ブラザー・ヒョク 大阪 聖会
6月29日に大阪の波切ホールで開催されたブラザー・ヒョクの聖会に参加した時の気持ち。
【神学校】
梅雨が明け、沖縄に夏が到来した。ブラザーヒョクの東京聖会に参加した前回の旅から9ヶ月が過ぎている。
↓前回の旅の記録はこちら。
https://www.yambaru.info/p/12/
あの素晴らしい旅の後、聖書理解と福音理解をさらに深める為の時間が僕に与えられた。ハードな仕事ではあったが、毎日10時間ほど聖書と海外の教師(ジョセフ・プリンスやカリー・ブレイク)のメッセージに耳を傾けながら業務にあたれる仕事についたのだ。
僕はこの環境を神学校と呼んで大いに喜んでいた。この期間を通して、【自分がキリストの内に新しく創造されたもの】【父子御霊の交わりの中にキリストにあって招かれているもの】【神の子】としての認識が以前より鋭く深くなっていった。
キリストの福音に対する理解が深まる。いや、刷新されたと言っても過言ではない恵みに預かることができた。あまりの感動に何度も大きな声で神を褒め称えた。
神は、この神学校が終わるタイミングをあらかじめ僕に告げてくださっていた。とはいえ僕は仕事を辞めるつもりはないし、この忙しさで辞めることは不可能だと考えていた。
神があらかじめ教えてくださっていたタイミングを数日過ぎたとき、天使がヤコブの腿の関節を外した時と同じように、不意に足の肉が離れた。完治まで数ヶ月かかる怪我だった。
神がクリスチャンに何かを教えるために、クリスチャンに害を与えることはないと僕は理解している。つまり、今回の怪我が起きることを前もって予知していた神は、それまでの期間で僕を訓練し、さらに不意のアクシデントに対応できるように整えてくださっていた。
仕事を失って、なおかつ怪我のために次の仕事を手早く探すことも難しいと思える状況の中で、心には平安が満ちていた。
【巨額】
ある日、あるグループのために自分ができることはないかと考えていた。メンバーの気持ちに寄り添うかたちで金銭的に実際に援助できることは何かないだろうか。
それで、大阪行きの旅費も含めた、向こう1年の必要な経費と大まかな計画を紙に書き出した。1年間、みんなのサポートをしながら自分の生活もまかなえる金額だ。
金額を書いた紙を壁に貼り出したあとで、勘定に入れ忘れていたものがあることに気づき、貼り出した紙を壁から剥がしてゴミ箱に捨てた。
新たに書き直して増額した紙を壁に貼り出したその時、「大雑把ではなく、しっかりと計算するよう」にとの思いを受け取ったので、僕は必要な経費の計算をはじめからやり直すことにした。
改めて計算し直した紙を壁に貼った時、なんだか見覚えのある金額だと思った。
まさか。
最初にゴミ箱に捨てた紙を拾い直して広げてみる。
最初に計算した金額と新たに計算し直した金額が驚くことに一致していた。それも、端数までだ。これは神さまからの保証だと受け取るに十分な奇跡だった。
【誘われている感じがしない】
ヒョクさんの大阪聖会の予約フォームが公開された時にすぐに登録した。とはいえ、去年のような「行きたい!」という気持ちがなぜか失われている。
福音理解が刷新されたことにより、僕の中できよさに対する理解が変わっていることが原因かもしれない。
きよさは、自力で獲得するものではない。神の子とされている事実とキリストにあって義とされているアイデンティティーのうちに、御霊の実として現れるのがきよさだ。
ヒョクさんのきよさに対する姿勢はなんだか人間の力と意思で掴み取ろうとしているかのような印象を受けてしまう。
だから、少し冷めている自分がいた。
自分自身のきよさに信仰を置いたクリスチャン生活と、神のきよさに信仰を置いたクリスチャン生活は、楽しさと美しさと平安において大きな差が出ると思うからだ。
僕は神のきよさに信仰を置いたクリスチャンでありたい。
その他にも、神学的に完全には同意できない点がいくつかあることから、僕の求心力は低下していた。
