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マウント社会

 私は、若い頃に職場等で「お前は独身だから(気楽でいい)なぁ」ということを散々言われたのを覚えている。

 将来は結婚して、夫婦になり、子供を作り育て、また夫婦二人になり、どちらが先になるかわからないけれど終の時まで過ごす。そんな人生を送りたいと願っていました。

 なのに妻帯者、さらには子供のいる妻帯者までが「グサッ」と突き刺さる様な言葉を投げつける。

 もちろん、言葉を発した人生の先輩方には、悪意をもって発したものではないことは私にも判ります。

 このお節介、苦難の道のりを経て、結婚して妻帯者になったいま、今度は「子供がいないから(楽で)いいなぁ」になった。

 それを聞いて、私は悲しくもあり、悔しくもあり、複雑な気持ちになります。「そんなに子供の養育費に困るのならば、子供を作らなきゃ良いじゃない」と心の中で呟いてしまいます。

 さらに人の気持ちを逆撫でする人(その人は悪気がまったくない)になると「里子をもらえばいいのに」と言われる始末。
 その人の子供は実子なのにね。

 その人にはその人の人生があり、自らには経験がないとか、想像出来ないような生活であったり、悩みを抱えているかもしれない。
 そういうことに対する気遣いだったり、相手が話してくれるのならば、話を聴くというのが本当の優しさだと私は思うのです。

 死ぬまでこの悪意なきお節介な言葉に曝され続けるのかなぁ。
女性の生きづらさを経験できない男性の私は、安易に判った風なことは言えないけれど、女性はさらに苦しんでいるのだろうなぁと思ってしまいます。

 ジェンダー論やフェミニズムは、上野千鶴子さんの著書を最初に読んでしまい、私の頭脳では理解することが出来ずに挫折してしまった。

 でも、笛美さんの様に女性の問題を解りやすい言葉で教えて下さる方々と、昔に比べて簡単に個人が発信出来る時代になったいま、私も少しづつですが、理解することができる様になってきました。

 これからの日本社会、あらゆる人が尊重されて誰もが生きやすい社会になることを切に願います。

 ですが、願うだけでは他人事のような気がするので、ほんの少しでも私に出来ることがあったら行動してみようと思う。

追伸

 私が知ることについての知識のマウントは、男女問わず私が無意識のうちにやってしまっていて、不味いなぁと思うことがしばしば。
 知らないといって馬鹿にするようなことはしないのですが、お節介の時もあるかもしれない。反省。