ぴちぴち

もう何十年も前になる。
父の三回忌であったろうか、帰郷したときの話である。
実家は社宅であったゆえ父の死により引き払うこととなり
別の町の二階建て一軒家に母と妹らは移り住んでいた。
法要を済ませ、私がこの新たな実家に初めて足を踏み入れたのは夜であった。

田舎の夜は早い。
9時過ぎには辺りも静かになり、疲れもあって家族も就寝モードになる。
母らは二階の寝間に引っ込み、私は同じ二階の廊下を挟んだ隣りの小部屋に押し込められた。
かと言って夜更かしに慣れきった私がすぐ眠れるわけもなく、することもないので仕方なく布団に潜りながら本を読んでいた。
ほんとうに静かだなあ、物音一つしない
外で針を落としても聞こえるかもなあ
東京とは違う無音の夜に感心しながら本のページを捲っていた。

ぴちぴちぴち
ぴちぴちぴち

奇妙な音が聴こえてきた。
なんだ? どこから?

それは階下から聴こえる。
一階の玄関の辺り。

ぴちぴちぴち

断続的に水っぽい音が続く。
鳴り止まない。

え?なになに?
あ、
と思い至った。
金魚だ。
一階玄関の脇に父の生前から飼っている金魚の水槽がある。
稀にだが、金魚が暴れて水槽の外に飛び出すことがあった。
これは床で金魚がのたうってる音だ。

もう寝入っているのか、母たちが起きてくる気配がない。
仕方ない、と布団を抜け出し、引き戸を開け短い廊下に出た。
すぐに一階への狭い階段がある。
上から見下ろすと階下は真っ暗だ。
ぴちぴちという音がその暗闇から響いてくる。
あれ?と気づいた。
金魚が床でのたうつ音だと思っていたが、音の質がいつの間にか変わっている。

ぱちぱちぱち

まるで手を打つ音だ。
何者かが手を打ち鳴らしているのか?
え?え?となりながら、階段を降り始める。
音が止んだ。
半分まで降りたところでギョッとした。
階段の下、暗闇の中に何かが立っている。
これはいよいよオバケか!と思ったが、恐怖心より確かめたいという好奇心が勝り、そのまま勢いで階段を降りきった。

そこにいたのは何のことはない、一階で寝ていた祖母であった。
ホッとしながら明かりをつけ水槽の周りの床を調べたが、金魚はおろか水一滴落ちていない。
お婆ちゃんも魚の落ちた音聴いて起きてきたんだよね?
そう尋ねると、いいや、と返してきた。

「犬があんまり吠えるから誰か来たのかと思ってさ」

確かに犬は飼っている。
玄関は北国特有の二重構造になっていて雪囲い、玄関囲いと呼ばれる空間がある。
そこに犬は繋がれていた。

だが、私は犬の吠え声なんて一切聴いてない。

祖母はニッと笑いながら言った。
「お父さん、来たんだよう」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?