神様は信じているけど、宗教は好きじゃない。

高校3年生ぐらいの時に友達と宗教の話になって、そこからぐるぐる考えていることがあるから、すっきりするために書き残して置く。

つぶやきだと足りなさそうだから。


題名にもしたけど神様はいると思う。

誰か一人じゃなくて、八百万の神様ね。

私の中の絶対的な直感が当たることもあるけど、思いがけずに楽しいことも、悲しいこともあるから。

でも、なんていうか運命を感じる?ときがあるから。


大好きな宮沢賢治先生の作品で、『烏の北斗七星』がある。

その中で、一番好きな場面は、

烏の大尉が夜、星を見上げて、

自分が勝つのがいいか、敵が勝つのがいいか、わかりません。

ただ、あなたのお考えのとおりです。

っていうところ。

このセリフがすごく好きなんだけど、同時にすごく嫌いな考え方。


自分の運命を決める絶対的な存在がいれば、楽だよね。安心だよね。

INFJとかHSPって言葉に出会った時も、すごく安心した。前が見えた気がした。

でも、自分の努力を誰かや何かのおかげにしたり、自分の失敗を誰かや何かのせいにするのはなんとなく納得できない。

本当に困ったとき神様に頼る前に、友達に頼りたいし、家族に頼りたいし、なんなら公的機関に頼った方がいいと思う。

どうにかできることでも頼っちゃうなんて、私が神様ならパンクすると思う。頼られすぎると腹が立つし、相手の成長の機会を奪っているという罪悪感で苦しくなる。


でも、まあ、信仰は自由だよね。

真剣に祈る顔が、目がきれいなら、それがその人の本当の心なら、私のもやもやなんてどうでもいい。その顔が見れれば、その本物が見れればどうでもいい。

それにステンドグラスは何時間でも見れるぐらいきれいだし、a cappellaもgospelも最高の発明だと思うし、何より賢治先生は今日も今日とて最の高だ。


でもでもまだもやもやする。

一番もやもやなのは多分宗教ってことの存在。

皆が同じものを同じように信じているっていうこと。

「同じ」も安心だけど、それぞれ考え方も生き方も違う人が同じ考えになるのはもったいない気がする。


言語学かなんかの本で読んだけど、

文化も考えも、違うからこそいい。

違う色の糸と糸が紡がれるからこそ、混ざりあって美しい。


Jamiroquaiの「Virtual Insanity」にも、

今じゃ母親は自分の子どもの肌の色を選べる。

そんなの自然な方法じゃないって、あいつらも昨日まで言ってたんだ。

祈る事しかできない

新しい宗教を見つけなくちゃ

変なの、

違う種族を一緒くたにしてしまうなんて。


ってあるけど、この辺の言葉が混ざって、この私のもやもやを更にひどくする。


同じって落ち着くけど、個性がないのは落ち着かない。

でも、個性的すぎて協調性がないのも落ち着かないんだけど。


いろんな概念を自分の中に取り込んで混ぜてしまうから、

一つの物を信じ切るってうらやましいけど、恐ろしい。

自分にいいものだけ掻い摘んで生きるなんてエゴでしかないけど。


そんなことをずっと考えてみた。

やっぱり矛盾しかない。

でも、その矛盾もぐちゃぐちゃに混ざって矛盾してない気がする。

うん、また自分の矛盾が見れてよかったな。




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