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結婚

最近、彼と結婚について話すようになりました。

先日の記事でも書いた私の結婚への価値観。


今回は具体的に私が彼と話し合う中で
考えたことについてお話ししようと思います。


主に私の結婚に対する迷いと考え方、
そして彼と結婚すると決めたポイントについて
お話ししていきます。


ちなみに現状はまだ婚約段階。
こんなご時世で顔合わせが難しいため、
少しゆっくり話を進めています。


なので考えが変わっていく部分もあるかもしれません。
とりあえず現時点での考えになっています。


***
私は結婚について考えたとき、
どうも自分の人生を犠牲にするような
そんな感覚になって迷いが出てしまいました。


結婚自体はしたいんです。
もちろん彼としたい。


でも、何が私を引き止めたのか…。


それは、多分自由がなくなることに抵抗があったのかもしれない。と思います。


まだ自由に時間やお金を使っていたい
まだまだ子供な私は思ってしまったのです。


結婚というと、私の中では自分を犠牲にしてでも
家庭を守っていく姿が想像されました


現代、様々な結婚の形がある中でもやっぱり、
幼い頃からのイメージを覆すことは難しかったのです。


どちらかというと相手の方が

「色々な形があるんだし、
   自分たちの結婚生活を模索していこうよ」

と前向きに考えており、それに対して私の方が



「まだ自由でいたい〜」
「結婚するなら家庭に入らなきゃ〜」



と駄々をこねているような状態でした。
どこか昔ながらの結婚生活を想像してして憂鬱になっていたのです。


よく聞くのは男性の方が自由を求めて結婚を渋るというもの。


そうなるだろうと思っていた姿とは正反対でした…。


ただ、話し合う中で、私がどれだけ固定概念に
取り憑かれていたのかを実感していったのです。


***
現代には、色々な考えがあります。


伝統をよしとする文化も大切である一方で、
囚われすぎると苦しくなってしまうということを
今回実感しました。


もちろん、伝統も大切にしていく必要はあります。
蔑ろにはできません。


ただ、結婚をして家庭に入る文化は
女性の社会進出が進んだ今、
そして働くことが好きな私のような人間には
合わないのだと感じたのです。


人気ドラマ『逃げるは恥だが、役に立つ』が流行した当時、私はまだ大学生でした。


結婚なんてまだ先のような気もしていて、

「こんな形もあるんだ〜良いなあ」と。

特に何も考えず、憧れだけを持っていました。


そんな私ですが、いざ実際に結婚話が出ると
そんな契約結婚なんて形は忘れて
自分の中の固定概念の中におさまろうとしてしまったのです。


そして、その固定概念の窮屈さに逃げ出したくなったのでした。


でも、本当に逃げ出すべきなのは、
彼との結婚ではなく、自分の中の固定概念
だと気がついたのです。


私は、専業主婦になるつもりはありませんでした。
「家事をやってくれるだろうという期待はしないでほしい。」
と相手に伝えたことさえあります。


なんて、可愛げのない…。笑


ただ、私にとって自分が妻となり、母となり、
その役割に飲まれて自分でなくなってしまうことこそが一番の恐怖だったのです。


その全ての役割を可能な限り両立していきたい。


私の理想はアメリカのホームステイ先で出会った家族のような関係です。


全員が自立し、一人の人間として尊重されている関係。


子供にもわからないことは一度教えるが、
その後は自分で全てやらせる。


「前に教えたでしょう?」と。


そして、子供を学校に送り出した後は、
自分の時間を大切にするお母さん。


週に一回家族の時間があって、
レストランで夕食をとって、
帰ったあとはみんなでお部屋で映画を観る。


現実は難しくてもそれが私の理想なのです。


実際にそんなアメリカ人の家族に
数日お世話になった経験があり、
だからこそ、そのような家庭は私にとって
どこか現実的な理想となって心に残っていました


***
現在ではそんな風に考えている私ですが、
もともとは専業主婦になるつもりでした。


母も専業主婦で私たち姉弟を全力で育ててくれました。


そんな姿を見ていたからこそ、尊敬し、
