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カメコって?そもそも写真って?

はじめに

カメコです、写真好きです。

少しばかり気持ちをリフレッシュ?デトックス?したいと思い書いてみようと久しぶりに開きました。
過去の記事も数点ありますがオススメしません。(くどいです)

そんなこんなでテーマがくどいです。

自分の感性とか考えの再確認が主ですが、見られた方にも何か自分と向き合う時間にしてもらえたらと思いながら綴ります。(遠い目)

※ここから記載することは一個人の考えのため
他者を批判したりするものではございません。
みんな自由でいいじゃん!(全部がそうじゃないけど:ここ大事)



>カメコって?

カメラが安価で入手できるようになるにつれ、カメラを購入できる所得層が拡大したことに起因する。カメラの購入できる所得層が拡大、業務用途が大半だったカメラが徐々に個人の趣味の領域に拡大していき、写真撮影を行う年少者に対して「カメラ小僧」の名がついた。

カメラ小僧-Wikipedia

令和の今、カメラはとても手にしやすい存在です。
例えば誰もが持っているスマートフォン、これにも立派なカメラが付いていて、デジカメ、一眼、使い捨てなど種類もたくさん。
ニーズに合わせた機材が1万円以内で手に入るようになっています。

ちなみに私は年少者ではなく、仕事等でカメラを扱っているわけではないので、本来は「カメコ」ではありません、「ただの写真好き」です。

写真家、フォトグラファー、カメラマンなど色んな言い方がありますが、特にどうでもいいです。(よくない)
一応、そういう肩書を持つ人は「プロ」って認識を持ってます。
私は「アマチュア」です。

>写真って?

なんだろうって考えたことはありますか?
私は明確にはございません。

穴やレンズを通して、被写体から発される光線を再構成して実像を結ばせ、感光剤に焼きつけたのち、現像処理をして可視化したもの。

写真-Wikipedia

ではここから無駄な「私と写真」秘話なので時間のない方は次の区切り線までスクロールしてください。(スクロールを推奨します


私と写真

私が写真に出会ったのは5歳ごろ。(※余計な話が長いです)
記念写真を撮られる際、「あいつに撮られると命を奪われる!」みたいな変な概念のせいで泣きまくって拒否したのが出会いです。

そこから両親の「写ルンです」とか「フィルムカメラ」に触れていきましたが、高校を卒業するまでハッキリ言って興味はありませんでした。

そんなある日、Instagramが流行しだしました。
イメージで陽キャのマウント報告SNS(やめろ)だと思っていたのですが、いつの間にか私もマウントを取る側に溺れていました。

元々食べ物とか、いい景色に出会う度に自然とスマホを向けていた私は、
その日、女子と食べに行ったパスタを撮ってマウントを取りました。

そしたらとある先輩から「〇〇って写真上手だね、あれ一眼?」

「???(一眼?)」

なんそれでした、聞いたこともない言葉に、その先輩に師事を仰ぎました。
これが私と一眼レフカメラを結びつけるきっかけです。

インスタというマウントSNS × Foodieという写真アプリ=カメラ始めたら?

単純です。褒められて嬉しくて始めました。(7割)
ただすぐには持たず、約1~2年のうちに一眼レフを購入しました。
理由は私の過去記事にありますが、見ないでください。(見ないで


私の弱点を助けてくれる

私は記憶することがとってもとっても苦手です。
記憶するくらいなら記録したい!残すなら「鮮明」に残したい!!
というへそ曲がり。

そんな私にとって写真はそれを叶えてくれる夢のコンテンツです。

撮れば半永久的に残るのが写真です。

現像をして実物で残す。データで保管する。SNSに投稿する。
地球が滅びない限り永久的にそれは残ります。
ただこれは、メリットであり、デメリットなことを忘れちゃいけません。

メリット :半永久的に残したいものを残せる
デメリット:半永久的に残したくないものが残る可能性がある

誰かにとっては残したいものが、誰かにとってはそうじゃないかもしれない。

ただこれは個人的な記録写真には関係ないものです。
と言い切りたいのですが、最近の世の中はSNSが一般化して、誰もが写真を投稿できるようになり、ふとした写真に思いもよらない対象が入ってしまい問題になることもあります。

