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わたしの世界のいろ

5月中旬くらい
わたしは全てを手放した。

やりたいこと
目指したいこと
目標
未来
過去の意味づけ

変化したいから、何かする。
そんな日常全て

2020年の幕開けとともに、自分の中の細胞がざわめいて、今までを一気に丸にした。

2019年までのわたしの道のり。

もう全てが繋がって、目の前を明るくした。

だからもう大丈夫と自分に言い聞かせた矢先
やってきたのは全てを見失うということ。

自分の中に大事に大事にしまい込んでいた『無力感』

絶望感とはこういうことかと何もかもに光を見つけられない。

何をしても不完全感でいっぱい。

わたしには何もないと思うしかないのはいいのだけど、生きる上で何がどうあればいいのか全く分からなくなった。

コンパスを持っていても方角が分からない。
右も左も東も西も。

そもそも方角ってなんなんだと問い始める始末。

今、自分がここにいることは事実なのに…

むしろ、それだけしか事実じゃないのに…

何を信じて何を疑えばいいのか
そもそも生きていることさえあやふや。

そんな無力感を感じていることは確かで。

感じているという感覚があるなら生きているんだと
奮い立たせるものもないまま
あるのかないのか分からない肉体に問いかける。

わたしは何者か?

自分で分からないのに、誰も分かるわけもなく
そもそも何者でもない。

存在するのかしないのかを自分で認知することすらできない自分を誰があり者として見るのか

そんな平行線を何度も何度も行き来した。

【心ここに在らず】とはまさにこれ。

一体心はどこに落としてしまったのか?
いつ落としたのか分からない。

空虚感
無力感
不足感
無為自閉

ひどく真っ暗な言葉が頭に浮かぶ。

でも、からだの底にはなぜか安心感に似たものがある。

暗いのに温かい。

母のお腹に導かれるような道。

あ、これ!
へその緒

そんな感覚に気付いてから、何者でもない私を抱きしめた。

そして私がずっと探していたものはもう私のからだの中にあった。

落としたと思っていた心。

落ちないようにへその緒と繋がってる♡

心ここに在り
心個々に在り

すでにあるものを見失ってしまうのはなぜか。

当たり前にあるからだろう。

当たり前に溢れた世の中
大事なものはいつも繋がっていることを忘れないでいよう。

心ここにあることを感じながら過ごす日常は豊かさに溢れている。

不足感や無力感を抱いていた毎日に
充足感を感じ始めた。

もう充分足りている♡
何も不足しているものなんてなかった。

わたしはわたしで充分足りている。

何もなかった日常に光が差し
すべてが美しさで溢れた。

本来のわたしが描いた世界のいろ

本来の自分
本当の自分

そもそもこんな言葉もいらないくらいに鮮やかな世界

言葉に囚われ
心をなくし

言葉を手放し
心を繋ぐ

そこには豊かさだけが溢れてる。

わたしの世界のいろ♡