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【面白い】は『なにげない習慣』から滲み出してしまうものなのでは



先月からミモリラジオを聴き始めて、やっとキツツキ編に追いつきました。

リアルタイムに追いついてしまうと、まとめ聞きができないのが、ほんのりと寂しいけれど、新しい回が更新されるのをまだかまだかと健気に待つのも、それはそれで楽しいのです。





それにしても【番外編・筋肉編】が面白かった。ところどころでAndyさんが爆笑しているのが微笑ましい。

完全に影響を受けまして、わたしも筋トレ(腕立て伏せ)を始めようと思いまっする。



最近の自身のテーマの中に『体力』というものがあって、もともと体力は少ない方だけど、年齢のことを考えても(もうすぐ40)、どんどん体力が落ちてくる頃だなと感じます。

幸い、デスクワークが常習化していないのと、コンテンポラリーダンスをやっているのもあって、おそらく平均的な同年代よりは身体年齢は若いと思うし、ぷよんぷよんな贅肉もついていません。

ただ、もともと痩せている体質なので、それはそれで問題だったりします。健康診断を受けると、他の数値は健全なのに【痩せすぎ】という診断のせいで全体の評価が落ちるという...。

そんなこんなで体力をつけたいなと思いつつ、走るのは膝や足首に負担が強く、負傷しがちで、歩くのは日常的にできているので、歩くよりも心拍数も上げつつ、走るほどは身体に負担のない方法を探していたんですね。

腕立て伏せを空いた時間にサクサクやるのはいいかもしれない。しばらく続けてみます。




さて、実は書きたいことは他にあって、アプリを立ち上げたのだけれど、全然違うことを書いてしまいました。

筋肉編でノダカズキさんが『お笑い』のメカニズムについて話していて、それが面白かったので少し思いを馳せてみました。


《面白い》はメインストリームから少しズレたところにある。


ということなんですが、《面白い》という体験は、日常の中の《当たり前》から逸脱して、少しズレたところに立ち上がるもので、《面白い》の本質は『日常からの少しの逸脱にある』ということ。

もちろん例外はありそうですが、おおかた、この説明でまかなえそうです。

筋肉編での会話なので、筋肉(マッスルな人)は日常から少し逸脱しているから面白いというお話でした。





《面白い》というと、お笑い的な《面白い》を連想しがちですが、もう少しその意味の範囲を広げてみると、そこには《興味関心》という意味が立ち現れてきます。

日常生活の中で『なんだか面白いなぁ』と感じる人って、決して嫌な印象ではないし、どちらかというと好印象の場合が多いのではないかと思います。

《面白い》というのは、変なことでもなんでもなくて、それはその人の《魅力》でもあるとも言えそう。《面白い》と感じる瞬間はその人の魅力が大きく開かれている状態とも言えるのではないかなって。




だからといって、《面白い》が魅力的だからといって、意図的に《面白い》をつくることはできるのだろうかと、ふと疑問。

もちろんつくることは可能だろうけど、意図的につくる行為はとてもコスパが悪いのではないかと思うのです。

『筋肉が面白い』となったからといって、わざわざ筋トレをして面白くなろうとすることは、少し滑稽に感じる。

なかやまきんに君は、常にリアルで素直に筋肉が好きだからこそ面白いのであって、それを狙ってやっても冷めてしまうのだと思う。

また、好きというエネルギーにはなかなか敵わない。純粋無垢な人は疲れをしらない。限界をしらない。無限にやり続けられる強さがある。

だから、よほどのプロではない限り《面白い》を意図的に作ろうとするのは危険な行為だと思うのです。




じゃあどうすればいいかって、きっと《なにげない習慣》のようなものの中に《面白さ》は隠れているのだと思います。

なんとなくやってしまうもの、ついつい言われなくてもやってしまうこと、自分にとっては当たり前すぎて意識していないもの。

そういうものの中に《面白さ》は隠れている。




そういう《なにげなさ》が、世間一般的に常識だと思われている空気の中から、少しだけ逸脱した状態が《面白い》なので、それがなんとなく醸し出されている状態が《魅力》なんだと思います。




そう考えると、いかに自分にとっての《なにげない習慣》を素直に続けられるのかが大切になってきます。

意識的になりすぎて、作為的になっても寒々しいものになってしまうし、だからといって、遠慮してコソコソやりすぎても、その魅力は伝わらない。

そのあいだらへん、自分にとっては当たり前に淡々とやりつつも、それを必要以上に隠すことなく、溢れ出てしまっている状態こそが、自分らしさのようなものが相手に伝わる瞬間なのかなと思うのでした。




自分が当たり前のようにやっていることでも、ふと冷静になると『あれ?これって変なのかな?』って思ってしまうことってあります。

そういうことに後ろめたさを感じてしまうこともあるし、隠したくなってしまうこともある。

そういう恥ずかしさのようなものを、いかにマイルドにしていくのかって、自分の生き方を考える上で、とっても大事なことだなぁと思ったのでした。




追記

そういえば、この話《面白い》の話、どっかで聞いたことあった気がするな...と思っていたら、成田悠輔さんのプレゼンの内容でした。



成田さんの場合は『面白いは中途半端で凡庸だ』という切り口から始まりますが。



《面白い》というものは、ニッチなものを世に広めていく役割があるのかもしれませんね。




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