はたまた被写体という対象として活動する人を皆が自由に撮り、ネットに投稿し、橋本○奈さんを一躍有名人に押し上げた「奇跡の1枚」を生み出す可能性すらあります。

撮る、残す、記録する
便利な道具は時に不便で融通が効きません。
いつも表裏一体であることを忘れちゃいけないなって思います。


写真=「人を殺める可能性があるもの」

私の中でいつしかこんな土台が出来ていたこともあり、上記の主観と客観を意識するようになりました。

私が普段行くアイドル現場でも「ライブ中の写真撮影可能」と大々的に称しているグループがあり、各々推しの写真を自由に撮って記録することができます。

ただそこに明確なルールが存在していない、ある種、撮影者の考えや感性に任されている部分があります。

もし私が被写体や主催者側になった場合

・MC中などの撮影はお控えください
・下から覗き込む(スカートの中や鼻の穴の中が見えるようなアングル)ような撮影はお控えください
・顔のみをズームアップしているような写真の投稿はお控えください

って記載したいくらいですが、そこまで書く主催者はほぼ見たことがありません。ある種の信頼関係、モラル等が撮影者に踏まえられているという概念、はたまた希望的観測のもと許可されています。

なのではっきり言って「自由」です。
撮るタイミング、アングル、ポイント、ぜーんぶ自由です。
みんな自由って大好きですよね。(私は怖い)

ただその自由を守るために、私は自分の中でのフィルターを持っていたい、人目に触れる可能性がある場合には尚更そのフィルターを通したい。
またできることなら、そんなフィルターみたいなものがコイツにはあるんだな、ふーんくらいに頭の片隅に引っかかっていてほしい。

私のフィルター

被写体編

  • 被写体が嫌がりそうな写真はネットに投稿しない、個人の思い出にする

  • お顔が鮮明に見えるようなドアップ写真はネットに投(以下省略)

  • お肌や髪の毛など、センシティブな部分をよく確認する、必要なら補正をする

環境編

  • MC中はできるだけ撮らない、音を立てない、連写しない

  • 見知らぬ人が一緒に写っていたら、なるたけ個人がわからないようにする

  • 周りの人、見ている人を邪魔しない

気持ち編

  • 妥協しない、妥協したら投稿しない


ざっと普段私にかかっているフィルター、探せばまだまだたくさんありそうですが頭に浮かんだ内容だとこんな感じでした。

個人に任され、信頼関係のもと撮影が行われている以上、私は推し(被写体)に

○○さん = 素敵に撮ってくれる人

って思われたいので、コロナ禍というコミュニケーションが取りずらい今こそ、より一層気をつけたいと思います。
私は人殺しになりたくないので。


反響から生まれる勘違い

私がアイドル現場で写真を撮り始めて起こった現象がある。
それはTwitterというSNSがとても説明しやすいです。

①「RT」と「いいね」が沢山くる 
②自分の「フォロワー」が増える 
③行く先々で「あぁ〜○○さん!あの写真見ました」と認識される


まぁ悪い気はしないです、ただの一般人がちょっと有名人気分。
嬉しいに決まってます。
そうなると人は調子に乗ります。気持ちが大きくなります。(大体)
とても厄介です。
勘違いから生まれる変な概念みたいなものがその人の中でルギア爆誕します。


「カメコだから偉い!」「前の人邪魔!」「見えない!クソ席!」といった気持ちの大きい人ができ始めます。

じゃあ、その人はどうなっていくでしょうか、勝手に予測します。

▶︎前や隣の人のスペースに侵食する 
▶︎カメラをぶつけたり、下手すると相手に怪我をさせる。

後にTwitterやネットに書かれ、叩かれ、変なレッテルが貼られます。
そんなレッテル貼られたくないですよね。なにもあなたを知らない人たちに、「あー、???の人ねー」って噂されます。

最近気づき始めましたが、人からの印象とかそうそう変わりません

苦手・嫌い →   得意・好き

になるのってそう簡単じゃありません。 私は多分ずっと茄子が嫌いです。
人に嫌われたいなんて物好きはほぼいないと思います。なので好かれる行動を心掛けたいです。


>撮影者として半永久的に意識したいこと

では最後のまとめ。
これは自分への戒めの意味が大半。

  • 「いつ」見ても、「誰が」見ても、残しておきたいと思う写真を心掛けてみる

  • 「撮っている」でなはく「撮らせてもらっている」という敬いの心を忘れない

  •   自己中心的にならない、利他的(※)精神をもって客観的に自分をみてみる ※自分に多少の不利益があっても、他者の利益や幸せのほうを優先する性質



またデトックスしたいと思います。
ではでは(*´∇`)ノシ


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