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頑張るアレルギー 〜頑張るとって「嫌なことをやること」らしい〜

最近YouTubeでTOLAND VLOGというチャンネルをよく見ています。
神話系の都市伝説YouTuberなんですが、先日上がった動画が、エコビレッジビルダーの方のインタビューという内容でした。



その動画で衝撃的だったのが、「頑張るはやりたくないことを無理してやること」という言葉でした。

私たち日本人は気づけばやりたくないことも、無理してでもやっていこうとしていることは多いかもしれません。

何かやっていないと怠け者と思い、何かしなきゃ。と。

それでいて、自分の時間を削り、忙しい・時間がないという言葉が口癖になっていることも多いかもしれません。

2年前、病気になり仕事を辞めてからというもの、自分と向き合う時間が増えました。
ですが、絶えず頭に浮かぶ言葉が「何かしなければ」でした。


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思えば、自分が何をしたいのか、本当の気持ちには見てみぬふりをしていることも多くあったかもしれません。

親や先生、友人など周りの顔色を気にしては、嫌われないように、怒られないように、呆れられないように無理をしていた気がします。

TOLAND VLOGの語り手サムさんの考え方は、私自身共感できるものも多くあります。
色々な動画を見ているのですが、やはりこの成長過程の価値観形成と大人になってからの心理的状態には関係があるのではないかということについて語っている動画もありました。

そこでもやはり、周りの評価や顔色を気にしてうまくやってきた人ほど大人になってバランスを崩しているという話でした。


一方で、幼い頃からいい意味で「いい子」でいることをやめた人は自分らしく生きることに慣れているという内容もあり、そういうこともあるかも知れないなあと思います。

幼い子供にとって、大人の言うことは絶対で、誰もが親の喜ぶ顔が見たいからこそ、褒められたいという思いで行動していると思います。

それがわかりやすく出たのがテストの点数や成績で、幼い頃の私はまさしく、褒められたい一心で頑張っていた子供の一人かもしれません。

勉強自体嫌いではなかったので、そこに苦痛を感じたことはありませんでしたが、自分が自分らしくあることより、ほめられるために無難な行動をとるほうが楽という感覚が私のなかに芽生えたのは事実あるかもしれません。

本当に楽なら、問題ないのかもしれませんが私の場合、自分を否定してまで無難な行動を肯定するようになっていたのでした。


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ところで、最近読んだ本で「いい子症候群」という言葉を目にしました。

金間大介さんの書かれた「先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若もたち」という本にでてきました。

・いい子という評価でいたいから無難な行動に出る
・積極性には欠けるけど言われたことには真面目に取り組む

特徴の一部ですが、いわゆるZ世代と言われる世代に当てはまる特徴とも言えます。

本の中では、教育と若者の特徴の関係性が書かれていました。

特に、ゆとり教育と呼ばれる教育制度の中ではそれまで以上に周りと協調することが求められるようになりました。

そういった教育方針の中で、興味・関心・態度といった項目さえも点数をつけなければならず、そういった環境で育った学生たちにでてくるのが、「いい子症候群」の特徴の一つのようです。 

つまり、協調し平等な結果になる必要があるため、抜きん出ることは許されない
そんな同調圧力がより顕著にでてしまい、それが「いい子症候群」に関係しているかも知れないと…。

(出典:「先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若もたち」金間大介著より)


私はまさしく「いい子症候群」なのかも知れないと思いました。

現代の大学生の特徴として書かれていますが、ゆとり教育の始まりと同時に小学校に進学した私の年代にも影響のある内容かもしれません。

この本は、いわゆる「今時の若者は…」的な感じでも読めますし、私みたいに、共感しながら読むこともできるので、どんな世代にもおすすめです。

特に、20代前半の部下を持つ人には参考になる内容が多く含まれているように思います。

現代の大学生の生態について書かれているわけで、最初はまさか私も共感することになるとは思いませんでした。

ですが、ゆとり世代ど真ん中の私の年代もこの特徴を有しているのかも知れないと、教育制度の説明を読んで妙に納得してしまったのでした。


***
実際に、私の中でいい子でいなきゃと意識するようになったのは、小学4年生頃でした。

他人の目を気にするような年代になったからかも知れないと思っていましたが、同著によれば統計的に見ても、そのぐらいの年代で授業内での挙手する人数が減っていくようです。

それまでは、なんとなく元気に走り回っていても、少し成長をして自分と他人というものを意識し始めると、「目立ってはいけない」という思いが日に日に強くなっていきました。

そして、それは教育の中で自然と出来上がってしまうものかも知れないという一説に妙に納得をしてしまったのです。

おそらく、大人になってから、「自分らしさってなんだろう」「人には言えない自分もいるんだよな」と悩む人はいると思います。

高校生の頃の思春期の頃に悩む内容である一方で、その頃は周りの目が第一でしかなく、そのことに悩む時間は十分に得られないまま社会人になってしまった私のような人間にとって、これは後回しにしていた課題のようなものかもしれません。

最初に話した「頑張る」は私にとって、当たり前のフレーズでしたが、本来の私はそこまでしてしたくないことも多くあったのかもしれません。

いや、あります。
上司の顔色を伺うとかね。女性社会特有のあのマウント大会とかね。

そんな心の叫びが今、体調や価値観に全面に出ているんだと思うと、むしろ、正常なのかも知れないと思うようになりました。

一種のアレルギー反応みたいな…。
「頑張るアレルギー」発症後は、もう人生の中で十分に頑張り成分を使い切ったってことかもしれません。

頑張らずにできることを探していきたいな。
なんて最近は思っています。

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