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久々に書きたくなったから書いただけの話。

映画を見ていました。

私は、心に不調を感じると必ず見たくなる映画があります。

去年の夏にYoutube公開されて、一年以上。
何度見たかわからないほど見ました。

その映画は、基本的に二人の大学生が
「人生」なり、「恋愛」なりの会話をしている
様子をメインに話が進んでいきます。


その二人のね、片方がね、
私は大好きなんですねwずっと。

推しが演じてるからというのは別にして、
「彼」が好きなんです。

なんか、理屈はなくて。

私がもやもやしてる気持ちを言葉に変える
ヒントをくれるんですよね。彼は。


そんな彼がいろいろ話すのを眺めながら、
脳裏で自分のことをぼんやり考えていました。


ここ二週間ほど、体調を崩しています。
そこから、いろんなことへの興味がなくなっていきました。

私が私たる所以といっても過言ではない事象。
大好きな俳優さんを推すこと。

な、はずなのに。
彼のSNSの通知を見るのがなぜか嫌になりました。

嫌いになったわけではないんです。
ただ、なぜか嫌なんです。「見たくない」んです。

彼を見る時間が減った分、ゲームに時間を費やしてみましたが、
どこか満たされません。

表現するのが難しいのですが・・・。
両手ですくいあげた砂がこぼれるように時間が過ぎていきます。

なんというか、
何をしていても「無駄」だと感じてしまうようになりました。


大学の課題やアルバイトも、今まで以上に億劫になりました。


ここでさっきの映画の話。

私が好きな「彼」ですが、
映画の中で主人公を少し強引に誘うようなセリフが
ちょいちょい見られるんですね。

就活があるから帰りたいという主人公を
なんとかいって散歩に連れ出したり、

帰路での分かれ道でも、
主人公に「うちまでCDを取りに来てほしい」
というシーンがあったりします。


あー、めちゃくちゃわかるなぁ。という感じでしたw
(コメントあっさ)

なんというか、誰かと居るときは気が紛れるんですよね。
その紛れる「気」というのは、ネガティブな「気」です。

自分を責める気持ちとか、そういう「気」です。


私も、体調が悪いと感じて以来、
今まで以上に人と過ごしたいと思うようになっていました。


家族と話したり、高校の同級生と話したり、
一人の時はTikTokで配信をしたり、動画を投稿したり。

できるだけ、誰かと関わっていたくなりました。


映画の中を生きる「彼」も、
こんな気持ちだったのかなと思うと
やっぱり、なんというか・・・。

愛おしいと思います。


やらなきゃいけないことを頑張れないのに、
皆と楽しく話したり、ゲームはできる私。

そんな自分が嫌です。

「遊べるんだから、もっと勉強できるだろ。」
「遊べるんだから、もっと働けるだろ。」

と、どうしても思ってしまいます。

そんなんだから体調を崩してしまったのかもしれませんが。
今、割り切れるように頑張っているところなんですけどね。

どうしても一人になると思い出してしまいます。
(だから友達と話したいと思うのでしょうかね。)



大好きな俳優さんのSNSを見たくなくなったのは、
頑張っているあの人を見るのが、少しだけ怖くなったからです。

今月末に舞台を控えて、沢山頑張っているのを知っています。
・・・いや、本当は「知りません」。

厳密に言うと、私たちが見れる範囲で既に
「頑張っている」とわかるのです。

なら、その裏ではもっと努力が積まれているはずです。


そう考えると、頑張れない自分が嫌になってしまうのです。
成績は中の上である学生の生活が、それより大変だとは
到底思えないから。

それすら頑張れない私が、嫌になってしまうのです。


まぁ、そんなことを言いながら
こんな取るに足らない文章を書いているのは
非常に矛盾していると思いますが・・・。


それでも、好きだった書くことも億劫だった私が
パソコンの前に座ろうと思ったのです。

しばらくぶりに言葉を紡ぐ力をくれた「彼」には感謝ですね。


本当に自分の気持ちを書いただけになりましたがw
(いつものこと)

心のもやもやに光が差して、少しすっきりしました。

このもやもやとは長い付き合いになりそうですから、
気長に向き合っていこうと思います。

周りの人に頼りながら。

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