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沼ると沼らせるの本質

「他人を沼らせたい」と欲したとき、自分がそいつに沼っている。 どうでもいい他人・興味のない他人に、人は自分の時間を少しも割きたくない。沼らせようとすることはない。 時間を割いている時点で、やはりほんのり好きなのだ(金品強奪などなんらかの裏の目的があるパターンもあるかもしれないが) 「自分に依存させたい」と、相手を自分のファンにしようとする。いつも自分の自己肯定感を上げてくれる存在で、自分はモテているんだと感じさせてくれるような存在。男も女も相手を侍らせたいのだ。女は比較

    • メイクが禁止されている中学・高校で、メイクをしたい生徒個人がとれる戦略的振る舞いについて

      学校教育は、根本的に軍隊教育であり、軍人や軍人を支援する人間を養成するものという性格が強い。 昔の日本社会では、理想の歯車のように扱える(すぐ言うことを聞く)人間を大量に必要としており、学校ではそうした人間をたくさん育て上げるというようなことを使命としていた。 「優・良・可・不良」といった選別がそれを表していた。エリート(選良・選ばれた人)という言葉もそうであった。 このように、生徒は「いかに使用者側が都合よく使えるか」という基準で選ばれていた。 使用者側が都合よく使

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