KinKi沼に浸かった話

これを書いてる2021年9月現在、わたしはKinKi Kidsのコンサート映像をみて、先人たちのブログを読んでは過去のキンキのエピソードを摂取し、その愛をTwitterに書き散らかす日々を送っている。
これまで特に熱狂的にタレントを応援することもなく30数年生きてきたけど、
2020年11月、Amazonプライムビデオで配信されていたKinKi Kidsコンサート映像をみたことでそんな凪の日々は終わりを告げる。

私を沼に落としたのは、アマゾンプライムビデオエピソード1「We are KinKi Kids Live tour 2016 Tsuyoshi&Koichi 」。
そこにはデビュー20年に向けて圧巻のパフォーマンスをみせる2人の姿があった。

1997年のデビューから2年くらいの間、ローティーンだった私は周りと同じようにKinKi Kidsが大好きな少女だった。
それからジャニーズやテレビから離れて、
思春期を過ぎ、大学に通って、企業に就職した。
転勤、結婚、育休、復職…とキャリアを重ね、気づいたら30代半ばになった。

私がそんなふうに平凡に年を重ねている間、
キンキの2人は一途に歌や踊りの道を極めて、
ずっとステージに立ち続けていたんだ、と感じると、自然に涙が流れた。

特にそれを感じたのは「硝子の少年」。
人気絶頂の中デビューし、売れに売れた90年代。
20年以上前にティーンの頃に歌った曲を、今だからできる情感を込めてあの頃とは違った味わいで、むしろ今の方が自分たちの歌として大事に歌ってる姿は、シンプルにかっこよくて、最高だった。
たしか松本隆が詞を書いたときに、できれば長く歌って欲しいといっていたことを数年前のNHKの番組でみて知っていた。
しかし本当にこんなに自分たちの歌として大事に歌い続けてるとは知らなかったのだ。
言葉を選ばずに言えば、最大のヒットソングとして挨拶ソングとして流して歌ってるのかなと思っていた。
予想は大きく裏切られた。

思えばデビュー当時のキンキは今よりも歌がうまいわけではなかったという記憶があって、人気絶頂の中、哀愁漂い幅広い年代に響く楽曲の力も後押しして売れに売れまくったという印象を持っていた。
でも、2人はLOVE LOVEあいしてるでの音楽的な出会いも含め、この20年努力を重ねて、自分たちは歌でやってくんだっていう覚悟を決めてミリオン歌手の看板に恥じない実力をつけていったんじゃないかと想像し、その道のりにアマプラをみて感動した。
そしてキンキの哀愁漂うポップスは、若いジュニアからおじさんのカラオケまで誰もが歌えるけど、でも俺たちがオリジナルなんだという圧倒的な風格があった。
このきらめきよ!わたしはノックアウトされた。

以下はコンサート映像見ながら最高に大好きだと思った楽曲と、みながらとっていたメモ。
今読むとラフで恥ずかしいけど、沼に落ちた衝動が感じられるのでここに残します。

「スワンソング」
松本隆が渾身の作詞をしたのが感じられる。
ドラマチックな歌詞の世界が、2人が歌うことでぶわっと立ち上がるのがすばらしい。

「キスから始まるミステリー」
金田一少年の頃から歌い続けてるとは思えない。今も全く違和感がない。

「愛のかたまり」
これ作詞作曲KinKi Kidsって尊すぎる あらゆるひとがカバーしてるがオリジナルこそ至高

「ジェットコースターロマンス」
山下達郎の多幸感サウンドが素晴らしい

「薔薇と太陽」
剛がギターで光一が踊る
もう2人そろって合わせるつもりがないパフォーマンス形式になってて最高 
ねっとりマイナーな曲調と2人のユニゾン、これぞキンキの真髄を感じられる。
21世紀、生バンドを背負ってたった2人でここまで華のあるパフォーマンスができる歌手がどれだけいるだろう!?
今ここにない景色が立ち上がる歌謡の世界。
タイムスリップしてこれまでの日本の歌謡の名手たちの前でパフォーマンスしてほしい。
どの時代のスターにも負けない力と華がある!


…たった1年足らず前のテキストなのにちょっと前に感じられて恥ずかしい。
それだけ、キンキにはまってからの毎日が濃いのかもしれない。

私がハマってからのキンキは怒涛のソロ活動期で、グループとして歌って踊る姿をみることが少ない。
それにさみしさを感じないわけはないけど、
今の私は2人がそれぞれの道を極めていて、個の力がとんでもなく強いからこそ、唯一無二の輝きを放つんだと知っている。

冬にきっと見られるのであろう2人の活動を心待ちにして、その間にわたしがクラクラになったキンキの魅力をこうして綴れたらいいなあと思っている。

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