【書評】ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

今回はビジョナリー・カンパニーの書評を書いています。
会社でミッション・ビジョン・バリューを設定する際に非常に有用だと思ってまとめてみることにしました。


本書の内容まとめ

・ビジョナリー・カンパニーの定義

→成功企業の中でも特に優れた企業の事を指している。

・業界で卓越した企業である。
・見識のある経営者や企業幹部の間で、広く尊敬されている。
・わたしたちが暮らす社会に、消えることのない足跡を残している。
・最高経営責任者(CEO)が世代交代している。
・当初の主力商品(またはサービス)のライフ・サイクルを超えて繁栄している。
・一九五〇年以前に設立されている(*)

ジム コリンズ;ジェリー ポラス. ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則 (Japanese Edition) (pp.18-19). Kindle 版.

ビジョナリー・カンパニーの特徴


■時を告げず、時計をつくる
→組織として成長し続ける「仕組み」をつくる

■ORの抑圧ではなくANDの才能を重視する
→相反しやすい2つの要素(理念と利益等)をどちらも追い求めて両立させる

■基本理念を維持し、進歩を促す
→理念は維持しつつも、やり方や方法論は常に改善していく
→重要なのは理念を体現し続けること。中身よりも大切。

■組織が一貫性を持っている

■カルト的な文化を持つ

基本理念

・基本理念=基本的価値観 + 目的  

基本的価値観
=組織にとって不可欠で不変の主義。文化や経営手法とは異なる。
利益の追求や目先の事情のために曲げてはならない。

目的  
=単なるカネ儲けを超えた会社の根本的な存在理由。地平線の上に永遠に輝き続ける道しるべとなる星であり、個々の目標や事業戦略と混同してはならない。
→ビジョナリー・カンパニーにとって利益追求は最大の目標ではない。
そのうえで、ビジョナリー・カンパニーは他企業と比較しても利益を上げている。

・基本理念の維持
→カルト的なカルチャー
ディズニー:スタッフのことを「キャスト」を呼び、徹底した社員教育で有名
ウォルマート:みんなで体操をやる
社員の同質性を追求することで基本理念を浸透させる。
そのうえで、
 -深く共感する人だけをメンバーにする
 -その中で実践度が高いメンバーを経営幹部にする

・進歩を促す
 -大胆な目標を設定する(BHAG)
→5年から10年のスパンで大きな目標
 -大量に試して成功した取組のみを残す
→綿密な計画より偶然や試行錯誤。
 -徹底した改善に絶え間なく取り組む

本の内容で気になったこと

・素晴らしいアイデアは不要。
→初期のアイデアはだいたい変わる。
→ソニーもアイデアもなく起業して、設立当初はいろいろ試した。炊飯器とかテープレコーダーとか。全部失敗した。
→アメリカのウォルマートは創業して「20年後」にディスカウントショップのアイデアができて1号店を出した。

・天才的な経営者よりも組織のほうが重要
→長期的にマイナスにすらなりうる。偉大な指導者よりも長く続く組織がとにかく大事。

・ウサギとカメでいうとカメが勝つ。
→ビジョナリー・カンパニーはだいたい他の企業が先行して最初は負けている。あとから巻き返して勝つことがほとんど。

・会社自体が作品で、プロダクトは手段。
→プロダクトや事業が変わっても、根本の思い=会社自体は絶対にあきらめない。粘り強くやり続けると成功につながる。

・Orの抑圧に負けずANDで考える。
→一見矛盾したような問題を両立させていく思考が大事。

利益を超えた目的 と 現実的な利益の追求
揺るぎない基本理念と力強い変化と前進    
基本理念を核とする安定とリスクの大きい試みへの大胆な挑戦
明確なビジョンと方向性と臨機応変の模索と実験
社運を賭けた大胆な目標 と進化による進歩
基本理念に忠実な経営者の選択と 変化を起こす経営者の選択

→ここはめちゃくちゃハッとした。目的ややりたいことと利益のバランスは、Canvasでも「ロマンとそろばん」という言葉で説明しているけど、いかに会社としてバランスを取っていくかが経営なんだなと理解した。

・「利益の最大化」は企業の目的ではない。
→お金儲けを超えた基本的な価値観や目的が重要。
→それでもビジョナリー・カンパニーは利益優先の企業よりも利益を上げている。