ヒョクさんの口から、人間の努力によってではなく御霊によってきよさを保つのだという一言を聴きたいと願っていた。その一言があるなら、以前のように彼を応援したいという気持ちが戻ってくるはずだ。
【サイン】
大阪行きのチケットは取らないでいた。僕が行くべきなら神からのサインがあるし、なかったなら行く必要がなかったということだ。神さまからのゴーサインはこれだと決まっていることが自分の内にある。
明確なサインではないが、その前兆は見えていた。手のひらサイズの雲が地平線の彼方に現れてはいる。
聖会に対する熱い思いはないものの、いくつか心配があった。
みくだ。みくは大阪聖会への参加を決意していて既に宿も予約していた。その宿が駅から離れたところにある。聖会の帰りの遅い時間に女性が1人で歩いて良い場所だとは思えない。
仮に聖会に参加しなくても、彼女のボディーガードとして大阪に行くことも考えた。旅費を渋って一生後悔するようなことは嫌だ。
あと、旅費に使うお金を別の支払いに当てたいと思う気持ちもとても強かった。その支払いを差し置いて旅にでるのは僕にとって非常識なことであるし良くないことだと思っていた。
聖会がある週になって、神さまに語りかけた。僕は大阪に行きますか?「土曜日」という答えがあった。
土曜日の朝、那覇空港に来ている。チケットはまだ取っていない。神さまからの明確なサインを待っている。
前回の旅は、神さまの声を聴きながら行動した旧約の聖徒のような旅だった。この数ヶ月、神学校で教えられたことを通して、新約の聖徒のアイデンティティが僕にはある。
そうか、今回の旅は新約の旅なのか。
神さまのサインを待つのではなく、神さまの内で歩むことが御心なのだ。目の前のことを大胆に切り拓いていく神の子としてキリストにあって踏み出すべきだ。旧約の預言者エリヤだって、雨が降ってからではなく、雨雲を見てから行動した。新約の聖徒ならなおさらだ。
聖会への期待30% みくのボディーガードとしての責任感70%
6月29日、10時10分。僕は那覇空港を飛び立った。
エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
列王第一18:42〜55
【フェリー】
みくと僕は別々の飛行機に乗り大阪を目指す。僕の便は12時過ぎに神戸空港に到着した。ここから電車で会場まで2時間くらいかかる。集会は14時からなので1時間ほど会場入りが遅れる予定だ。
みくの便は関西空港に到着予定で集会の時間に間に合う。会場で再開しようと約束していた。
神戸空港のすぐ近くにフェリーのポートがあることに気がついた。ポートから関西空港まで30分くらいで行けるようだ。関西空港から会場まで30分くらいで行けるため集会に間に合う。フェリーのチケットを買い、出発の直前に船内に滑り込んだ。
関西空港に着き、駅へと向かう。チケット売り場を確認した。目をあげると、旅行客らしいひとりの女性が荷物を抱えてスマホで一生懸命に何かを調べていた。
「お客様、チケット売り場はこちらです」と声をかける。
「えー!!なんでここにいるの!?」
みくの驚いた顔を見て、僕はケラケラ笑った。
14:05分。僕たちは会場である波切ホールに到着した。
【聖なる炎の集会】
先に会場入りしていた、みくの妹夫婦の隣に座る。2人はこの聖会への参加をだいぶ前から決意していた。ひたむきにイエス様を求めている。
出席者の数を見た時、この集会を開催するにあたり多くの妨害や戦いがあったと考えるのは想像に難くなかった。
僕自身、霊の深みに入るまで時間が必要だった。
〜And my heart burns for you〜と繰り返し賛美する中で全身を御霊の感動がつつんだ。
「お父さん、今回来て良かったです」と祈る。
「誘ってよかった」と主の語りかけがあった。
ヒョクさんのメッセージがはじまる。ヒョクさんは聴衆に向かい、きよさを保つことを大きな声で勧める。次の瞬間、今回の旅の答えがヒョクさんの口から飛び出した。
