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3年目


明日でがんを告知されて3年です。3年間、色々なことがありました。長いようで長い3年間。生まれてから色々ありすぎて、もはや「色々あった」っていってよいものか分からないのですが。がん告知前後についてはこれと同じマガジン内にある『スペードのエース』というタイトルの話に書きましたのでもしよろしければご覧ください(リンク貼るのを面倒くさがってすみません)。

うちはがん家系ではありません。母はがんで亡くなりましたが。超不摂生、運動はしない、お菓子やジャンクフードばかり食べる、いつも家で寝転がっているか虐待をする、病院にはめったに行かない、診断はされていないものの、素人目に見ても精神病や人格障害等のデパートみたいな人間でも60半ばまで生きたって、ヒトって丈夫な生き物なんだなと思います。『タヒチの女ー母の死についての覚書』にも書いた通り、母は自分の病や余命を知らずに死んでいきました。医師によると肉体的苦痛も一切ないと。がんで死ぬ自体はうらやましくはありませんが、死の恐怖を味わうことなく、苦痛もなく、そして人間として葬られたことに関しては非常にうらやましいです。おそらく母の望むような死に方だったと思いますし。

私ががんだということは家族は知りませんし伝えるつもりもありません。多分私の状況、心境を一番よく知っているのは名前も顔も御存じない、ネット上でのつながりの方々だと思います。

今のところ、再発や転移はありませんが、がんに罹ったならば一生爆弾を抱えているようなものだとよく言われます。いくらこの世に愛想をつかしていても、苦しんで死ぬのはお断りです。出来る限り自分の望むような形で逝きたいという欲求や、自分の生死に関することは自分で決めたいと思うことはそんなにおかしなことでしょうか?私は知力、体力、気力が衰える前に終活を終えたいです。安楽死について書きたいことは沢山ありすぎるので、そのうちちょくちょく意見や思うところを綴りたいと思っています。

先ほどうちで今年初めてのチューリップが咲いていたのを見ながら「ああ、私ががんだろうと、苦しもうが楽しもうが、そして死んだ後も季節は幾度もめぐり、花が咲いては枯れ、世界は続いていくんだなぁ」と思うと何とも言えない不思議な気持ちになりました。