・細かい事業の部分に入り込むのではなく、とにかく仕組みを作る。

・顧客第一、従業員と経営陣が第二、株主が第三。
→ジョンソン&ジョンソンの社訓に明確に書かれている言葉で、個人的にインパクトがあった。ステークホルダー同士で利害が対立したときにこういった明確な方針を打ち出してるのはわかりやすくていい。
しかも株主の優先順位を下げているのはなかなか勇気がいることだと感じる。

・正しい理念や価値観はない。
→理念の内容よりもそれを貫いているかのほうがよほど重要。
→たばこメーカーのフィリップモリスの例が出ていたが、確かに社会的なミッションが立てやすい業種(医療等)とそうでない業種(タバコ等)があると思っていて、それでも大事なのは社内のメンバーがミッションに共感、熱狂して前に進んでいくことだと感じた。

常に正解できるわけではない
→フォードは不祥事を起こしたし、GEは数字と理想の間で揺れ動いている。

・基本理念はだいたい5以下。短い文章。
・『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』。

「 HPウエイの基本は個人を尊重し、配慮することだ。つまり、『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』。すべてはこれに尽きる」。基本的価値観はいろいろな形で言い表され得るが、どれも簡潔で、明快で、率直で、力強い。  

→めちゃくちゃいい言葉だなと思った。社員にも顧客にも株主にも様々なステークホルダーに対して言えるなと。


カルト的な要素が大事。
理念への熱狂、教化への努力、同質性の追求、エリート主義

・一貫性を持つことが大事。
理念だけではダメで、制度や文化、戦略などがすべて一致していることが重要。

その他気になった点

今回の調査の対象となったビジョナリー・カンパニーのすべてが、過去のどこかの時点で、逆風にぶつかったり、過ちを犯したことがあり、この本を執筆している時点で、問題を抱えている会社もある。しかし、ここがポイントだが、ビジョナリー・カンパニーには、ずば抜けた回復力がある。つまり、逆境から立ち直る力がある。

ジム コリンズ;ジェリー ポラス. ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則 (Japanese Edition) (pp.22-23). Kindle 版.

すばらしいアイデアを持っていたり、すばらしいビジョンを持ったカリスマ的指導者であるのは、「時を告げること」であり、ひとりの指導者の時代をはるかに超えて、いくつもの商品のライフサイクルを通じて繁栄し続ける会社を築くのは、「時計をつくること」である。〜中略〜ビジョナリー・カンパニーの創業者が概して時を告げるタイプではなく、時計をつくるタイプであったことを明らかにしていく。〜中略〜その最高傑作は、会社そのものであり、その性格である。  


わたしたちの調査によると、「すばらしいアイデア」を出発点としているものの比率は、比較対象企業より、ビジョナリー・カンパニーの方がはるかに低かった。さらに〜中略〜一言でいえば、企業として早い時期に成功することと、ビジョナリー・カンパニーとして成功することは、逆相関しているのだ。長距離レースで勝つのはカメであり、ウサギではない。

幸運の女神は、どこまでもねばり抜く者にほほえむ。この明快な事実が、成功した会社の創業者にとって重要ないしずえになっている。ビジョナリー・カンパニーの創業者はどこまでもねばり抜き、「絶対に、絶対に、絶対にあきらめない」を座右の銘としている。しかし、何をねばり抜くのか。答えは会社である。アイデアはあきらめたり、変えたり、発展させることはあるが〜中略〜会社は絶対にあきらめない。会社の成功とは、あるアイデアの成功だと考える起業家や経営幹部が多いが、こう考えていると、そのアイデアが失敗した場合、会社まであきらめる可能性が高くなる。そのアイデアが運よく成功した場合、そのアイデアにほれこんでしまい、会社が別の方向に進むべき時期がきても、そのアイデアに固執しすぎる可能性が高くなる。しかし、究極の作品は会社であり、あるアイデアを実現することでも、市場の機会をとらえることでもないと見ているのなら、善し悪しは別にして、ひとつのアイデアにこだわることなく、長く続くすばらしい組織をつくりあげることを目指して、ねばり抜くことができる。

“会社を究極の作品と見るのは、きわめて大きな発想の転換である。会社を築き、経営しているのであれば、この発想の転換によって、時間の使い方が大きく変わる。製品ラインや市場戦略について考える時間を減らし、組織の設計について考える時間を増やすべきなのだ

