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私たちはいつも、幸せと恐怖の狭間で生きている 幸せになりたいと願いながら 隣に見える恐怖に怯えては 掴み取る勇気を失って、誰かの何かのせいにする 幸せとは命が生きている時だ 大切な人の命が危険にさらされた時 私たちはようやく 幸せはそこにあったことに気づく なくなることを受け入れざるを得なくなった瞬間 やっと私たちは 一生懸命、すなわち命を懸けることを始める それは、過酷で苦しいけれど 決して遅かったということはない なぜなら、幸福と恐怖は表裏一体だから
それは、一通のメールから始まった。 2005年6月18日 けいへ 今、どこで何をしていますか? 大事な話があるのですが、いいですか? 心をしっかり持って、聞いて、またはメールを読んで欲しい。 けいも、もう子どもの親だし、どんな話を聞いても、知っても、 乗り越えていけるよね、大丈夫よね。 ダメなら、ダメと言ってね、 母より ーお父さんが死ぬー 直感だった。 いいや、そんなはずない。 お父さんの病気はただの”膵炎”だと聞いている。 ていうか、私が 「