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青年海外協力隊の訓練であった「ボランティアスピリット」という言葉を考えるということについて

ボランティアスピリットって言葉あるけれど、これはいったいなんだろうか?
直訳すると、ボランティア:奉仕活動、スピリット:精神、となり、奉仕活動精神となるのだが。

まず、「ボランティアなんて偽善だ」と言い切る友人について話そう。
その人は、「ボランティアは偽善だ。偽善は大好きだ」と言うのだ。
どういうことか。

彼は、コンビニにある募金箱につり銭を時々いれるんだそうだ。
(私からすると、だれがこの募金箱にいれるんだろう?って思ってたんだけど)
その募金箱に入れられたつり銭が、本当に慈善団体にわたるかどうかも知らないし、バイトのにーちゃんがちょろまかすかもしれないし、慈善団体にわたったとしても、最終的には途上国の政治家がいただいてしまうかもしれないし、本当に役に立つかどうかなんてわからない、と友人は言う。
入れた先は知ったこっちゃないが、入れている自分のかっこよさが大好きなんだ、と。
そういう意味で偽善最高、と開き直った彼の態度は潔い。

なるほどなぁって思った。


協力隊に参加したのた、エスカレーションした、という人もいる。
はじめは、コンビニの募金箱とか、路上での募金。
でも、本当にどこにいくんだ、俺の金。
そう思った彼は、もっと顔の見える募金に走る。
足長おじさん的なお金補助の里親制度があるそうで、そういうのをやり始めた。
遠くの国の子供にお金の援助をするんだそうだ。お礼に、その子供から手紙がときどき届く。
そういう募金。顔が見える。お金がどうなっているかわかる。
そのうちに、もっと直で役立ちたいと考えて、協力隊になった、という。

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さて、私の場合だが。
前者の、友人に近い。
かかわっている私、かっこいいの精神だ。
役立っている俺、どうだ。
的な。
実際に本当に役立っているのかどうか別問題として。

ボランティアスピリットの解釈はたくさんある。
正解はない。
けれど、考えておいたほうがいい。

青年海外協力隊でのボランティアスピリットってなるとどうだろうか。
個人でのボランティアスピリットとちがって、話はもうひとつ大きくなる。
政府開発援助の一環だからだ。報酬ももらえるし。国交に関係するし。
めっちゃでっかいお金、税金が投入されている。

国交がかかわり、お金が大きく動くとなると、目的を確認して確立していかなきゃいけない。
税金はすべからく透明性がなきゃいけないのだ(何に使われてどういう風にまわっているのか、国民が把握しなきゃね)。

その目的はどうあるべきか、しっかりと議論されるべきなのだ。

どうあるべきだろうか?
その国の、国民総生産があがれば、良い のだろうか。
その国の、人口が増えたら 良い のだろうか。
その国の、死亡率が下がるのが良いのだろうか。
GDPがあがり、人々の暮らしは幸せになるのだろうか。
人口が増えて、死亡率が下がったけど、食べ物がいきわたらなくなったり、仕事にあぶれてしまったら、それはそれでよいのだろうか。

絶対的に良い、という指標はよくわからなくなってきていると思う。
ともかく、人口がふえると、地球の資源はいったいどうなるだろろうか。


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