アメリカの建国者たちが力を注いだ問題はこうだった。「われわれがこの世を去ったのちも、優れた大統領をずっと生み出すために、どんなプロセスをつくることができるのか。どのような国を築きたいのか。国の原則は何か。その原則をどう運用すべきか。われわれが目指す国を築くには、どんな指針と仕組みをつくるべきか」  トマス・ジェファーソン、ジェームズ・マディソン、ジョン・アダムズは、「すべておれにまかせろ」式のカリスマ的指導者ではなかった。組織についてのビジョンを持っていた。自分たちやすべての未来の指導者が従うべき憲法をつくった。国を築くことに力を注いだ。名国王のモデルを否定した。建築家のようなやり方をとった。そう、時計をつくったのだ。

“例えば、ウォルトンは、変化、実験、不断の改善を大切にした。しかし、こうした価値観を説いただけではなく、変化と改善を促す組織としての具体的な仕組みを整えた。「店舗のなかの店舗」と呼ばれるコンセプトを打ち出し、部門責任者にそれぞれの部門を自分の会社であるかのように運営する権限と裁量を与えた。ほかの店舗でも使えそうな経費節減やサービス向上のアイデアを出したアソシエーツ(従業員)には奨励金を出し、表彰した。「集中販売促進コンテスト」をはじめて、アソシエーツが創造的な試みに取り組むことを奨励した

「バランス」とは、中間点をとり、五十対五十にし、半々にすることだ。ビジョナリー・カンパニーは、たとえば、短期と長期のバランスをとろうとはしない。短期的に大きな成果をあげ、かつ、長期的にも大きな成果をあげようとする。ビジョナリー・カンパニーは、理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追求する。ビジョナリー・カンパニーは、揺るぎない基本理念を守る方針と、力強い変化と前進を促す方針のバランスをとろうとしているわけではない。その両方を徹底させる。つまり、ビジョナリー・カンパニーは陰と陽をないまぜにし、はっきりとした陰でも、はっきりとした陽でもない灰色の輪をつくろうとしているわけではない。陰をはっきりさせ、かつ、陽をはっきりさせようとする。陰と陽を同時に、どんなときも共存させる。  不合理ではないか。おそらくそうだろう。まれではないか。そうだ。難しくはないか。まったくそのとおりである。しかし、F・スコット・フィッツジェラルドによれば、「一流の知性と言えるかどうかは、二つの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される」。これこそまさしく、ビジョナリー・カンパニーが持っている能力である。

会社創立の目的  
・技術者たちが技術することに喜びを感じ、その社会的使命を自覚して思いきり働ける職場をこしらえる。  
・日本再建、文化向上に対する技術面生産面よりの活発なる活動。  
・非常に進歩したる技術の国民生活内への即時応用。
経営方針
・不当なるもうけ主義を廃しあくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置きいたずらに規模の拡大を追わず。
・技術上の困難はこれをむしろ歓迎し量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。
・一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限度に発揮せしむ。

ニック・ライオンズの『ソニーの国際戦略』(中山善之訳、講談社、一九七六年)によれば、趣意書で掲げた理想が「過去三十年間、ソニーの推進力となっており、〔ソニーが〕驚異的な急成長を遂げても、ほとんど変わっていない」。井深が趣意書を起草してから四十年後、盛田昭夫は、ソニーの理念を凝縮し、洗練させた「ソニー・スピリット」をつくった。

ソニーは開拓者。その窓は、いつも未知の世界に向かって開かれている。人のやらない仕事、困難であるがために人が避けて通る仕事に、ソニーは勇敢に取り組み、それを企業化していく。ここでは、新しい製品の開発とその生産・販売のすべてにわたって、創造的な活動が要求され、期待され、約束されている……。
開拓者ソニーは、限りなく人を生かし、人を信じ、その能力を絶えず開拓して前進してゆくことを、ただひとつの生命としているのである。


ヘンリー・フォードは一九一六年、同社の草創期における「三つのP」の関係についてこう語っている。 自動車事業で莫大な利益をあげるべきだとは思わない。適度な利益が望ましく、過度の利益は望ましくない。利益は適度に抑えて、販売台数を多くする方がよいと、わたしは考えている。……なぜなら、車を買って、車に乗ることを楽しめる人が増え、そして、十分な賃金で雇用できる人数が増えるからだ。この二つの目標を達成することに、わたしは人生を賭けている。

