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「選べる時代」だから「生きづらい」?

ここ1年くらい考え続けていることがあって。

それは、いまの時代に生きている人たちが、なんとなく感じる生きづらさの原因の1つって、「なんでも自己責任で選べてしまうこと」にあるのではないかということ。


このことを、はっきりと感じたのは、「この世界の片隅に」を観たときなんですよね。

ご覧になった人も多いと思うけれど、「この世界の片隅に」の主人公のすずさんは、戦時下の広島にいて、あらゆる試練にさらされるんですよね。

「自分の意志で決めたわけではない結婚」「兵隊に体を差し出さなければならないこと」「限られた食料での炊事」。きわめつけが「ひっきりなしの爆撃」と「死んでいく家族や友人」「なくなる右手」です。

それだけひどい状況なのにも関わらず、私があの映画の主人公すずさんに感じたことって(これを言うのはすごく不謹慎な気がして、怖いのだけれど)「ある種のうらやましさ」だったんですよ。

自分の人生を自分で選べないからゆえ、工夫するしかないし、生き延びようとするしかない。迷うほどの選択肢がない。

そのことに、なにか、ある種の清々しさと羨ましさを感じた、んですよね。


不謹慎承知でそう感じてしまったことを告白するのは

今の時代での呼吸のしにくさって

・戦争もないし殺人鬼もいない
・着る服も食べる服もあり学校にも行かせてもらえる
・政略結婚もなければ無理やりお見合いさせられたりもしない
・100%親の跡をつがなきゃいけないって人も昔よりは少ないだろう
・だからこそ、「選んだこと」は全部「自分の判断」で選んだとされちゃうし
・だとしたら、人生がうまくいかなければ、それは誰かの責任ではなく自分の責任で
・いきおい「選択」に慎重にならざるを得ないんだけど
・この時代「選択肢」は数限りなくあって
・一度選んだあとにも「選ばなかった方の道」を歩んでいる人たちの情報があふれていて
・いつでもこの「選択」が最善だったのかどうかを考えながら生きている。


というところにあるような気がしているから。


もちろん、選択の自由がない時代に戻ればいいなんてことは全く思っていない。私たちは、この自由を手に入れるために進化してきたはずだから。

でも、自由に選択できる時代には、その時代に生きている人にしかわからない大変さがある、とも思う。

それを、贅沢と言われてしまえばそれまでなのだけれど。


んでは、また。

明日は「選ぶことをやめてみたら……」って話を書こうと思います。


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[本日のさとゆみ]

取材2.5時間
読書1時間
執筆4時間


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