神と宗教、勧誘と喧嘩。そして、祈り。
神は本当に巧妙なトリックを仕掛けたよね。
37兆だか60兆だか知らんけども、そんなにも膨大な数の細胞を巧みに操るという神秘的極まりない人体を創り出すことが可能な神には、安易に出来たはずなんだ。
外側ではなく内側を見ることを優先するシステムを、予め搭載出来たはずなんだ、全人類の標準装備として。
意識と無意識の比率及び、それらが影響を与える分野の内訳をいじることも、出来たはず。
“他人と己を比較する視点は極めて重要度の低いもの”として即刻処理されてしまう脳を創ることだって、シナプスなどのとんでもねー物質を生み出した神の手にかかれば朝飯前だったはず。
無駄に湧き起こる自責の念など、そもそもほんのり嗜む程度にしか感じないような心を、デフォルトで設定出来たはずなんだ、すべての人類に平等に。
でも、神はそうしなかった。
ニンゲンが地球を生きる上で、本来とっても大切なはずのそれらを、敢えて平等の標準装備にはしなかった。
そのことを考えると、実にユニークなトリックだなぁと思う。
けどさ、やっぱりさ、意識せずとも呼吸が出来るのと同じくらい、自然に簡単に、出来たらいいのにね。
“自分を愛する”“自分にやさしく”ってやつをさ、練習なんてしなくてもいいくらい簡単に、呼吸をするように。
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あれは15年ほど前だっただろうか。
まだ宇宙の法則を知らなかった頃、とある宗教勧誘の2人組と、本気の喧嘩(?)をしたことがある。
真夏の暑い日…そうだ忘れもしない、いや今この瞬間まで忘れてたけども、私はその日3度目の洗濯物を干していた。汗だくでな。
そんな私に、もう幾度となくお断りを続け退散いただいたはずの、とうに顔を覚えちまった2人組が、いつもの如く極めてにこやかにススス…と近寄って来て、懲りもせずに幾度目かの演説を始めたのだった。
苛立ちは、
・クッソ暑い中で小さい子どもの砂遊びを見守りながら3度目の洗濯物を汗だくで干すというタスク
・洗濯カゴと物干し竿を行き来する私の背後を付き纏い離れない
という2種の事案が織りなす技ということもあるが、それよりも私の琴線に触れたのは、目を合わせようともしない私の背中に捲し立てるように放たれた次の台詞だった。
『最近のね、ニュースを見てどう思います?辛い気持ちになりませんか?悲しい気持ちになりませんか?許せないような残忍なことをする悪がたくさんあるでしょう?とても人間とは思えないような悪が溢れているでしょう?神はね!その悪を排除してくれるんですよ!悪いことをする人達をね!!排除してくれるんですよッッッッッッ!!!!!!』
…いや語気強すぎだろ笑 と不覚にも笑いそうになりながらも、あたしゃ聞き逃さなかったね。
“排除”………だと………?
我が子達の解説によると、
「お母さんは、本気でキレると顔が“無”になる」
「スンッ…と表情が消え去る」
とのこと。
なのでおそらくその時の私は、“無”だったと思う。
洗濯物を干す手を止め、スンッ……と静かに振り向き、彼女らの目を見据え、努めて冷静に尋ねた。
「…排除…?」
するとどうでしょう、私のその反応は、彼女らを“やったぁ!ついに、やっと、響いたぞ!刺さったぞ!”と勘違いさせるに至ってしまったらしく、
『そうなのよッッッ!!!!!だからね*〒¥$#<☆♪・〒<〆×€』
と、キラッキラの笑顔で、排除の詳細を更に捲し立てて来るのです。
その弾丸をすべて浴び終えてから、やはり努めて冷静に、無の表情のままで私は切り出した。
興奮すると早口になる特性を極限まで抑え、戦場カメラマンのあのお方をイメージしながら、ゆっくりと、丁寧に慎重に。
「私は、この世のどの宗教も否定しません。日本は宗教自由ですしね。だからと言って特定の宗教への興味も、さほど。…まぁ、強いて言えば、例えば人が亡くなった時、教会でお祈りをするよりも、お線香の香りのお寺で手を合わせるほうがしっくり来ますけど…」
…そう前置きした上で、神のことなど当時なんも知らんけど、私は断言した。
「あなた方の仰る“神”が、人間を創ったんですよね?それなら神は間違ってますね」
「「どうしてッッッ?!?!?!」」
今度は彼女らの琴線に触れたのだろう、にこやかだった彼女らの表情が、突如として豹変。
わぁ!お面かなんかでこの顔見たことある!と思った。
ヒィッ…!と思った。
でもあたしは、屈しなかった。
「だって…………」
シチュエーションに入り込みやすく酔いやすい、という特性を今度はふんだんに活かし、そう呟きながら女優の表情で、砂遊びに興ずる我が子に目をやる。愛おしさと慈しみを最大限込めた表情でね。
そしてその表情のまま、改めて彼女らの目を見据える。
「……神はさぞ悲しいでしょうね……己の生み出した我が子達が、こうしてむごたらしい事件をたくさん起こしてさ、戦って、殺し合ってさ。…でも私には出来ないですね、排除なんて。あの子達が将来悪事に手を染めてしまう日が来たとしても、私はあの子達を排除しようだなんて絶対思えない」
珍しく(?)、言葉に詰まるお2人さん。
勝ったか?!…と心の中でほくそ笑みつつ、イタズラ心で更なる追い討ちをかけてみた。
「輪廻転生って、ご存知ですか?」
するとお2人さんのうちの1人は困った表情に、もう1人は哀れみのような表情で、“ごめんなさい…聖書では、輪廻転生の概念は、ないんです”と仰る。
ハァーッハッハッハッハッハッ!!!!!!(?)