自分もそんな母親になりたいし、なるべきだと思っていたのです。


理想の家族像を心の奥に持ちつつ、
母のようにならなければと思い込んでいました。


そんな私の考え方を変えた恩師がいます。


その恩師に大学生のとき言われた言葉が、
今私が頑張る原動力にもなっています。


「せっかく教育を受けて、能力を持つ女性が、
社会を後にすることはもったいないこと。
将来、自分の子供が生まれたとき、
その子供にかっこいい親と思って欲しいでしょ。
だから私は働き続けてほしいかな。」


この言葉を言われたとき、私ははっとしました。


もちろん、専業主婦であることはすごいことです。


どちらの方がいいということを言いたいのではありません。


ただ、このとき感じたのは、私の中にはどこか、「働いていたい」という気持ちがあったのです。


それでいながら、“いい母親とは”と考えた時に
専業主婦になることだと
自分に無理矢理言い聞かせていたのだと気が付きました。


環境や自分の信念で仕事をやめるのとは異なり、固定概念により無理矢理、自分の中の正解を変えようとしていた点に問題がありました。


なぜならそれは私の考えではなかったから。


私の性格には当てはまらないことだったからです。


自分の心を無視することほど苦しいことはありません


YouTuberの別居婚などの新しい家族の形にも
様々な意見があるそうですが、
私はどこか自由な考えに羨ましくさえ思っていました。


金銭的余裕さえあれば誰でも叶えうる環境だからです。


自分たちで考えて話し合って決めた二人の形を作っているのは本当にかっこいいことだと思います。


自分の正義を自分の価値観と性格に合わせて柔軟に選び取ることができる人は本当にかっこいい。


私も相手と話し合って自分たちの答えを出し、
二人の形を作っていくことが大切だと改めて思いました。


***
ところで、最近、知り合いの離婚した話も聞くようになりました。

離婚ありきは違うけれどみんな自分の人生を
自分で握っている感じがかっこいいと思いました。


もちろん、大変なこともあるし、辛いこともあると思いますが、
自分で選択していく彼女たちは芯があってかっこいいと思います。


私は結婚について考える中で、
きちんと自分の人生を握っている必要があるな
と考えるようになりました。


そしてその中で、
「幸せにしてくれる人と結婚する」
という言葉に違和感を感じるようになりました。


幸せってしてもらうものじゃなくて、
自分でなるものだよね?と。


「幸せにしてもらう」っていう表現は
他力本願な気がするのです。


そんなことを考えていたら、
先日テレビ番組で中居正広さんが
「結婚は不幸になってもいい人としたい」
と考えを語っていました。


私もそう思います。


不幸な状況になっても乗り越えられる人が一緒なら、どんな時も大丈夫だと思うから。


もちろん、不倫問題やモラハラなど相手が原因の不幸は話が違います。
私の考えている不幸はあくまで環境的な外部的な問題です。


相手がその不幸の原因ならば、それは考え直す必要のある事柄に含まれるかもしれません。


ただ、反対に
彼となら乗り越えられる、一緒に頑張りたい
と思えるようになったら、
結婚に対する考え方が変わりました。


何より彼は私の中の固定概念を解きほぐして
自分たちの道を一緒に見つけようと言ってくれていたのです。


そうやって
自分たちの生き方を見つけていくこと、
     時には自分たちで作っていくこと
が大切なんだと思ったとき、
彼となら大変なことも一緒に乗り越えられる
と感じました。


もちろん、将来はわかりませんが。笑


ただ、何よりここまで悩んだ私に付き合って
一緒にゆっくり進んでくれている彼には感謝しかありません。


なにせ、このご時世とはいえ1年近く期間をあけてからの決心になったのです。


自分の人生は自分で握りつつ、大変なことを一緒に乗り越えられる相手を見つけること。


そんな相手に出会えた私は本当に幸せだと思います。
だから、今は前向きに考えるようになりました。


この関係に感謝しながら、大切にしていきたいと思っています。

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