悩んでる人に答えを差し出せずに、慰めるしかないときもある

中学生の時はお勉強が割とできた私でした。

だけど、頭いいレッテルを貼られるのがいやなのに勉強を頑張りたい自分もいて
どうすればいいかわからない、という状況が辛かったです。とってもシンプル。

今はこうやって昔の悩みを言語化できてますが、当時はもう訳が分からなくて毎晩いろんなことに悩んでいました。何がいやなのかもわからず、ただ悶々としていた。何に悩んでたかは忘れたけど、ねっころびながら、いくら悩んでも時間が足りないなと思った記憶は鮮明。

でも、悩んでなかったら今の私はないから、必要な拗らせだったのだろう。当時の自分にアドバイス、と考えてみたけど、なんて言葉をかけたらいいかわからない。
『いやいや、流しときなよ。』では弱い。
『気持ちに折り合いをつけるしかないんじゃない?』では他人事っぽいか。
『私もそうだったよ。期待されるのが苦しいんだよね』って共感するだけじゃだめかなー。
『褒め言葉が、相手を苦しめることもあるってこと反面教師として学んだね!』では流石に話から逃げてるか。

20代になってから、子どもが同じように悩んでいる姿を見ることがあって、かける言葉に迷う。最適解はまだ見つからず…。当時のてまきずしチャン、なんて言ってもらえたら楽になったんでしょ?

20代の今も悩むことが多々あり、中学生のあの頃と同じように、悶々として答えが出ないまま進まなくてはいけないことも多い。というか答えなんかなくて、なんとか自分の悩みを丸め込んで、飲み込んで、「折り合いをつけて」じゃないけど、諦めることだって時には必要なのでしょうか、ね。

ちなみに、石田ゆり子さんも、もっと大人になってからふりかえると20代は辛かった、辛いというかずっと悩んでいたと書いていた。

それを言ってもらえると、そういう時期なんだなと安心するし、ゴールが確かにあると信じることができる。

今悩んでる子どもたちにも「中学生のときは辛かったけど、でもそれが自分を耕してくれるよ。たくさん悩みたまえ!」とか言ったら、慰めになるんでしょうか。

もっとおもしろエッセイ的なものを書きたいのですが
どうしても真面目な文章になってしまいますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?