残された時間を、しっかり生きて欲しい話。
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SMAPのファンが思う、嵐のことです。いまみて、こんな意見もあるのかと、受取れない人、まいってるひとに見て欲しいけど、なにを言っても、いまは無理なひとは無理だと思うから、とにかくダメな人は即リターン。
適当に、ぶつくさ書きなぐったから途中支離滅裂かも、上から目線に感じたらごめんなさい。
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こんかいのことで思ったこと。
先日あの人が言ったようにおわるときに、“、”ではなく“。”をつける。そのようなことをしてくれる、そのような声や言葉を本人たちからをかけてもらえる、くれるというのは、たいそうしあわせなことだと思うんです。直前に追加公演をたくさんやることを発表して、ひと目見る、会いたいをも手中に入れさせてくれる可能性を出してくれた。しあわせだね。
「ぼくらは、それをおこたってしまった」
と彼は言ったけれど、それが出来る状況なら、ああはなってなかったとつくづく思うし、なぜそんなことをあの場で言わせてしまったのだろうと未だに悲しくなるのです。
はじまりは、おわりのはじまり
先般のことで、「はじまりは、おわりのはじまり」に気付かされた人もたくさんいたけれど、そんなの自分の身に起きないと本当にそのことの重大さに気づくことは出来ない。
正直、わたしたちは、あのとき、一部のあなたたちにぶん殴られました。
一部のわたしたちが言い返して、心無い言葉、言い合いをしているのも見ました。因果応報とばかり、色々おきてしまえ、と思ったことが無いとは言いません。
でも、わたしはね、最初に出した、”、”で終わったがゆえに、いまだに最後の各ラジオを聞けていないし、長時間の最終回も見れないある意味PTSD。大げさのようだけど本当に。気付いていないフリをしていたし、今回のことで改めて思った。わたしはPTSDだ(診断されているわけでは無いけれど)。ここ2年ほど、誰も知らないところに無性に行きたくなったのは、これのせいだとも思う。
こんな人を増やさないためにも、どこから沸いて出てきたのか、存在するのかも分からない増幅する関係者はいらないし、要らない情報を極力シャットダウンする自衛をしてほしい。特にここから1週間(下手すると1ヶ月近く)、あとXデーが近くなる時期、そしてそのあとに本当に在ること無いこと、要らぬ憶測が書かれるはず。気をつけて。
今は傷をつけあうときでも、なめあうときでもない
あと、これ意外と出来ないのだけど、「自分に都合のいい解釈をした意見を人に押し付けない」のも大事。それが他人を傷つけることになるやも知れないから、吐き出す相手は間違っちゃいけないよ。吐き出せる相手を選べないときは、ネットの海を相手にすればいい。手軽に文章にしてみたらいいとおもう。支離滅裂でも、考えていることや思っていること、なんなら「わー!」とかでも、色々クリアになることも多い。こういうところやツイッター、とにかく誰も知らないところで一人で。読み返すと闇にもぐっちゃうことがあるし、下手に残ってしまうのが怖かったら、マシュマロとかに勝手に投げ込んでおくのはどうだろう。
比較したって意味無いんだけど、わたしたちのときには色々なことに対する謝罪やその関係を否定しながらも楽しげと思わしき会報が来たりしたにもかかわらず、時系列的におかしなことがたくさんおきて、それを傷をなめあうように勝手に話し合いましたが、わたしにはまったく合わず、無意味かつ虚無しか生まれず、まー病むしパニックに陥ったわけです。
本人たちの口から出た言葉、心からの言葉だけが真実だと思って、信じて前を進むしかない。
残された時間は思ったよりもたくさんあるし、可能性も残してくれているのだから、ただただ今を大事に生きて欲しいと願うばかりです。
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