わたしの人生を振り返ると、わたしはきよさを保ってきました。聖なることを保ってきました。そして従順の道を歩きつづけてきました。
決して自分の力ではありませんでした。聖霊様を通してでした。
自分の力できよさを成し遂げることは不可能です。
きよさの唯一の秘訣。それは聖霊の中にあります。
ヒョクさんの口から聴きたいと願っていた言葉が彼の口から滑らかに紡ぎ出される。聖霊様のきよさが、聖なる炎が、大阪の地で。
聖霊様に依存してください。三位一体の神が互いに依存しているように。三位一体の交わりの中にあなたも招かれています。とヒョクさんが語る。
聖霊様の喜びで包まれる。聖霊様はサプライズが大好きな方だなと思った。自分の期待を遥かに超えるかたちで天上から良い贈り物を与えてくださる。聖霊様は今回の旅に僕を確かに誘ってくださっていたのだ。
聖霊様を認めるように、聖霊様と共に歩むようにと強く勧められた。前回の集会で、キリストの花嫁よ立ち上がれと勧められた。今回の集会では、キリストの花嫁として聖霊様によってきよさを保つようにと励まされた。
参加者の中にひとり、お坊さんのような若者がいた。賛美の時にも席に座ったままで、ヒョクさんのメッセージの時に手を組んで念を送るような仕草をしている。
彼が冷やかしできた一般人なのか、妨害しに来た本物のお坊さんなのかは分からないが、彼の霊力を縛る祈りをした。まわりの兄弟姉妹も同じように祈っていたはずだ。
ヒョクさんが救いの招きをした時、なんと彼は立ち上がり前に進み出た。キリストの前に降伏したひとりの青年として。
また、今回ヒョクさんには2人のボディーガードがついていた。黒いスーツに身を固め、機敏に動くこの2人も手を上げて救いの招きに応えていた。ハレルヤ!!!
僕たちは、聖霊の炎が日本全国に広がると信じている。多くのクリスチャンは火の付け方にこだわっているように感じる。自分が理解できる方法でないと面白くないのだと思うし、その気持ちは僕もよく理解できる。
マッチで着火するのか、ガスバーナーか、はたまた自然発火か。火の付け方にこだわり、自分が理解できない方法で付いた火は火事呼ばわりして一生懸命消火しようとする。
そんなカッコ悪い大人の1人に数えられないでほしい。
大事なのは、火がつくことだ。大阪で着火された聖なる火を僕は大事に大事に沖縄に持ち帰る。
今回の集会で、運営のあり方に対して戸惑いを覚えることが少しあった。詳細を書く事は控えるが、それも聖霊様によって正されると期待しているし、祈りつつ準備を進めてきた兄弟姉妹に主の祝福が豊かにあるようと願う。
【ボディーガード】
聖会が終わり、妹夫婦と食事をした後に、みくを宿に送る。去年の淀橋教会での聖会の素晴らしさを知っていただけに、人数の少なさや、その他いくつかの点に少し寂しさを覚えながら歩を進める。
ヒョクさんのメッセージは素晴らしかった。
しかし、最初から御霊の働きが全開だった淀橋での集会とは違い、今回は人間の思惑と感情がところどころに散りばめられている雰囲気があった。スタッフや奉仕者みんなが一生懸命なのは伝わるが、ピリついた空気を纏っていたように感じる。
僕たちは、この気持ちをどう理解するべきなのだろうか。
若いお兄さん達が騒いでいる酒場を過ぎて人気のない路地に入る。時刻は夜の12時に近づいている。みくを1人で旅に出さないで良かったと思った。
みくを宿まで送った後に、歩いてマンガ喫茶へと向かった。狭いスペースでも幸せを感じることができる。僕の世界は内側に大きく広がっている。
【失敗の向こう側】
翌朝、みく、妹夫婦と合流し、みくの教会の人に紹介して頂いた岸和田にある教会へと向かう。
牧師の説教のタイトルは「失敗の向こう側」
サムエルがサウルを任命したときのストーリーが語られる。祭司エリの息子たちが主の道を正しく歩まなかったのと同じく、サムエルの息子たちも主の道をまっすぐ歩まなかった。
民は王を求め、サムエルは要求に応えたが、それはイスラエルにとって良いことではなかった。しかし、神は失敗を用いて良いことをなしてくださる。人の目から見て失敗でも神の計画はその失敗を巻き込みながら前進する。