ビジネス・スクールの教えに反して、ほとんどのビジョナリー・カンパニーにとって、「株主の富を最大限に高めること」や「利益を最大限に高めること」は、大きな原動力でも最大の目標でもなかった。ビジョナリー・カンパニーはいくつかの目標を同時に追求する傾向があり、利益を得ることは、そのなかのひとつにすぎず、最大の目標であるとはかぎらない。ビジョナリー・カンパニーの多くにとっては、はるか以前から、事業とは経済活動を超え、単なるカネ儲けの手段を超えた存在である。ビジョナリー・カンパニーのほとんどが、設立以来、一貫して、経済上の目的を超えた基本理念を持っている。そして、ここが重要なポイントだが、ビジョナリー・カンパニーでは、基本理念の力が比較対象企業よりもはるかに強い。

もちろん、ビジョナリー・カンパニーが収益性や長期的な株主の富の形成に関心を持たないと言っているのではない。ビジョナリー・カンパニーは経済活動を行う存在を「超えた」ものだと言っているのであって、それ「以外の」ものとは言っていない。そう、ビジョナリー・カンパニーは利益を追求している。そして、もっと広い視野に立ち、もっと意義のある理想を追求している。利益を最大限にすることを目指してはいないが、それぞれの目標を、利益をあげながら追求している。両方とも行っているのだ。
収益力は、会社が存続するために必要な条件であり、もっと重要な目的を達成するための手段だが、多くのビジョナリー・カンパニーにとって、それ自体が目的ではない。利益とは、人間の体にとっての酸素や食料や水や血液のようなものだ。人生の目的ではないが、それがなければ生きられない。

一九三五年、ロバート・ W・ジョンソン・ジュニアは、「洗練された自己利益」と呼ぶ理念で、これと同じ考え方を示した。「顧客への奉仕が第一であり……従業員と経営陣への奉仕がその次で……株主への奉仕は最後である」(傍点は原文による)。そののち、一九四三年に地域社会への奉仕をリストに加え(それも株主への奉仕より上だった)、 J& Jの理念を文書にした。それが「我が信条」である。古い様式で羊皮紙に印刷され、アメリカ独立宣言と同じ体裁がとられている。「これらのことが行われていれば、株主は適切な利益を得るはずである」と書かれている。一九四三年以来、信条の文言は何度も見直され、若干の修正が加えられているが、責任の序列は顧客が先で株主があとであり、株主の利益を最大限に高めるのではなく、株主にとって適切な利益を追求する基本理念は、信条が誕生してから一貫して変わっていない。

我が信条  
われわれは、第一に、医師、看護婦、病院、母親、そのほかわれわれの製品を使うすべての人々に対して責任を負う。  
製品は、常に最高の品質でなければならない。  
製品のコストを引き下げるため、不断の努力をしなければならない。  
注文には迅速かつ正確に応えなければならない。  われわれの取引先の利益は適切でなければならない。  
第二に、ともに働く人々、工場や事務所で働く男性と女性に対して責任を負う。   従業員が雇用に対して安心感を持てるようにしなければならない。  賃金は適切かつ十分でなければならず、管理は正しく行われ、労働時間は妥当であり、労働環境は清潔で整頓されていなければならない。  
従業員が提案をしたり苦情を申し立てる制度が整っていなければならない。  
監督者と部門責任者は、適任で、公平な人物でなければならない。  
能力のある者には昇進の機会が開かれていなければならず、個人は、それぞれの尊厳と長所によって、立場を考慮されなければならない。  
第三に、われわれの経営陣に対して責任を負う。  経営幹部は、有能で、教養があり、経験が豊富で、能力の高い人物でなければならない。  
経営幹部は、常識があり、十分な理解力のある人物でなければならない。  
第四に、われわれが生きる地域社会に対して責任を負う。
よき市民でなければならず、善行や慈善事業を支援し、税金を公平に負担しなければならない。  
その使用を特別に許可されている財産を、よい状態に維持しなければならない。  
市民の生活の向上、健康、教育、充実した行政を奨励する活動に参加し、地域社会にわれわれの活動を広めなければならない。  
第五に、われわれの株主に対して責任を負う。  
事業は健全な利益を生まなければならない。  
留保を蓄えなければならず、研究を続けなければならず、野心的な計画を進め、失敗は償わなければならない。  
逆境のときに備えなければならず、適切な税金を支払い、新しい機材を購入し、新しい工場を建設し、新しい製品を発売し、新しい販売計画を策定しなければならない。  
新しいアイデアを実験しなければならない。  
これらのことが行われていれば、株主は適切な利益を得るはずである。  
神の御加護のもと、われわれの力の及ぶかぎり、これらの責務を果たすことを、ここに決意する。

