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大きな幸せがなくても『注文の多い料理店』(序)を読むだけで幸せなんです。

賢治先生にはまってから、定期的に好きがあふれる時期が来る。

文アルみたいに生まれ変わってくれないかな。

今度、ハマったきっかけの作品、『セロ弾きのゴーシュ』について語ろうと思うけど、その前にこの(序)に触れないと、と思いました。

普段から語彙力があるわけではないけど、好きなことを話すときは特にひどいのでそれの練習もかねて。

全文はここから読めます。↓

『注文の多い料理店』序 宮沢賢治

1段落目

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

もうね、一文目から好き。

始めて読んだときに、「えっ、私もできる!」と思った。

風とか空っておいしそうだし、おいしい。新緑の風もおいしいし、金色の月もおいしい。

急に料理の味を思い出したり、色から味を思い出すこともあるから、そこと情報がつながっているのかもしれないけど、味覚以外でもおいしさを感じる。

2、3段落目

 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました。
 わたくしは、さういふきれいなたべものやきものをすきです。

多分、光の当たり方とかで見えたのかな?

蛍光灯の色とか、場所や気分によっては気持ち悪い光があるけど、日光は好き。木漏れ日とか、水面がきらきらするのは好き。

4、5段落目

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらつてきたのです。
 ほんたうに、かしはばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。

どのお話もそうだけど、現実と妄想の境目みたいなところが読んでいて楽しい。

私も直観的に感じたことを否定できないから、思いついた通りにnoteを書いているから。

★6、7段落目

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません

ここが一番好き。

言い回しも独特だし、小さいころ読んだときにはこんなに考えたこともなかった。でも、今はたくさん考えて、沢山教えてもらったことがある。

どんなに時代がたっても、誰かの心に届いて、誰かの心を幸せにすること。

そんな文章をかけるところがすごく尊敬しているところで好きなところ。

まとめ

私が書いているnoteも一番は自分のためだ。

それでも、「誰かのためになればいいな」と思うけど、ならないこともあると思うし、その方が多いと思う。

でも、もしも「それっきり」じゃなかったら、幸せだなぁ。

改めて、noteを続けたい、もっと書きたいと思いました。


*画像は今食べている葡萄です。凍った葡萄にふーっと息を吹くのが好き。

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