頑張るアレルギー発症後の生き方
前回の投稿で “頑張るアレルギー” について話しました。
今日はその後の生き方と考え方について書いていこうと思います。
気楽でいこうよ、なんとかなるさあ。
みたいな話ではありますが、もしあなたが元気がないならこういう生き方をしている人もいるんだなと思ってもらえたらと思います。
頑張るアレルギーについては前回の記事も見てみてください。
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さて、「今日が最後の日かも知れないと考えて後悔のないように生きることが大事」とよく言われます。
そうやって一日一日を大切に生きることは大切だということですね。
朝、目が覚めるだけでも感謝して、精一杯生きる。
今日が最後だとして、だったら人生最後の日は仕事で追われるより、大切な人と過ごしていたいなとかもっと感謝の言葉を伝えにあの人に会いたいなとか。
だから、そういう言葉を日頃から伝えるんだよっていう意味ではありますが…
明日やその先の人生、さらには頭に浮かぶ大切な人を考えるからこそ今日も仕事に向き合う場合もあるわけです。
そういう状況でも、今日が最後なら、それなら仕事に行かずにあの人に会いに行こうとか、現実的ではない発想になるわけで…。
そうやって、面倒なくらい色々考えちゃうから、私はどうも冒頭の言葉が入ってこなかったんです。
わかってるけどさぁー?!みたいな。笑
伝えたいことの意味を頭ではわかっているんですが、どうも想像ができずリアルに自分の中に落とし込めませんでした。
ただ、「もしこれが最後の地球人としての人生ならどうしたいか。」と考えたらすごく腑に落ちたんです。
転生を信じるかは一旦おいておいても、これが最後の人生であるなら、苦しいことも楽しいことも楽しみ尽くしたいと思えました。
そして、仕事も必要なら頑張れるし、必死に生きられるなと思いました。
決して、また生き返るとかやり直せるとか考えていたわけではないけど、どこか長く続く(ように感じる)人生とどうやって向き合えばいいのか社会人になってから迷子になってしまったんだと思います。
多分それは私がCAになることが目標で夢だったから、叶えた途端、何をしていいのかその先まで考えられていなかったからというのも関係しているかも知れません。
大学受験でもよく聞きますが、俗に言う「燃え尽き症候群」ていうやつですね。
まあ、そのまま会社のレールに乗っていればいいやとも思っていたんですが。
ただ、一方で何かもっと大事な向き合わなきゃいけないことがあると感じていました。
そして、今思うその向き合う必要のあることは自分自身についてだったと最近感じています。
無理に押し込めていた自分の感情と性格がここ数年で爆発的に全面に出てきているのを感じています。
その上で、この自分でどう生きていくのか。
道路の整備作業をしているような感覚です。
ずっと、スポーツカーで移動していると思ったら、大型トラックで移動していたことがわかったみたいなことが起きたわけで…。
そうなるとこのままでは通れない道が出てくる。
ずっと、自分が大型トラックなのが嫌で荷台をつけずにスピードを上げてスポーツカーに並んでいたけど、それでも何か満たされない。
そんな感覚かもしれません。
だったら、自分の本来の姿を認め、自分にしかできない役割を全うした方が幸せなのではと考えるようになったわけです。
その上で、今後の道のりを選択し、作り上げる必要があったのかもしれません。
なんとなく、果てしなく感じていましたが、もしこれが地球に生まれるのが最後なら何がしたいか。
そう考えたとき、私はやっぱり大切な人と楽しい人生を生きたいし、自分の可能性にチャレンジしてみたいと思いました。
最近、やっとそういう気力が湧いてきました。
うつになってから2年近く経ちました。
完治とかそういう診断は分かりませんが、ここ最近ようやく”活力”という言葉を思い出してきました。
人生の道を歩く元気が出てきたんです。
現状で色々な悩みなどと戦っている人もいるかもしれません。
私のように、燃え尽き症候群で目標を失ってしまった人もいるかもしれません。
思ってた道と違う方に来ちゃったなあ。なんてこともあるかもしれません。
ただ、そんな人にもゆっくり自分の道を照らす明かりをつける作業から初めてほしいなと思います。
無理にありのままの自分を認めようとしなくてもいいし、別に座って休んでもいい。
ただ、この一本続く道を今の自分でどうやって歩くかというだけなんだと改めて最近は思います。
ペースなんて決まってないし、ましてゴールだって自分で決めていい。
ただ、ドライブそのものを楽しめばいいんですよね。
どこで休もうと他人には関係ないんです。
大事なのは、そこで自分を知ってその自分との二人三脚を諦めないことだと思います。
頑張っていない=怠け者っていう風潮のある世の中ですが、個人のエネルギー量は人それぞれ違うわけです。
なんなら、頑張っていない今も生かされている。
周りがなんと言おうと、ただ地球で空気を吸っているだけでその権利をもらえた私たちはラッキーかもしれません。
少なくとも日本に生まれてること自体がラッキーとよく言いますが本当にそうだと思います。
夫はよく替え歌を歌うのですが、思わず笑っちゃった替え歌がありました。
それが「あゝ人生に涙あり」の歌詞、「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」の部分。
夫は「じーんせーい、ラクだーーラクだーーーラクだーーーーー」
と歌っていました。笑
能天気にも程がある。笑
けど、そういうのも結構大事だなと最近は思うんです。
夫は元から前向き…というより能天気なタイプの人ですが、そういう風に自分自身に言い聞かせるみたいなのもありかもしれないと思ったんです。
(夫はハリーポッターの幸福薬を飲んだ状態に似ています。)
私たちって、歌とかドラマとかそういうのから、嬉しいことの後には悲しいことがあるとか、そういう風に考えがちです。
もちろんいいことばかりではないかもしれないけど、始まる前から必要以上に苦労を考える必要はないのかもしれないなと思いました。
むしろ、人生ここからは楽しいことばかりだぞと自分に言い聞かせてる方が、ちょっとくらい大変なことが起きても、「どう乗り超えてみようか」とゲーム感覚で考えられるかもしれません。
少なくとも「ああ、やっぱり苦労がきたわ…」とドヨーンとなるよりいいのかもしれない。
そうやって歌にして自分に言い聞かせてみるのもいいかもしれない。
そう思ったので、ここからは地球での最後の人生を鼻歌を歌いながら少しずつ進んでみようと思います。
今日も一日お疲れ様でした。
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