“一九八〇年代初め、経営者としての時間の優に四〇パーセントを、信条を組織に浸透させることに費やしたという CEOのジム・バークは、信条と利益の相互作用をこう述べた。    
当社の経営幹部はすべて、日々利益をあげることに必死になっている。それは事業を行うための一環である。しかし、どのような事業であれ、「これをしなければ、短期的な業績に影響を与えるから、これをやる方がよい」と考えがちだ。
この文書(「信条」)があるために、そう考えたとしても、「ちょっと待て。それをする必要はない」と言えるようになる。
経営幹部は、わたしが短期的な業績に焦点をあてればどうなるか見てみたいというが、わたしには、そんなつもりはない。”

フィリップ・モリスのロス・ミルハイザー副社長は、一九七九年にこう語っている。    わたしはタバコを愛している。タバコは、人生を本当に生きる価値のあるものにする。……タバコは、大きな願いをかなえる。人間にとって大切なもののひとつを与えてくれる。人間は常に均衡状態を保とうとしており、その点で、たばこは大きな役割を果たす。  理念なのか、自己欺瞞なのか。宣伝文句にすぎないのか。それはわからない。しかし、フィリップ・モリスには求心力があり、共通の目的を追求しているという一体感がある。

G Eのジャック・ウェルチは、現実主義と理想主義、本人の言葉を借りれば「数字と価値観」の緊張関係を処理することの難しさをこう語っている。    数字と価値観。決定的な答えは、少なくともわたしにはわからない。数字をあげて、われわれの価値観を共有する者は昇進する。数字をあげられないが、われわれの価値観を共有する者には、もう一度チャンスが与えられる。価値観を共有せず、数字もあげられない者がどうなるかは、容易に想像がつくだろう。問題は、数字をあげているが、価値観を共有しない者だ。……こうした社員の説得につとめるなど懸命に努力しているが、悩みの種である。

ほとんどの場合、基本的価値観は鋭く短い言葉に凝縮され、大切な指針になっている。サム・ウォルトンは、ウォルマートのいちばん重要な価値観の本質をこう表現している。「顧客をほかの何よりも優先させる。……顧客に奉仕しなかったり、顧客に奉仕する仲間を支えないのなら、その人間は必要ない」。〜中略〜HPの元 CEO、ジョン・ヤングは、 HPウエイの単純さをこう表現している。「 HPウエイの基本は個人を尊重し、配慮することだ。つまり、『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』。すべてはこれに尽きる」。〜中略〜ビジョナリー・カンパニーが掲げる基本的価値観はごくわずかで、たいていは三つから六つである。

目的は、まったく独自のものである必要はない。ふたつの企業が、似通った目的を持っていても不思議ではない。これは基本的価値観として、二つの会社が誠実さを揺るぎない信念として掲げていても不思議ではないのと同じだ。目的の最大の役割は、指針となり、活力を与えることであって、ほかの企業との違いを明らかにすることである必要はない。たとえば、 HPは電子機器を通じ、科学の進歩と人類の幸福のために、社会に貢献することを目的としているが、これと同じ点を目的にできる企業は多いはずだ。問題は、 HPのように、この目的に徹し、貫き通せるかどうかだ。基本的価値観の場合と同じで、ポイントは本物であることであって、独自性ではない。

ソニーは、炊飯器や粗雑な電気座布団から、テープレコーダー、トランジスター・ラジオ、トリニトロン・カラーテレビ、家庭用ビデオ、ウォークマン、ロボット・システムへと発展し、二十一世紀も未知の世界に向かっていくだろうが、「〔日本の〕文化向上のために」技術革新を応用する真の喜びを感じる基本的な目的の追求が終わることは、絶対にない。  つまり、ビジョナリー・カンパニーには、胸がおどるような新しい事業分野へと発展しながら、基本的な目的を指針として守る能力があり、その能力を発揮しているのだ。  その意味で、自分の会社の目的について考えているのなら、「当社の目的は X製品を Y顧客に提供することにある」式に、製品の種類や顧客を特定しない方がいい。例えば、ディズニーが「当社の目的は、子供向けのアニメをつくることにある」と宣言したとする。説得力もなければ、百年後まで通用する柔軟性もない最悪の目的だと言えるだろう。しかし、「われわれの想像力を活かして、人々を幸せにする」という目的ならば、説得力があり、優に百年は続くだろう。組織が存在する理由を、もっと深く、もっと根本的に考えることが重要である。

