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足るを知る

『ゆたかさって何だろう?』

私の思う「ゆたかさ」とは、やはり『心のゆたかさ』だと思う。

「心のゆたかさ」って何だ? 

と言われれば

「足るを知る」ことと「無知を知る」ことではないかな。。。


分相応以上のものを得ようとするから、
「もっと、もっと」と欲が出るし、
自分に対しても他人に対しても期待してしまう。

その期待が大きければ大きいほど
得られなかったときの失意や落胆が大きくなり、
不満の怒りが発生する。

この状態はいくら財産があっても地位が高くても

「ゆたかである」とはいえないだろう。


もうひとつの視点から捉えて、
「心のゆたかさ」の対局として
「物質のゆたかさ」から考えてみた。

財産や地位などは、積み上げるのも大変だけど、
それを守っていくのはさらに大変だし、
財産や地位が大きければ大きいほど心労も大きくなると思う。

分相応の財産や地位さえあれば、先人の教えを紐解いたり、将来の夢について思いを巡らせたりすることは誰にでもできる。

分相応というのが一番難しい基準かもしれないが、命に危険が及ばない程度の住処(すみか)と収入があれば分相応と考えていいのではないだろうか。

徒然草の第123段では、「衣食住に加えて、医療を受けることができれば富めり」と記されている。

分相応以上の住処や収入を得ようとするから、あくせく働いて余裕をなくしてしまうのではないかと考える。

自分に対しても他人に対しても許容範囲を広げることで余裕は生まれる。


完璧を求めず、「30点以上は及第点」とハードルを低くして、人生を謳歌したいと考えている。

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