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つまり、佐藤の本棚。

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今まで読んできた本にまつわる「記憶」の記録です。
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#私の本棚

読書の記憶(七十八冊目) 「LITTLE RED RIDING HOOD」

こんにちは。広告文案家の佐藤(さったか。)です。ちょうど今くらいの時期(6月末)になると、予備校に通っていた時のことを思い出します。特に印象的な出来事があったわけではなく、建物を出て雨の匂いを含んだ涼しい風に当たった時「予備校生だった時のこと」が、ぼんやり頭に浮かぶのでした。 雨音なのか、湿った空気なのか、グレーの空のせいなのか、なにがそう感じさせるのかはわかりません。ただ、ひたすら静かな気配がします。 さて、私が今まで読んできた本を並べる「佐藤の本棚」も78冊になりまし

読書の記憶 七十六冊目 「太宰治との一日 豊島与志雄」

こんにちは。広告文案家の佐藤です。以前、図書館で借りた本に「コピーライターは広告文案家と呼ばれていた」と書かれていたことを思い出したので、ふと使ってみました。薄暗い部屋の片隅で煙草の煙をくゆらせながら、ひとり呻吟しているような、どこか物憂げな雰囲気がします。 さらに付け加えるのなら、私は「企業理念の標語(コーポレートスローガンというやつですね)」を手がけることが多かったので「企業理念的標語制作 広告文案家」という肩書きを考えてみました。こうなってくると、軽みが出てきてしまっ

読書の記憶 七十五冊目 「一問一答 太宰治」

こんにちは コピーライターの佐藤(さったか)です。今まで私が読んできた本を並べていく「佐藤の本棚」も75冊目となりました。ようやく75冊か。なんだか70冊を過ぎたあたりから、100冊のゴールがなかなか近づいてきません。むしろ遠ざかっていくような気配すら感じます(笑)このペースだと、年内のゴール達成は難しいか? いやいや、あきらめずに淡々と並べていこうと思っております。応援よろしくお願いします。 さて、6月になりました。私にとって6月といえば「太宰治」が思い浮かびます。太宰の

読書の記憶 七十四冊目 「かえるの王さま グリム兄弟」

こんにちは コピーライターの佐藤(さったか)です。今まで私が読んできた本を並べていく「佐藤の本棚」74冊目は、グリム兄弟の「かえるの王さま」です。 私(佐藤)が、休日に一人で釣りに行った時の話。場所へ向かう途中で、 心の微妙な動きは、想像以上に身体に影響を与えるものである。 と、感じる体験をするのですが・・・。 つづきを読む(無料)↓ 佐藤の本棚 今までに掲載した作品(74冊)一覧↓ 佐藤の本棚は、100冊を目指して更新を続けています。現在74冊。目標までのこ

読書の記憶 七十三冊目 「猫の事務所 宮沢賢治」

小学四年生の時の話。国語の時間だった。担任のS先生が、教科書に掲載されている小説の一段落を読み上げた。そしてその中の一文を黒板に書くと「ここで作者は何を表現したかったと思いますか?」と、僕たちに質問をした。 何人かが答えた後、僕も指名された。僕は「作者は『動物達が踊っているように見えた』と言いたかったのだと思います」と答えた。先生は「あー、そう。次、〇〇さん」というように、特に良いとも悪いともなく授業は進み、次に当てられた生徒が答えたところで、その日の国語の授業は終わりにな

読書の記憶 七十二冊目 「注文の多い料理店 新刊案内 宮沢賢治」

「犬が走って、こちらへやってきた」 今あなたの頭の中には「犬」の姿が思い浮かんだことだろう。それは自分の家で飼っている犬であったり、友人や知人の犬、もしくは歩いてる途中に見かけた散歩中の犬、今までに様々なところで出会ってきた犬が、思い浮かんだと思う。 さらに、犬が好きな人ならば「かわいい」「楽しそう」「きっと耳を寝かせながら、跳ねるようにして、一生懸命にこっちに向かっているんだろうな」などと、楽しい感情がわきあがっているだろう。 続きを読む(無料)↓ 佐藤の本棚は、1

読書の記憶 七十一冊目【中原中也 月夜の浜辺】

私はあまり物を処分する方ではない。一度手に入れたもの、いただいたものは使わなくなっても整理して保管しておくほうである。普段はそれでも特に問題はない。しかし、引っ越しの時などは「どれを処分し、どれを保管しようか」と、しばらく悩むことになる。 引っ越しは「量」で料金が決まるから、捨てられないものが増えれば増えるほど料金がかかってしまう。追加費用をかけてまでも、運ぶ価値があるものなのか? と自問自答しつつも結局処分できずに段ボールが増えていく。 つづきを読む(無料)→ 七十一冊

読書の記憶 七十冊目「雨の上高地 寺田寅彦」

「はじめて来たのに、なぜか懐かしい風景」などというと、観光案内のキャッチコピーみたいだけれども、僕にもそのような気分になった風景がいくつかある。 その一つが長野県の上高地である。大正池でバスを降り、ポクポクと足音を鳴らしながら木道を歩いていく。やがて視界が開け目の前に広がる河原へと降り、しゃがんで梓川の水に手を浸した時、僕の頭の中に浮かんだ言葉は「また、ここに来たぞ!」だった。 つづきを読む(無料)読書の記憶 七十冊目「雨の上高地 寺田寅彦」 佐藤のtwitter↓

読書の記憶 六十八冊目「漱石先生臨終記 内田百間」

前回、私が進学塾の先生をしていた、ということを書いた。書き終えてから、あらためてその当時のことを思い返してみると、授業していた時の事よりも生徒と雑談をしていた記憶の方が多いことに気がついた。 授業が終わると、たいてい何名かの生徒が私の机の横に来て何やかやと話をしていった。わからないところを質問に来る生徒もいないわけではなかったけれども、ほとんどの生徒が意味のないような雑談をして帰っていくのだった。 続きを読む(無料)「漱石先生臨終記 内田百間」