麻雀プロは「末期哀れは覚悟の前」なのか?

前回のnoteから半年近く経っています。まぁ、私の更新頻度なんてこんなものなんですが、久し振りに思う所があってnoteを書く事にしました。

日本プロ麻雀連盟の理事・広報部長であり、株式会社バビロン(法人番号:9011101073157)の代表取締役でもある黒木真生氏によるnoteです。現在、連盟員がこれだけ多くの仕事を確保できている事について、氏の貢献を疑う人はいないでしょう。
しかし、この一節だけはどうしても引っ掛かってしまいました。

そもそも、こんな麻雀界みたいなところに入ってきた時点で、ロクな死に方できるとは思っていません。入会時に想像した通り、歌舞伎町の前の靖国通りの中央分離帯の中で凍死すれば良いんですよ。

【それでも結構働いてます】

麻雀のプロリーグである「Mリーグ」が発足した事により、世間からの麻雀に対するイメージは少しずつ変わりつつあります。一昔前まではオンレートが当たり前だったフリー雀荘の世界にもベルバードやオクタゴンといったノーレート雀荘が登場し、「麻雀=ギャンブル」という図式は少しずつ崩れ始めています。Mリーグの「ゼロギャンブル宣言」が生まれたのも、麻雀をマインドスポーツとして定着させる事により、麻雀業界(当然ながらプロ選手も含みます)の地位向上を図る為です。
しかし、そんな中でMリーグに最も多くの選手を輩出しているプロ団体である日本プロ麻雀連盟の理事が「麻雀界みたいなところ」なんて自嘲してしまえば、麻雀業界の地位向上は遠退いてしまいます。寧ろ、麻雀のプロ選手を将棋や囲碁のプロ棋士と同程度の正業であると世間に認知させるよう努力する事こそ、プロ団体の役員としての使命であると言えます。

かつて、落語家の桂米團治(4代目)は、その弟子である桂米朝(3代目)に対してこう語ったそうです。

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

桂米團治 (4代目)

これは、戦後間もない昭和20年代前半の話ですが、その後多くの落語家の尽力により、今では「芸人」と言うよりも「芸術家」に近い存在となり、その社会的地位は往時と比べるまでもなく高まっています。勿論、落語家として名声を得られるのはほんの一握りではありますが、少なくとも寄席でトリを務める程度の名人が「末路哀れ」なんて事にはなりません。
果たして、麻雀プロの社会的地位が落語家と同程度にまで向上する日が来るのかどうか、一介のアマチュアに過ぎない私には分かりません。しかし、折角Mリーグという夢を見られる場所が生まれたのですから、少なくともトッププロと呼ばれるような選手には「ロクな死に方」をして欲しいものです。

現在、Mリーグは4シーズン目に突入しています。「まだ4年目」なのか「もう4年目」なのかは人によって感じ方が違う所でしょうが、サッカーのプロリーグであるJリーグの発足から未だ30年も経っていない事を考えれば、Mリーグだけでなく競技麻雀のプロ団体にもまだまだやれる事は多いような気がします。そして、そういう関係者の努力が少しずつ結実して行けば、自然と「歌舞伎町の前の靖国通りの中央分離帯の中で凍死すれば良い」なんていう自虐も消えていくものと思っています。

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