ビジョナリー・カンパニーのすべてが、目的を正式に宣言しているわけではない。非公式な不文律という形をとっている企業の方が多かった。基本的価値観は、十八の企業すべてがはっきりと掲げていたが、目的はその役割や意味合いが基本的価値観とは大きく違っている。また、正式な形にせよ、不文律にせよ、設立以来のどこかの時点で、目的のような宣言をしている企業が十三社あった。したがって、基本理念の独立した構成要素のひとつとして、目的があると考えるのが役立つだろう。わたしたちが関与したほとんどの企業では、基本理念を文書にする際に基本的価値観と目的を掲げたことがプラスになっており、読者にもこの方法を勧めたい。

基本理念を、文化、戦略、戦術、計画、方針などの基本理念ではない慣行と混同しないことが、何よりも重要である。時間の経過とともに、文化の規範は変わる。戦略は変わる。製品ラインは変わる。目標は変わる。能力は変わる。業務方針は変わる。組織構造は変わる。報酬体系は変わる。あらゆるものが変わらなければならない。その中でただひとつ、変えてはならないものがある。それが基本理念である。少なくともビジョナリー・カンパニーになりたいのであれば、基本理念だけは変えてはならない。

確かに、ビジョナリー・カンパニーは基本理念を持ち、進歩への意欲を持っている。しかし、ただそれだけではなく、基本理念を維持し、進歩を促す具体的な仕組みも整えている。  ウォルト・ディズニーは、同社の基本理念が維持されるかどうか、運を天にまかせたりはしていない。ディズニー大学をつくり、すべての従業員に「ディズニー・トラディション」セミナーの受講を義務づけた。ヒューレット・パッカードは、HPウエイを掲げただけではない。社内の人材だけを登用する方針を打ち出し、同社の理念を、従業員の評価と昇進の際の基準にし、HPウエイに合わない者が上級幹部に昇進するのはまず不可能な仕組みにしている。

・カルトのような文化──すばらしい職場だと言えるのは、基本理念を信奉している者だけであり、基本理念に合わない者は病原菌か何かのように追い払われる(基本理念を維持する)。  

・大量のものを試して、うまくいったものを残す──多くの場合、計画も方向性もないままに、さまざまな行動を起こし、なんでも実験することによって、予想しない新しい進歩が生まれ、ビジョナリー・カンパニーに、種の進化に似た発展の過程をたどる活力を与える(進歩を促す)。  

・生え抜きの経営陣──社内の人材を登用し、基本理念に忠実な者だけが経営幹部の座を手に入れる(基本理念を維持する)。

どの企業も目標は持っている。しかし、単なる目標を持っていることと、思わずひるむほど大きな課題(とんでもなく高い山に登るというような課題)に挑戦することの間には、明らかな違いがある。一九六〇年代の月旅行計画を考えてみればいい。ケネディ大統領は政権の高官を集めて会議を開き、「宇宙開発計画を強化しよう」といった中身のない声明を考えることもできた。一九六一年には、飛び抜けて楽観的な評価でも、月旅行が成功するチャンスは五〇パーセントとされ、ほとんどの専門家が実際にははるかに悲観的であった。それでも、一九六一年五月二十五日、ケネディ大統領が「わが国は六〇年代が終わるまでに、月に人間を着陸させ、安全に地球に帰還させる目標を達成すると明言すべきだ」と宣言したとき、議会はこれに同意して、まずは五億四千九百万ドルの予算を承認し、そののち五年間に、さらに数十億ドルの予算を認めていった。成功の確率を考えれば、その時点でここまで大胆な目標を目指すのは、無謀だといえた。しかし、一九五〇年代のアイゼンハワーの時代の余波でまだ停滞していたアメリカが、猛烈な勢いで前進をはじめたのは、このような強力な仕組みがあったからでもある。

 ジャック・ウェルチはゼネラル・エレクトリック(GE)がぶつかった課題について、こう述べている。第一のステップとして、何よりもまず取り組むべきは、「会社が目指す方向を、幅広くはあるが明快な言葉で示すことである。会社全体にとって意味のあるメッセージ、大きな方向を指し示すが、単純でわかりやすいメッセージが必要だ」。〜中略〜GEが打ち出した方針はこうだ。「参入したすべての市場でナンバー1かナンバー2になり、当社を、小さな会社のスピードと機敏さを持つ企業に変革する」。GEの従業員はだれでも、このBHAGを完全に理解したし、忘れはしなかった。

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