見出し画像

牧野富太郎が愛した伊吹山

 植物関連の本がすごい勢いで刊行している。先日、東本願寺に参拝した時も同様の本が置いてあってびっくりした。4月から始まった朝の連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎の影響だろう。

 昨年米原市で、東京の練馬区立牧野記念庭園の学芸員・田中純子さんが来られて牧野と伊吹山についてお話をされたので拝聴したが、伊吹山麓に暮らす者としてとても興味深かった。田中さんは現在高知新聞のweb版に「シン・マキノ伝」を連載しておられるが、こちらもとてもおもしろい。

 たんなる偉人伝ではない、そこには人間・牧野富太郎の姿が浮き彫りにされている。

 ところで、牧野は伊吹山を7回訪れている。日本百名山の一つとしても名高い伊吹山は昔から植物の宝庫として知られ、織田信長が宣教師に命じて植物園を開かせたともいわれている。

 私は徒歩で登ったことはないけれど、かつて地元の中学生には伊吹山登山というのがあって、下からご来光を見に登ったらしい。9合目までバスで行き、そこから山頂まで歩くというのが観光の定番コースだ。初夏から秋の伊吹山は本当に百花繚乱。花の種類が多すぎてよくわからないが、ユウスゲの群落やピンクのシモツケソウ、動物の尻尾を思わせる真っ白でふかふかのサラシナショウマなど、本当に美しい。はるか下には琵琶湖も見える。

 1377mとそれほど高い山ではないけれど、気象条件などが作用して植生豊かな山となっている。

 さて明治39(1906)年、伊吹山麓の坂田郡教育会は、牧野を招いて植物講習会を開催した。この時、伊吹山を案内したのが高橋七蔵という人物。上野で生まれた高橋は幼い頃から伊吹山に親しみ、熱心に薬草などを採取し、山にも詳しかった。以後二人の間には交流が生まれ、牧野は伊吹山に登る時は必ず、七蔵が建てた「対山館長生園(たいざんかんちょうせいえん)」に泊まったという。

 米原市にある「伊吹山文化資料館」には昭和14年、牧野から七蔵にあてた「トリカブトの採集に行きたい。イブキトウキの生木を根付きで送ってほしい」という手紙が残っている。

 対山館では薬草や山菜などの集荷、植物標本や絵葉書の生産販売などを行っており、ビリヤードなどの娯楽施設も経営していた。商才にも長けた人物だったのだろう。対山館の目玉はタイル張りの百草風呂だったという。

 扱っている商品の多くは健康茶や胃腸薬、薬用植物を使った入浴剤などで、ゲンノショウコやドクダミ、トウキ、ヨモギが主成分であった。これら以外にも約200種類の植物を扱っており、取り引き先も多岐にわたる。種子や苗、株、標本の形で薬局や薬草園などとやりとりすることもあったようだ。

 七蔵は真面目な人柄で牧野によほど信頼されていたのだろう。牧野は七蔵を介して伊吹山の豊かさ、美しさ、そしてそこに生えている植物の有用性をあらためて知ったにちがいない。

【参考】「米原の偉人たち 牧野富太郎 高橋七蔵」 米原市教育委員会 生涯学習課


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?