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いやになる

しばらく日記書きます(虚実混ざります)

1月8日(月)
子どもが成人式だった。
快晴で雲ひとつない。できれば空には雲がいくつかあってほしい。
寿という文字を白絵の具で描けそうなほどのっぺりした青空。
成人式の会場に近づくにつれ華やかな振袖姿が増える。ただでさえ美しい年頃の女の子たちが腕によりをかけて美しく装う。絵画のキャンバスのような大きな袖を重そうに揺らし慣れぬ草履でぎこちなく歩く彼女たちはディズニーランドのアトラクションのように可愛く物珍しい。ランナーも道を譲ってくれるし、消防署の裏手ではしご車練習中の消防士も手を振ってくれる(こっちが振ったからだけど)。
会場前の芝生広場には投網に生け捕られたきらきらのサンマを思わせる振袖娘たちがどっと居て、まばゆくて目がつぶれそうだ。

こういった場所に来ると本当にいやになってしまうのだけれど、本当に本当に自分がいやになってしまうのだけど、「あら、きれいね」「おめでたいわね」という言葉より先に「同調圧力」とかいう四字熟語や「ジェンダー」みたいなカタカナが頭に浮かんだりして本当に自分がいやになってしまう。
子どもを産んで育てたからって人はそんなに変われない。
我が子が成人したこと。健やかに悩みながらも美しく(心のことね)育っていることへの喜びは人並みにある。その喜びで100%心がいっぱいになればいいのに、体中が寿で満ちればいいのに、いちいち余計なことをもやもや考えてしまう。もう何も考えたくない。いやになる。

冬なりに風が冷たい。時とともに太陽は高く昇り、式典までの待ち時間のあいだに芝生広場をよく冷えた日陰の部分と明るすぎる部分とに分断している。久しぶりに会う仲良しの友だちを見つけてキャーと言いあう子。話しかけるべき子が見つからず手持ち無沙汰に携帯に目を落とす子。ほんのわずか解像度を上げると振袖が次第に学校の制服に見えてくる。

女らしくあることが嫌いで振袖も着なかったし成人式にも参加しなかった20歳の頃。当時の親切なボーイフレンドが記念に写真だけでも撮りなよ、と私は写真館に引きずって行かれ振袖を着せられカメラマンに写真を撮られた。写真の私は見るからに不機嫌な顔をしていて娘たちにはとても見せられない。何十年も経つのにあれからずっとふくれっ面が直らない。

芝生広場の端のほうは建物からはみ出ていて光にあふれている。逆光で誰が誰だかわからない。
青いチャイナドレスの子がいる。
赤い振袖群の中に、真っ白い逆光の中に、背筋を伸ばしたショートヘアのあの子。
あの子は本当にいたのだろうか?
私のセンチメンタルが呼び起こした幻だったろうか。

式典の受付が始まった。さあ帰ろう。
ここにいる人たちはだいたい20歳。生まれてからたった20年。
みんな、おめでとう。

おしまい。



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