぼやいた。相談員の人が「あそこの家もうすぐ空くから多分住めるよ」と教えてくれた。そこが今のわたしの家になった。

翌日役場に行った。スーツを着た大人たちに囲まれどぎまぎする。色々話す。ここで話した人がいまの上司になる。

帰りの新幹線で風味爽快二シテを2本飲んだ。疲れた。
でも新しい生活の予感にわくわくしていた。

それから役場の人とメールでのやり取りが続く。ある日電話がかかってくる。

それからすったもんだがあって、役場で活動する地域おこし協力隊の面接を受けることになった。

朝日町の有名な春の四重奏をみるために朝日町へ二度目の訪問。ここに住めたら最高だと心が踊る。

書類は通った。

翌月五月。二次面接を受ける。圧迫面接だと聞いていたが、そんなことはなかった。しかし疲れた。帰りの新幹線では、風味爽快二シテの500缶を二つ空けた。

友達とUSJに行っていた日。フライングダイナソーの列に並んでいるとき面接合否の電話がかかってきた。採用だった。安堵して涙がでた。

そして三週間後には引越しをした。



以上。そんな経緯です。

こんなおおっ広げに公開してもいいものなのか。

よくわからないけれど、わたしは移住前に人の移住インタビューとか体験記を読むのが好きだったので、これも誰かの移住決断を一押しする力になったら嬉しいなと思います。

拙い長文を最後までお読みいただきありがとうございました。


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