知ってるよん!
だってあたし、昨日、つい昨日、あなた達とこうしてお話するにはタイミングが素晴らしく良すぎるつい昨日、輪廻転生と聖書についての文献、たまたま読んじゃったとこだもんねーー!!
かかったな?!…と、更に心でほくそ笑む。
だから私は、彼女らを上回る哀れみの表情をこさえ、仕入れたばかりのホヤホヤ知識を披露してやったんだ。
「……あったんですよ。私も知らなかったんだけどね、一説によると、確かにあったんですって。紀元前300何年だったか…詳しい数字は忘れたけど、その頃までの聖書には、輪廻転生の概念が書かれてたって。でも人の手によって、それこそ排除されたって。理由はわからないけど。なんか都合悪かったんじゃないですかね?
神が伝えたかったことを記したのが聖書だとしたら、それさえさ、こうしてさ、人の手が加えられてるんですよね。神が伝えたいことを排除してそれを広めるなんて、それこそ悪だと私は思いますけど。そしてそれを真実として、みーんな信じちゃってるし。そう考えると、真実って、なんなんですかね?」
…本音を言うと、あたし、この最後にね、
“はん!おととい来やがれ!!”
って、言いたかった。すごくとても言いたかった。
漫画やドラマでなく、この現実界で、その台詞を吐くのに相応しい瞬間を、いつも待ち侘びていたからさ。
だがしかし、想像以上にダメージ喰らってる風の、意気消沈した彼女らには、その台詞は吐けなかった……こう見えて、優しいんだあたし。
あれから約15年、その台詞を真剣に吐く刻を今か今かと待ち望んでいるが、未だそんなシチュエーションは、来やしねぇ。だいいち現実界はねぇ、
おっ話それる
あたしの無が怖かったのか、ほくそ笑み熱弁が効いたのか、はたまた己の信じていた真実への疑心を抱いたのか…
…まるで勢力を失ってしまった彼女らと、その後はあたしの持ち前の馴れ馴れしさを活かして、何故か宗教など無関係の和やかな雑談に発展。
そうして彼女らは、朗らかな雰囲気の中、
『…改めてお勉強します。お忙しい中、ごめんなさいね』
と言い、
『あの、きっとご存知なんでしょうけど…これ私のなんですけど……あなたに差し上げます、受け取ってください』
と、彼女の私物らしき聖書を置いて去って行った。
バイバーイ!!
これにて一件落着…と、思うじゃん?
──それから1ヶ月ほど経った頃。
ピンポンが鳴ったので出てみると、あのお2人さんのうちの1人の来訪だった。
お主ッッッ?!?!来よったな?!?!
…思わず左腰に備わるエア鞘に手を添え、エア刀のエア柄巻に指を這わす。こう、かっこよくさ、小指から順番にゆっくり且つ力強く柄を握るあの感じさ。
そんなうっとりの抜刀の構えで臨戦体制を取りつつも、“勉強します”と言い残した彼女を思い出してしまったので、ちょっぴりワクワクして、エア刀はエア鞘に戻してから、ドアを開ける。やっぱあたし好奇心には勝てないんだわ。武士たるもの、この好奇心を前にして、刀を抜くなど出来やしないね。
するとどうでしょう、彼女はドアを開けるや否や菓子折りを差し出し、
『突然ごめんなさい、あの時はごめんなさい』
と、武士の手本のような最敬礼をして見せる。
お主ッッッ?!いったいぜんたい、なにがなんだか?!?!
