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国立奥多摩美術館館長の 他の美術館に行ってきた!(Vol.03)上野の森美術館 『深堀隆介「金魚鉢、地球鉢。」』

他の美術館に行ってきた!(Vol.03)


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上野の森美術館
『深堀隆介「金魚鉢、地球鉢。」』
会期:2021年12月2日~2022年1月30日
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2021年12月17日(金)曇り。
上野の森美術館で開催されている
深堀隆介さんの展覧会に行ってきた。
この展覧会については、まったく知らなかったのだが、
コラムを書くにあたり、おすすめされた。
絶対に自らは選ばない類の展覧会だったが、
これも何かの縁だし、
凝り固まった自分の価値観を揉みほぐす意味も感じ上野に向かった。
深堀隆介さんのお名前は知らなかったのだが、
枡や器に透明樹脂を積層させ、
その一層一層に金魚の部分を描いていき、
立体的な金魚が水中を泳いでいるように見える作品は、
どこかで見かけた事があった。
色々なメディアにも露出の多い作家だと思う。
展覧会に行っての感想は、
金魚を描き続けている作家なんだな。
リアルだな。作品が売れそうだな。というものだった。
まがいもなく良く出来た美術作品だなと思った。
しかし、僕が「美術」という言葉を使う時に期待する、
何かワクワクドキドキするような未知なる混沌に、
手を引かれ連れて行かれるようなものではない様にも感じた。
僕が美術に期待するものが偏っているのかもしれないし、
期待しすぎているのかもしれない。
TVのバラエティー番組などで、
美術やアートが扱われる時などによくそう感じる。
優れた美術作品は見る人からの、
多くの誤解や誤読を引き寄せるもの。
美術作品は見る人の勝手な解釈と共に形作られるもの。
そんな思いが僕にはある。
しかし、そんなふうに玉虫色に解釈され得るそれらは、
TVやメディアでは扱いづらい。だからか、
一方向から言語化しやすく派手な側面をもつ
作家や作品が扱われる事が多くなる。
見る側も自ら考える事無く、
それらをただマルっと飲み込めばよい。
そんな美術から何が生まれるのか?
そんな事を僕は日頃から思っている。しかし、
展覧会会場にいる金魚を、
指をさしながら楽しそうに眺めている観客をみていたら、
そんな僕の価値観や見方は、穿ったもののようにも感じられた。
たまには、自らの食指が全く動かない展覧会に
あえて行って見る事も大切な事なのかもしれないな。
【☆5.0】(佐塚真啓)

「西の風新聞」2022年01月01日(1632号)掲載
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