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わたくしは昨日も投稿したように「動かなくては」と思っていることが色々あり、まずはカウンセリングに通ったり社会とどういう形であれつながりを持つと決めました。そう思い立ったきっかけはないこともないのですが「こりゃもうダメだ......」ってなんとなく感じることの頻度が増え、「ダメだ」と自分で感じることが出来るうちじゃないと手遅れだと思ったからです。

しらふと酩酊状態、或いはつかの間の夢の世界へのスイッチみたいなものを自分でコントロール出来なくなったらもうヤバいと思うんです。自分でオン・オフを適切に切り替えることが出来る自信があるならばたまには行き来するのもいいでしょう。けれども生憎、わたくしがおかしくなっても(既におかしいのかも知れませんが、多くの人から見て奇行と呼べるような言動や加害をしているとは今のところ思えません)「病院へ行こう」と言ってくれる人やたとえ強引な方法でも連れて行ってくれるような人がわたくしにはいません。なので、おかしくなる前に自分で何とかしないといけません。先ほど書いたようにこりゃ本格的におかしくなるかも、と思う瞬間が幾度かあったのですーーなんだかわたくし『山月記』の虎のようになりかけている?って思ってハッとし、正気を保っているうちに動こう、「今だ」と。

そもそもこのnoteも「何らかの理由で自分の思いを伝えることが出来なくなる日が来るまで、出来るだけのことを綴る、記録する。わたくしは決して黙らない」ためにやっていますが(いつもご覧いただいている読者様には耳にタコでしょうけれど)。

「何でも自分で決めて動かなくてはいけない」というのは自由ではあるけれど責任の伴う行為です。その点ある意味では人に迷惑を掛けたり傷つけたりなどして自分の意思とは無関係に病院やしかるべき施設に運ばれる方が楽かもしれないですがわたくしは嫌です。

「何でも自分で決めて動かなくてはいけない」というのは親があんなだったから子供の頃からずっとそうで、慣れてしまっているし何でも自分で決めた上でやりたい、人任せにはしたくないという意思がある反面、たまには大船に乗った気持ちで人に任せたいなぁ~というほとんど願望に近いものも同時に持っています。元来「ええい!人任せなんてかえってまどろっこしい!面倒くさいことになるの請け合い!自分でやる!」というタイプのわたくしが不思議と唯一「この人なら何とかしてくれる」という気持ちになれたのが先日投稿した、2軒目の心療内科を受診した時の話に出てくる当時交際していた人です。いい感じにおおざっぱで行動力があって余裕がある人というのは男女関係なしにわたくしに安心感を与えてくれます。何も恋愛うんぬんじゃなくても。

人任せにするのが気が進まないというのは人を頼るのが苦手というのみならず、人に何かしてもらうには代償が必要なのは当然としても、そのことでずっと恩を着せてこないかと不安なのもありますし、頼んだ人が上手くやれなかった場合、どう反応するべきか考えこんでしまうからですーーわたくしをこんな難儀な性格の人間にした環境を恨みますよ、マジで。

とまぁ、私はもはや自分で「正気←→ちょっとの狂気」スイッチをちゃんと操作できる自信がなくなりつつあるので、医療や福祉を頼ることにしたというわけです。一気に虎に変身してしまえたり、虎になっていることすら気づかないならばそれはそれでもいいのですが、無理ですからね。

虐待サバイバーやDV被害者、性被害者等はどうしても情報弱者になりがちなんですよね。加害者がターゲットと社会とのつながりを断ってしまうことが多いので(意図的な場合とそうでない場合がありますが)......。色々な選択肢や受けられる支援があることを調べて知ることが出来、自分で判断し選択する能力のあるうちにわたくしは動きたいです。

死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの3つのものしかない
あまりにも有名な漱石の『行人』に出てくる言葉ですが、どれにも魅力を感じつつもどれも恐ろしく、あれもこれも嫌だというわがまま人間のわたくしはまだ正気を保っているのでしょうか?