最もわかりやすい例が十字架だ。人間が神の子を殺してしまうという1番大きな間違い、あってはならないこと。しかし、神の計画は前進していき、今の私たちがいる。
みなさん、失敗したからといって、投げ出さないでください。「失敗の向こう側」に行こうではありませんか。牧師を通して聖霊様が語っている。
この教会の牧師はヒョクさんの聖会には参加しなかった。だが、このメッセージはまるで、ヒョクさんの聖会の為に準備されたのかと思えるような励ましの言葉で締めくくられた。
ヒョクさんの大阪聖会は、人の目から総合評価すると残念なことも多かった。しかし、神は失敗の向こう側へと進んで行かれる。僕たちは神の歩みについていけるだろうか。
今回の聖会で、失敗しちゃったなと自分を責めている主催者側の方もいるかもしれない。その人にも神は語りかける。
「失敗の向こう側へ行こうよ」
【みくの活躍】
みくは、食事の為に訪れる先々で、トラクトやみことばを書いたポストカードを感謝の気持ちと共にお店の人に渡していた。
伝道の機会をとらえて、人に福音を伝えている。クリスチャンであると伝えることもあれば、伝えることなく親切を示すことでキリストの香りを放つこともある。
「いや、かわいすぎるやろ〜!!」
西成の屋台で昼間から出来上がっているおじさんが声を上げる。ポストカードをもらったおじさんは満面の笑みを浮かべていた。みくは美人だ。満島ひかりに少し似ている。
悩む暇があれば、福音伝えようよ?みくの背中がそう語っている。
泉佐野の駅で、みくは文具屋さんへ、僕はたこ焼き屋台に向かった。
屋台で外国人観光客が何やら困った様子。日本円の現金がなくて支払いが出来ずにしょんぼりしている。たこ焼き代の支払いを肩代わりした。大阪に来てよかったと彼が思ってくれたら嬉しい。初対面ではあったけど、なんとなく霊の繋がりを感じたから彼はクリスチャンだったのかもしれない。
りんくうタウンで観覧車に乗り、泉佐野市の街並みを見下ろしながら祝福と守りを祈った。高いところから泉佐野市を見下ろしたいと思って乗っただけだったが、この街の為に祈るようにとの促しを強く感じたので、みくと一緒に強く祈った。
【立ち上がれ】
空港で、別の教会から今回の聖会に参加していた兄弟姉妹とあった。同じ便で沖縄に帰るようだ。それぞれが犠牲を払って聖会に参加している。
飛行機の窓から外をみる。雲の中に虹が輝いていた。上空から色んな雲の中に4回虹を見ることができた。
日本人の霊的な覚醒が目前に来ている。キリストを受け入れた神の子たちがこの国に満ちようとしている。
聖会でひとりの牧師が語った言葉が印象的だった。
「日本人1億2000万人が救われ、全国に8000ある教会に人々が向かうとしたら、1教会あたり1万5千人を受け入れなければなりません。それなのに、コロナ禍で1000の教会が失われようとしている」
牧師たち、クリスチャンたち、一体何に疲れているのですか??立ち上がりましょう!!!この牧師の言葉の響きが全国にこだましてほしい。そう思った。
あの会場にいた全員が新たにミニストリーをはじめたとしても1億2000万人を受け入れるにはまだまだ人手がたりない。
僕たちには、やるべきことがたくさんある。自力で努力で硬い意志で行うのではない。聖霊様に依存して御霊の働きに自分を明け渡して、聖なる火を身にまとい神の力から力へと進んでいく。
【大雨の音】
出発前に小さく見えた雨雲。神さまのサインはいまだに小さなままだ。
しかし、大雨の音が聞こえる。
まもなく、この地に信じられないくらいの大雨がふる。主の前に提出した、あの計画が現実のものとなる。かつてなかったほどの大雨がふる。雨音はますます激しさを増している。
この大雨は聖霊の炎をさらに燃え立たせる大雨だ。
僕たちは急いで準備をしなければならない。御国の為に働く時が来ている。
沖縄にゴスペルを。 わたしの内におられるキリストは強い方。 御心のままに働きます。