「問い」が浮かぶまで─「どのくらいが”適正”な基準値なんだろう?」
ごぶさたしております。
最近、あまりの暑さに、ダウン気味です。
仕事が少し楽になった!やった!と、喜んだのもつかのま。
安心したのか、熱が出たり、めまいがしたり、ささやかながらすっきり治すのには時間がかかる不調がぽろぽろ出てきてしまい、ちょっと凹んでいます。
今まで、けっこう無理していたのかも……と、思います。
それでもなんとか会社には行けているので、毎日黙々と頑張っている自分の身体に、ありがとう、無茶をさせてごめんなさい、と声をかけて、ちゃんと養生しなくては、と思う今日このごろです。
あまり欲張って、仕事をすることばかりに集中していると、肉体や精神のメンテナンスがおろそかになって、あとから大きなトラブルが出てしまう……という場合もあるのかな、と、感じます。
どうしてそんなに「休めない」のか、ということを、自分の胸に手をあてて、よーーーーーーく考えてみました。
自分の場合は、「仕事をしていると、いくらか安心していることができる」から、ついつい忙しくしてしまう癖があることに気がつきました。
もともと、活動のベースに「不安」があるようなのです。
なんとなく、「自分の能力や、行動力が足りていない感じ」にいつもつきまとわれていることにも気がつきました。
どこか、自分の中に「このくらいはできなくてはいけない」という基準値が設定されていて、その基準値を超えるために日夜、無理をしている……という状態なのだとわかりました。
「この基準値は、いったいいつ、どこで作ったものなのだろうか」
と、さらに心の湖の底を覗き込みます。
すると、それは、これまで生きてくる中で、主に「母親」の生き方に影響を受けていることがなんとなくわかりました。
私の実家は、共働きでした。
私の母の働き方は、「フルタイムで働く」というのとは少し違って、いろいろな内職でお金を稼ぎながら、家事も100パーセントこなす、というスタイルでした。長く反物になったガーゼを、裁ちばさみでハンカチのサイズに切り分ける仕事であるとか、精密機器の部品の検品であるとか、洋服の直しであるとか、こまごまとした仕事を見つけてきては、せっせと仕上げてお金を稼いでいました。
自宅で仕事をしていることが多かったのですが、一日あたりの労働時間はその日によってまちまちだったかと思います。まったく仕事がない日もあれば、発注された仕事が多くて、食事を作るとき以外はずっと仕事をしている、というような日もあったように思います。
冷静に比べてみると、私の場合は週五日、通勤時間も含めると一日あたり約11時間から13時間前後、家から出ている生活をしているので、母と同じ量の家事をこなすことができる訳がない、ということに気がつきました。
「むむむむ。では、どのくらいが”適正”な基準値なんだろう?」
という「問い」が、自分の中に浮かんできました。
「問い」が浮かんできたら、あとはこつこつ、考えてゆけばよいだけです。
これについては、また次回、としたいと思います。
最近、とても暑い日が続いていますが、どうか、皆様、くれぐれもご自愛下さい。晴れすぎず、雨も降りすぎず、どうかちょうどいい天候になるよう、祈るばかりです。
photo credit: Infinity Studio
URL:http://www.flickr.com/photos/151077291@N02/34747586132
Title:Egg
via photopin
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