内なるさとうAとの闘い

マイナンバーカードも免許証も持っていない。保険証はこの前紛失した。
身分証明できるのはパスポートぐらいだ。精神がバックパッカーすぎる。

同棲していた彼女と別れることになり、その時点で貯金がほとんどなかったので、9月は死ぬほど働いて何とか退去費用引っ越し費用などを捻出した。
昨年の12月、家を引き払っていた休学中に東南アジアから帰ってきて一文無しになった。静岡のホテルの厨房で年末年始1か月強働いて同棲開始費用を捻出したのだが、半年でだめになってしまった。

大学の友人が旅行に行っているストーリーを尻目に飲食店やスタートアップでキリキリと働き、家に帰れば気まずい空間が待ち受けている。かなり厳しい気持ちになった。過去は肯定するしかないので、同棲と破局もいい学びになったといいたいところなのだが、まだそうは言えない。

本当はnoteでもうちょっと別のことを書くはずだったのだが、どうもうまくかけず、こんな後ろ向きなことしか書けなくなってしまった。

破局が決まった8月の下旬から、一難去ってまた一難というのを10回ぐらい繰り返しているうちに、さすがにもう頑張れないっすわという気持ちになってきた。10月14、15日のイベント出店(一日中大量の鳥を炭火で焼いていた)を乗り越え、ようやく一息つけた。一息ついたらついたでどうしようもない気持ちになってくるので、戦いに次ぐ戦いみたいな生活を送った方がいいのかもしれない。強くなるし。でもその強さのせいで破局した部分もあるし、もう頑張らない方がいいのかもしれない。

大体あと60年ぐらいしたら死ぬんだから今のうちに自分の存在を世界に刻み込めるようになっておきたくないですか?死の床でああ妥協したなあと後悔しながら死んだらやりきれなくないですか?なんでいつか死ぬのにぼーっとyoutubeshorts見て馬鹿みたいに時間を浪費してるんですか?その時間俺にくれよ。もっと削れよ、もっとやれるだろ、突き詰めた結果がその程度なら意味ないよ。

さとうA

みたいな自分の人格(さとうAとする)が確かにあって、我ながら怖いと思う。さとうAは頻繁に出現し、自己の現状を否定し、退路を断つことで強制的に全身全霊で挑むことを求めてくる。さとうAの存在は仕事のクオリティを飛躍的に高めてくれるが、めちゃくちゃしんどいのであまり持続可能ではないとはうすうすわかっている。

さとうA「やる前から持続可能ってわかるぐらいのぬるい取り組みならだれだってできるだろ、自分のレベルを上げることで徐々に持続可能にしていくんだよ。」

みたいな感じで毎回さとうAに丸め込まれて一生懸命頑張る羽目になっているのだが、よく考えたらみんなそこまで頑張ってなくない???無理しすぎじゃない??さとうAの存在こそが生きづらさに繋がっているのでは??とうすうす気づき始めた。

でもさとうAこそが僕の根幹部であって、まあAの尖り方のせいでいろいろ大変な目にあったりもしたんだけれども、それでも捨てきれない部分としてある。自己実現と努力の化け物であるさとうAとうまく付き合いつつ、精神と肉体が限界を迎える手前できちんとブレーキを掛けられるようになりたい。

でもやっぱ頑張るの好きなんだよね。ちんたらやってても暇ですしね。高みを目指さない歩みに興奮は少ないですからね。でもほどほどに休んだりした方がいいっぽいですね。それではまた。


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