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【さとしとミライ.6】県議会議員時代、そして新たな挑戦へ

こんにちは。ミライです。
鶴岡市議会議員を3期務めたのち、山形県議会議員になったさとしさん。
県議会議員時代から今日までの「活動」と「思い」を伺いました。

「現場」は鶴岡市そのもの。
ジェットスターの就航は県議になって取り組んだ成果。

志は常に「鶴岡の発展のために」、
そして「鶴岡の、今を変えたい」という声を原動力に。

―――県議会議員に挑戦した理由は何ですか?
「鶴岡市というのは一番基礎の自治体ですから、『現場』を持っているところですよね。そこが一番しっかりしないとダメなんです。航空会社のときも、『現場の声』『現場を見に行って』と常に言ってて、いつも空港という現場から学んできました。『現場』にすべてがありますから。市議会議員は、現場である鶴岡市に関わる大事な役割を担っていると感じていました。」

「しかし現場を知ることで逆に、鶴岡市の力だけではなかなか解決できない問題も見えてきます。航空会社にいたので、庄内空港のこととか、航空会社の誘致だとか、広域的な観光を提言するとなると、鶴岡市の働きだけでは解決しにくい。鶴岡市をもっと発展させるために『鶴岡市のいろんな声を県に反映させていく』ことが必要だと思いました。市議会議員を経験した私だからこそ、山形県の中で鶴岡市の代表として発言し、行動していかなければ、という強い思いがありました。」

2015(平成27)年に山形県議会議員に初当選。そこから2021(令和3)年まで6年間、山形県議会議員として活動しました。

「私が県議会議員になったときは、鶴岡市というのはすごく目立っていたんです。慶應先端研があって、スパイバーや国立がん研究センター、ユネスコでの食文化創造都市認定だとか、何かよいニュースが常にあった。私が県議会にいくと『鶴岡市頑張ってるよね』と言われて、『鶴岡はみんな頑張っているんだよ』と誇らしかった。合併して鶴岡市が広くなったからこそ、観光に精神文化や食文化のいろんな要素を盛り込むことができたし、ユネスコへの登録が可能になったと思います。」
「合併して鶴岡市の魅力を強く発信できた一方で、山形県内における庄内地域の県議会議員は少数派なので、『庄内』としてもっとまとまって行動していくことが必要だ、ということは感じていました。」

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―――県会議員として記憶に残る仕事は「ジェットスター」の就航実現
「やっぱりジェットスターの就航です。ジェットスターは日本航空の関連会社で、私の先輩が役員で、後輩が新規就航担当にいたんです。山形県も頑張ってくれて、誘致が実現したことは本当に嬉しかったですね。
ジェットスターは1日1往復だったので、スケジュール的に使いづらい、というのはありましたけど、『選択肢を増やす』ということ自体が大事だと思っています。
ジェットスターが就航して、これからという矢先にコロナ禍となりましたが、私はコロナ以後も見据えても観光は非常に重視しています。私は航空会社にいたので、観光施策は自分の経験や強みを、最も発揮できるところだと思っています。」

―――県議をやめて、新たな挑戦をする原動力は『現場の声』
「新たな挑戦への決意をする前の私は、県議会議員の任期も残していましたし、県議としての仕事にやりがいと手ごたえを感じていました。しかし、多くの市民の方から『今の鶴岡のままでは問題が前に進まない』『鶴岡を変えてほしい』『鶴岡市政を切り替えてほしい』という声が寄せられていました。
『市役所の中でさまざまな問題が起きている』という声も聞いていました。こういう事態が続けば、本来の鶴岡市のことを前に動かすような、大事な市役所の仕事も上手くいかなくなる。これは現場を重視する私にとっての大きな危機感でした。鶴岡市民のために一番頑張って働いてくれている市職員たちが結局疲弊して、現場にも行けずに、市民の方に向けずにいる。私は市議会議員を10年間して、市職員は先輩から後輩まで、多くの方と仕事を一緒にしてきました。いろんな方から直接話を聞いたり、相談を受けたりして、自分が最も大切にしている鶴岡の『今の状況を変えなければいけない』という思いを強くして、新たな挑戦への決意に繋がりました。」(「さとしさんが描く鶴岡の未来」へつづく)


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