見出し画像

現代で仏教的な考え方を取り入れて生きるには


久しぶりにこちらの書籍に読んでいます。


2年に一度ほど定期的に読みたくなる本で、確実に自分の中での殿堂入り書籍として存在しています。


期間を空けて読むごとに、毎回新しい理解と気づきがあって、考えが深まります。

私自身は決して純粋な仏教徒ではないし、深い信仰をしているわけではありませんが、それでも思想として取り入れている部分は確実にあるし、より深く理解したいと思っています。

ゴーダマ・ブッダの説いている原始的な仏教というのは、中国から渡り日本に入ってきてから育った仏教とは異なり、とても宗教色は薄く、実践哲学の側面が強くあります。

その立場も共感できるポイントなのですね。



仏教の目的地は涅槃です。

涅槃とは輪廻転生を繰り返す、私たちの物語を終わらせる境地のことを言います。

輪廻というのは、精神的なものと物質的なものが連鎖的につながる流れのことを言います。

たとえば、怒りの感情にまかせて行動をしていたら、さらなる怒りを連鎖的に生み出してしまう、というような現象のことですね。

自分には無いものを他者に見て、その相手を嫉妬したところで、その嫉妬心は増幅するばかりですよね、というそんな感覚です。

そういうネガティブな感覚(本当はネガティブなものに限らないけれど)を煩悩と呼び、それらを滅尽していくことが仏教の目的となるのです。



ブッダの時代とはことなり、現代の日本社会において仏教の修行を積み、涅槃に至ることは構造的に難しいような気がします。

仏門に入ることで税金が免除になるとか、ミャンマーなどにある365日無料で衣食住を提供してくれる瞑想センターがあるのであればまた話は別ですが、なかなかそのような環境整備は難しいでしょう。

ただ、完全なる解脱(涅槃に至ること)は難しいにしても、近い世界観へ辿り着くことは出来るような気がします。

不安や恐れ、不要なあらゆる執着を手離していき、多くを求めず、穏やかな凪のような暮らしを手に入れることはできると思うし、そのような暮らしを実現させている人もきっといるでしょう。



あらゆる執着を極力手離していった先に着地する場所は、その人が持っている価値観によっても異なる気もします。

手にする豊かさの大きさも、ちょうどいいサイズ感がひとりひとりにあるとも思います。

そういう適切な場所に着地することが、現代においての仏教を効果的に取り入れるための方向性なのかなと思ったり。

もちろん国外を出れば、ちゃんと出家をして、修行を励み、リアルに涅槃に到達する僧侶の方もいらっしゃると思うので、このような考え方は邪道かもしれませんが、一つの通過点として現実的なポイントを定めておくのも一つの手なのかなと。



仏教にインスパイアされて、感じたこと考えたことについては少しずつ言語化していこうと思います。

いつもご覧いただきありがとうございます。ご支援いただけると活動の支えになります。