言語とIdentity

社内で議論をした際に、あるメンバーが4歳の時に、とある太平洋の島からアメリカ本土に移住したが、当時、家族のだれも英語を話せず、学校で目立って孤立しないよう、必死で英語を覚えたと。直ちに同化が必要だったし、その時に自分のIdentityに大きな変化があったと。

また、他のヨーロッパへの留学経験のある日本人の方は、英語を話すときに別人格となると、よりはっきりものを言わなければならないからと。

更に、あるアメリカからの帰国子女の方は、日本に戻ってNativeのような発音で英語を話すことを控えて、周りになじむ為に、わざとカタカナ発音でしゃべり、同化を試みたと。Nativeのような英語発音をからかう生徒が沢山いたとのことです。

私自身、6年超のシンガポール駐在で、同地の訛りが抜けません(アメリカでの5年が塗り替えられつつあります)が、私もシンガポールに同化していたということかもしれません。自分の言語自我、Identityも少し変化していたと感じます。

以下の今仲 昌宏先生の論文「英語発音習得における成人学習者の抑制要因」を拝読し、とっても感銘を受けました。発音についても深くご考察が述べられており、色々と参考になりました。

https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/research/26/001-012.pdf
以下が私の主なTake‐Away(抜粋)です。どのポイントも私にとっては初めて教わる事ばかりで、長い抜粋で恐縮です。。。

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国際的に発音指導に関する本格的な研究が始まったのは20世紀初頭で、それまでは他のElementsが偏重されてきた。(まだここ100年程の歴史しかない)

概ね臨界期(思春期)以前に一定条件下で学習が開始されると、母語話者並みの言語習得が可能とされる仮説は、大脳の左右の機能分化/一側化(lateralization)の時期と深い関係がある。

一方、成人後も例外的に native-like な到達度に達する学習者もいる。動機づけ、心理的側面、言語適性、分析能力等に加えて恵まれた学習環境などを通じ、高いレベルに到達できる可能性がある。

音素レベルだけでなく、異音レベルでの調整能力というのは、調音器官の動きを制御するにあたり、音色の微細な違い等を表出できる調整力まで身につけられるかどうかということが焦点となる。つまり母語訛りのある発音は、母語の調音のプログラミングをある意味で流用している可能性がある。訛りがないということは、母語とは別個にプログラミングができている可能性がある。

Speaking は他の3技能(listening, reading & writing)と比較すると、学習者にとっては心理的負担が学習上最も大きい技能である。Speaking は、原理的には運用中必ず聞き手が存在し、4技能中唯一、同席者の前での言語運用が求められる技能。目前の相手とのコミュニケーションでは、相手の言葉に対して即座に反応して答えなければならないという時間的制約もある。他の技能と大きく異なる点は、話者の表情や speaking に伴った身振り手振りなども含め、学習者自らが発する外国語音声という、何らかの形での聞き手の評価を受ける、話者と一体化した言語上の実体がある点である。

発音のもつ特殊性として、脳の言語を司る部位と運動機能を司る部位とが直接結びついて、神経と筋肉が関係するプログラミングにより調音器官を動作させるという身体運動上の訓練を伴う独自の学習、すなわち運動学習が含まれている点。要は、演奏速度やタッチなどを含むピアノの運指に関係する演奏技術などと似た側面がある。

発音は音声による内容理解の重要なカギとなるので、発音の巧拙に加えて発音上の誤りなどがしばしば話し手の運用能力全体を評価する尺度となってしまうことがある。

発音は学習者の自己Identityの確立と言語習得に、心理的かつ密接に関わっている。また、外国語を学ぶとは、ある種の文化変容(acculturation)を生じさせる。

自己の自我を守る為に心理的に自己制御(inhibition)が生じる為、native-likeな発音に抵抗感が生じる。特に自分に自信のない人間にはその抵抗感が強く発生する。

言語自己(language ego)とは、単一言語使用者(monolingual)にとっては、母語と自我の相互作用により生じるとされる。子供は幼いとき自己境界(ego boundary)が曖昧な為、第2言語の受け入れにも柔軟だが、年齢が増すにつれて母語の言語自我の確定・固定化が進み、自我境界が明確になり、結果、第2言語の受け入れの困難が増す。

自己アイデンティティ(Self-identity)はコミュニケーションの過程で相手とのやり取りを行うことで徐々に形成され、成人頃までには母語と分ち難く結びつく。

思春期の学習者は、肉体的、情緒的、認知的な変化により、言語自我が保護的、防御的に作用するような防衛機構が生じる。言語自我は青年の壊れやすい時期に自らを防御する為に母語という安定した、謂わば、母体に執着する形をとる。

一方、異なる言語や文化に対して共感的な立場をとることができる成人学習者は、この言語自我を一旦保留することができ、新しい言語や文化をありのままに受け入れることができる。要は、順応性のある言語自我が抑制を低く保つことができる人は、自我透過性(ego permeability)があると言える。

Peer pressureにより、自分たちとは異なる発音をすることが理由で周囲が仲間外れにしたり、いじめたりする村八分の心理が残っている。

自分で考えた文を発話し、聞き手からの反応や訂正などを得て学んで、生産的なコミュニケーションを行えるようにせねばらないが、この過程で学習者にとって誤りが自我への脅威となる。「犯した間違いに対して批判的な自分」と「それでも練習しようとする自分」が衝突し、疎外(alienation)が生まれる。この疎外は、学習者と教師、学習者とクラスメート間でも生じ得、学習を抑制する原因となる。この疎外を除去することがよりよい学習環境の醸成に繋がる。

発音は言語学習の一部ではあるが、語彙、文法、ライティング、リスニングと言った他の言語学習の側面よりも成人学習者のパーソナリティ、Self-identityと相当深く関わっている。

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