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推しが出るっていう舞台が観たくて、東京弾丸旅行かましたら、自分らしさを見つけるいい機会になったよって話しようか?

久しぶりに。


昨日は、弾丸東京旅行でした。
舞台 PSYCHO-PASS サイコパス Virtue and Vice3を観に行ったんです。
好きな俳優さんが出るというもんですから。

とはいえ、大阪でもあるんですけどね笑
もうチケットも取ってるから、見れるんですけど。
なんで行ったんやって話ですよ笑

しかも「東京行くぜ!」と決めたのは、前の日の夕方です笑

だってあの人がさぁ!笑
楽しみになるようなことばっかり言うから!!笑

「いや、大阪で…大阪で観る…」と耐えてたんですけど、直前になって負けちゃいましたね。
「東京まで来ちゃってください」とか言われたら、もう、ですよ。そりゃ。

まぁまぁ。人のせいにするのはそれぐらいにして。
こういう部分が、私らしいなと思いましたね。

そう、「私らしい」とか出たんで。
舞台の話、しときますか。

こう、人間のドロっとした部分と面と向かって対峙する感じといいますか。
いい意味で、終わった後はドッと疲れました笑

「正義とは言うけれど、正しいってなんなんだろう」とか。
「いろんな肩書きを持って生きる世界で、自分って何なんだろう」とか。
「生きるって、どういうことなんだろう」とか。
「夢ってなんだろう」とか。

そういう哲学的な、考えても答えが1つに決まらないようなものを、改めて考えさせられる世界だったと思いました。

人によって好みが別れるのかなと思うんですが、私は大好きです。
考えるのが好きって人には、最高の物語なんじゃないかと。

しかも今作、言語学出てくるんですよねぇー笑
個人的にとっても沸いた場所でした。
めちゃくちゃ詳しいって訳じゃないんですが、一応それで大学を出ました。

誰かが読んでいると思って残してる文章じゃないんですけどネタバレは避けた方が無難ですよね。
なので、深くは言及しないんですが、とにかく面白かった。

それはそうとして、最初に戻るんですけど。
この弾丸東京旅行の、どこに「私らしい」があると思ったかと言いますとですね笑

私は、未来のことを考えるのがすこぶる苦手です。
具体的に期間を言うと、1ヶ月先の話をされるのは、ぶっちゃけキャパオーバーです。
2週間先、とかも嫌ですね。
1週間先のことで、やっとギリギリ、具体的に想像しながら考えられるかな。みたいなところでしょうか。

「明日、死んでいるかもしれない」
が、私の考え方なので、きっとそれもあるんだと思います。
明日が来ることに確証を持てないやつが、1ヶ月先を想像するなんて難しいんですよ。
そりゃそうです。

なので、「舞台のチケット買う」って、実はちょっとエネルギー使うんですよね。
買いますか?どうですか?的なボタンを押す、以上のエネルギーを使います。

大阪のチケットは、まぁ、距離も近いし、チケットさえあれば、たぶんなんとかなるじゃないですか。

でも遠征するってなったら、移動費もあるし、向こうでご飯食べるかなーとか、せっかくなら早めに行ってーとか、いろいろ考えないとじゃないですか。
それを数ヶ月前に…って、やっぱしんどい。
行けなくなったらどうしよう、とか思っちゃう。

でも、明日まで近づいてきたら、ちょっと見えてくるじゃないですか。
そりゃ、依然として自分に明日が来る確証ってないけれど、まぁそれは、前日の気分でなんとなく察せるじゃないですか。
「たぶん、今日中に自分の人生を終わらせるってことはないかな」って。

そこでやっとぼんやり、「ん、明日休みか?行けるよな?行こうと思えば…」が、浮かび上がってくるわけです。

一旦それが出たら、その後はもう、早いもんです。
「交通費、いくらいくら…向こうであれとこれやって、チケット取れれば…日帰りしんどいけど…まぁ、いいか!行ける!行く!」になるわけです。

まぁ、舞台自体は凄く楽しみにしていて、30日が待てないあまりに「タイムマシン欲しい」とか抜かしてましたからね。
タイムマシン買うなら、交通費払って東京まで行った方が安かったでしょうから、実質得だったのかもしれません笑

ちょっとずつ、舞台の話に無理やり舵を切ってやろうと思うんですけど。

私自身が「私らしい」と感じるって、なんだか変ですよね。
だって、私は私しか生きたことがないのに。
どんな瞬間だって、私は私でしかないはずなのに。

そこに疑問を感じたから、改めて考えてみたんです。
そしたら、気づいたんです。
誰でも、自分以外を生きている瞬間があるんじゃないかって。

例えば、「いらっしゃいませ」「袋いりますか?」って聞いたあの日の私も、間違いなく私だったとは思います。
でも、「自分」だったかと言われると、そうではない気がする。

レジの前に立って、お客さんが来たらそうする。
それでお金を貰えるから、そうする。

頭の中で「あー、この人不機嫌そう。怒らせないようにしないと」とか、「家帰ったら真澄さん配信やってくれるかなー笑」とか、そんなことを考えていても、決まったセリフさえいえば、それだけの対価が貰えるから、その行動を取るだけ。

行動しているのは、紛れもなく私だけれど、「私」じゃない。

そうぼんやり考えていると、1つ、私の中で「自分」の答えが浮かび上がってきました。

「自分」って、「心」なんじゃないかと思うんです。

私が昨日、「私らしい」と思ったのは、心が導くままに行動したからだと、改めて考えて気づいたんです。

いつか、自分が尊敬する人が、こんな言葉をくれたことがありました。

「あなたは、あなたでいいんです」と。
「沙月の人生だから、好きに生きていいんですよ」と。

正直にいうと、貰ってすぐは、その言葉の意味がわかりませんでした。

でも、今なら少し。
「こういう意味だったのかな」と、どこかでわかった気がします。



とまぁ、全くまとまってないとは思うんですが、もう何回も書いては消してを繰り返しているので、これも「味だ」と言って、残しておこうかと思います笑

好きな俳優さんが出るから…がきっかけで出会ったのは、もしかしたらだいぶ不純な動機なのかもしれませんが…笑
でもそういう、不純な心があったから、この作品と出会えたんだなと心から思います。


明日終わるかもしれない人生だけれど。
もし、明日より先も続くなら。
私には、自分らしく生きていてくれたらいいなと思います。

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