…と思いつつ、そのような謝罪のムードが非常に苦手な私は、押し付けられた菓子折りをひとまず受け取りながら、ピンポン来るまで見ていた録画“千と千尋の神隠し”が浮かび、
“ひひひ…どうしたんだい…”と、湯ばーばをイメージしたおふざけ口調&声色で、思ったままを口にした。
咄嗟の苦肉の策だった。
そしたらさ。
『あのねッッッ!!あの時のあなたがね、光ってたんですッ!!!』(原文まま)
…と、叫びに似た口調で彼女が言った。
あたしは堪え切れずに吹き出した。
「フォッ笑……ひ、ひかッッッ…?!」
…彼女の話を要約すると、
・あれからずっと、真実とは何か、信仰とは何かを考えさせられている、答えはまだ出ていない
・変わらず信仰は続けるが、布教の形は考えねばならぬと思った
・たくさんのお家を回ったけれど、あなたのような人には会ったことがない、若いのに偉いわね
・何度も何度もしつこくお邪魔してしまったことを後悔している
・でもそのおかげで、ああしてあなたとお話する時間が出来たとも思う
とのこと。
とにかく彼女の何かに触れたんだろうね、気付き的な、パカーン!的なやつにさ。
そのことが彼女に大きく影響したらしく、おそらくその比喩として私を光に見立て、菓子折りまで用意することになったのだろう。
謝罪ムードの居心地が悪かったから、本当はふざけて“ハッハッハッ、わかりゃあいいんだよ、わかりゃあ”とか言いたかった、とてもすごく。
しかしそれはさすがにアレなもんで、そこはグッと堪え、
「いやぁそんなぁ褒めすぎですよぉこちらこそ偉そうに語ってごめんなさいねぇなんなのもぉお菓子なんてわざわざ〜あの時さぁねぇ〜」
と、持ち前のアレで場を和ませていたら、
『引っ越しはいつなの?』
と不意に真顔で聞かれる。
あの戦闘Day、最後の最後で訪れた和やかな雰囲気の中、なんかの話の流れで、
“あたし今家建ててるんだー!もうすぐ引っ越すの、ここからいなくなるんだ!”
…と伝えていたんだよね。
あっ喧嘩したとは思えない親しげな距離感?
…なので、来月かな〜?と答えると、
『そう…。寂しくなるわね…』
と、あたかも親しい隣人かのような台詞を、あたし顔負けの女優な表情で呟いたあと、脈絡なく彼女が言った台詞が、図らずも、それから約15年もの間、時折私を励まし続けている。
『あなたは、どこに行っても大丈夫。どんな環境に置かれても上手くやれると思うわ。会えなくなるのは寂しいけど、心配はしてないの。どうかそのままの、あなたのままでいてね。負けないで。あなたは絶対に大丈夫』
照れ隠しで“光っていられるかしら?”と笑いつつ、唐突に虚をつかれた感覚に、素直に泣いてしまった。
どうにも生き辛い、どこに行っても浮いてしまう、しかし己を殺してどこでも馴染むことが出来るような、この地球ニンゲン下手くそっぷりを、見抜かれたような気がしたんだ。
そうして熱い握手を交わし、ほんとうのさよならをして、聖書は返さず、それからは2度と、彼女らを見かけることさえなくなった。
こんなん貰っちゃったもんね〜!と、周りに立派な菓子折りを自慢したら、毒入りかもしれない!食うな!捨てろ!との批判が殺到したが、そりゃ大変だってんで、あたしゃ全責任を負うことにして、誰にも分けずに1人ですべてを貪った。
お腹は壊さなかったし、お菓子は超美味しかったし、喧嘩したけど仲直りもしたし、何より私はどこに行っても大丈夫なのだといううれしい台詞を貰えたし。
今思えばあの台詞は、universeが彼女を依代にして私に伝えてくれたMessageに違いないんだけどさ、あっあの時はありがとうねuniverse、まんまと今も励まされているよ、けれども当時はさ、universeだのなんだのは知らないもんだからさ、あんたがたどこさ。(?)
あたしの人生と一瞬だけ交差したあの女性が、今もどこかで元気にしてるといいな、穏やかに軽やかに暮らしてたらいいなと心から思う、この気持ちは彼女らの信仰で言うところの“祈り”だと思う。