がんばらない勇気

脱プラスチックとか、サスティナブルとか、持続可能な社会に向けて世界中が動きだしている今日このごろだが、わたしは持続可能ながんばらない日々を送ることばかり考えている。

だるいときは睡眠と休息が最優先。
朝はアラーム音が鳴り響いてもベッドから離れないし、お気に入りの動画をおなかが空くまで視聴する。

のんびり過ごしているうちに、居心地のいい日向がいつの間にか影になる。夕食の準備をしはじめて、冷蔵庫の中身が空っぽだと気づく恐怖には強くなった。



自分を甘やかすことをがんばっているのは、こころとからだを二度とこわさないためだ。


意識低い系の日々は精神疾患の予防であり、メンタルケアのひとつ。きょうはその理由を、ソファーに寝っ転がりながらまとめてゆく。


ふつうはがんばれる?

精神疾患といってもざっくばらんとしているので、「うつ」を例にあげてみよう。


出典:厚生労働省ホームページhttps://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html

うつは患者数のおよそ30%を占めている気分感情障害のひとつ。けっこう、身近な病気なのは数値にもでている。


うつを経験した人もそうでない人も、イメージしてみてほしい。


勉強に追われて睡眠不足と戦っていまにも倒れそうな受験生に、育児ノイローゼになりかけている新米ママに、ストーカーや悪質ないやがらせに耐えながらステージに立って踊る尊い推しに、

「もっとがんばれ!きみならできる!努力がまだ足りない!」って言うひといないですよね。

「もう、やすんでいいんだよ!」とか「すごいがんばってきたね…」とか、相手をいたわることを考えると思うのだが…。トドメを刺したがる人もいるのがリアルの恐怖。


体調を壊したり、壊しそうな人に対して「ムリをしないでね」とやさしく接する人は多い。だけど、うつじゃない時はムリをしていいと思うのはどうしてだろう。

こころの底で、「うつはふつうじゃない人がなる病気。ふつうの自分はうつにならない」と、根拠のない自信を持っていないかと心配になる。


精神科の現場でみてきた限り、うつになるのはふつうの人たちだった。生まれながらに「わたし、うつです」という人はいない。未成年もマダムもムッシューも、性別・年齢関係ない。


みんな、うつになる可能性を秘めている、ただのにんげんなのだ。


努力論は完コピ不可説

けれども努力をしないと成長できないというのも事実だ。

1万回ダメでかっこわるくても、1万1回目はなにか、変わるかもしれないと思ってエジソンは発明をし続けたのかもしれない。


ふつうじゃない功績の持ち主の考えは、いつだって需要があるものだ。


成功するコツをかんたんにまとめた「努力論」はインパクト大かつキャッチーで、誰にでもすぐにマネできる魔法に見える。

いまの世の中は簡単でやさしいことばほど拡散されやすく、トレンドになりやすい。世に周知されるため、シェアされるため、削られて軽くなる。




簡単にまとめられたことばに錯覚しがちだが、魔法は理想の未来を100%保証しない。



しあわせの本質を追求するとがんばらなくなりました

いろんな方法論や自己啓発論を読んできた結果、理想の自分は成長しない限り見つからないのかと、ふと思った。

ブイブイいわしている(ようにみえる)画面越しのあこがれの彼、彼女。どこにあこがれたのか考えてみると…

・顔や体型といった見ため
・フォロワーや”いいね”といった数の影響力
・港区のタワマンやエステ三昧な日々


すべて、ぜんぶ、わかりやすい憧れだなぁ、と思ってしまったわたしは、向上心を手放すポイ活をした。


かわりに、本当に大事にしたいことだけ、そばに置いておくことにした。

それが、おだやかマインドで過ごす日々
働く時間や、お金の使い方、人付き合いも大きく変えた。だっておだやかに過ごしたかったから。そのための努力が、「持続可能ながんばらない日々」だ。



方向性のちがう努力はつかれてしまう。だったら、「正しい努力」をしたらいいんじゃないかと思っている。

わたしのがんばらない日々が正しいかどうかはわからないが、おだやかマインドで過ごすしあわせを噛みしめているのでよしとした。

たぶん、しばらくは同じような生活をしていると思う。



ちなみに、正しい努力とは具体的な目標があり、実践後の結果がすぐにわかり、自分の能力のちょい上のレベルを求められている状態になること。そこに夢中になれたらいい。


……と、チクセントミハイさんが著書で述べていたので、最後に引用してまとめます。


目標が明確で、迅速なフィードバックがあり、そしてスキル[技能]とチャレンジ[挑戦]のバランスがとれたぎりぎりのところで活動している時、(中略)集中が焦点を結び、散漫さは消失し、時の経過と自我の感覚を失う。その代わり、われわれは行動をコントロールできているという感覚を得、世界に全面的に一体化していると感じる。
M・チクセントミハイ「フロー体験入門」


たまには難しい本を読んでみるのも悪くない。



おしまい




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