2020灘中入試国語「いくらですが大丈夫ですか?」

 病み上がって本日3/7。成城石井でおにぎり購入。昨今はコンビニでも二百円超えのおにぎりを見かけると思うが、成城石井で購入することによって優越感がついてくる。ファミマで買い物すれば楽天ポイントキャンペーン中で10倍つくのに、それよりも優越感を優先するのだ。
「温めをお願いします」
 自分ではクリアに言えたつもりが、マスクをしていたせいか店員には届いていない。首をこちらに傾けた店員が、聞き直す。もう一度同じ言葉を放つも、喉に痰が絡んでいるのか、発声はおぼつかない。店員は顔を近づけ、目と目がしっかりと合う。展開としてはキスもみえてきた。
 意を決してマスクを少しずらし、アタタメ、と言い放った。TとTの発音が続くことにより滑舌の悪さが露呈され、劣等感がこみ上げる。成城石井で買い物をしている優越感の価値が、途端に影を潜める。やっとの事で店員に言葉の意味が伝わる。マスクしてたのに顔近づけてくるからマスク外して思い切り唾飛ばしてやったぜぇ。意外と邪悪なとこあるのよぉ〜。
「いくらですが大丈夫ですか?」
 安心したのも束の間、店員から意外な一言が放たれる。
 とりあえず、えぅ?となる。ほぇ&えぅ。
 いくらですが大丈夫ですか、そんな質問の意図は一体どこにあるのか。筋子のおにぎりも在庫にあるが本当にいくらを選ぶのか、という意味か。確かに筋子という選択肢は魅惑的だ。
 あるいは、いくらですが温めても大丈夫ですか? という意味だろうか。いくらのおにぎりは温めて食べるべきではない、という常識を押し付けているのか。実は東京では本当にそれが常識で、私がそれを知らずにこれまで過ごしてきただけなのか。逆に店員が四国かどこかの青森にも負けぬ田舎出身で、そちらの慣習を成城石井の店員という立場を超えプレゼンしているのだろうか。それはいくらなんでも、ひどいじゃないか。
 なんなんだこいつは。考えを深れば深めるほど、気味が悪くなってきた。どんな意図であれ「大丈夫ですか?」というワードチョイスは不躾ではないか。お前の頭が大丈夫ですか? さてはお前、ただの馬鹿なのか。脳みそにいくらでも詰まってやがんのか。そうか。そういうことか。
「大丈夫です」
 そう答えつつ、トレイに小銭を一つ、二つ。こうしている間に店員がレンジにおにぎりをぶち込んでくれるだろう。200円ちょうどで足りるかと思いきや、3円という端数。これは10円でどうにかするしかない。今夜、あるいは明日、あるいは来週近くまで7円がポケットで踊り続けることを考えると、気が重い。貨幣は一番汚いそうじゃないか。確か10円は銅だから少し綺麗だったっけ? でも10円じゃないから汚えじゃねえか。病み上がりで潔癖気味なんだよこっちは。
 ポケットの奥に手を押しやり無駄に指を動かし時間をかけて10円玉を取り出す間、店員は何もせずに、妙によい姿勢で突っ立っている。トレイに210円を確認するや否や、まとめて丁寧に拾い上げる。こいつ、先に会計を済ませるつもりだな。あるいは、まだ諦めてないのか。どうしても温めてくれないつもりなのか? いくらヘッドのくせに、諦め悪いはタチが悪い。
 丁寧な所作でゆっくり7円を返してきやがった店員を睨み続けていると、やっとのことでおにぎりを両手で大切そうにもち、レンジの方に向き直った。それから片手に持ち替えレンジの奥へ乱暴に投げ入れた彼は頭がトチ狂っていることを背中で静かに語り、レンジの中をじーっと観察し始めた。こいつ、まさか自分の目を焼こうとしてるのか?! 成城石井の店員が自己破壊的な行動に出るとは知らなかった。
 十秒後どうやら視力に問題はなさそうな定員が振り返り「袋はいりますか」と尋ねるので、Noteにこのエピソードを記すことを考えた結果、意識の高い人の目に止まった際に心証をよくしようという下心が働き「いらない」と答え、再び両の手で大切そうに抱えられたおにぎりの突端を人差し指と中指でぴょいと素早く掴み取り、足早に成城石井を去った。
 病み上がりでは、おにぎり一つ買うだけでも頭がおかしくなりそうだ。

 ということで本日の中央競馬の結果ですが、重賞は二つとも外れましたね。せっかくルメールの1.1倍の複勝にぶち込んで資金作ったんですけど。レジーナフォルテ、逃げると思ったのよぉ。でもタイムは前走と一緒だし、力負けですね。
 少し重賞レース考える時間減らそうかな、と思ってます。好きな馬がいないとかテンション上がらないなら重賞でも別に南関の3歳30万のレースと同じテンションで臨んだ方がいい気がする、そもそも固い決着望んでないけど今日みたいな固い決着あるし。田辺買わないと来るし。ワイン飲みてえ。
 



 

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