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Twitter現代川柳アンソロ2~鑑賞~4

・TLに流した、X(Twitter)現代川柳アンソロ2の感想 #ツイ川ア・ラ・モード  をnoteにまとめ始めました。
・一部に加筆修正をしています。掲載は時系列でもページ順でもなく、加筆修正順のランダムになっております。
・あと、その時の気分で、文体が「ですます調」「である調」「口語調」に変わるので、いろいろ、混じっています。読みにくいかと思いますが、いちいち直すと、またタイプミスとか増えそうなので統一しません。
すみませんがご了承ください。

人間の先で鉛筆が尖る、欠けた / 西沢葉火
@kemurikaizyuu

尖っている部分ってなにか、危うさがありますね。鉛筆が欠けたとき、鉛筆を握っている人間までもが欠けてしまうのでは?という不穏さを感じます。

にんげんのさきで/えんぴつがとが/る、かけた

こうして区切ると、結句の部分「る、」は脳内で2音分に補正して読んでしまう誘惑が来ますね。補正をかけると下5音になるからですが、とりあえず表記上は下4音ということにしておきます。
上8と中7~下4の句跨りという、破調の韻律にすることで不穏さ危なさの要素が心理的に増幅されるように計算されているようです。
自由律句として読みたいところでもあります。

掲句はなにか危うさや脆さを鉛筆の芯の尖りに投影させることで、人間存在の本質、普遍性や無常観を詠んでいるような深みがあります。そういった意味で、

人間を掴めば風が手にのこり / 田中五郎八

のポエジーとの通奏低音を感じ、実に味わい深いです。

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ビル風がフラテルニテを連れて来る / 下野みかも
@3kamoshitano

調べたらフラテルニテfraternitéは仏語で友愛・博愛。国の標語は「自由、平等、友愛」( Liberté, Égalité, Fraternité «リベルテ、エガリテ、フラテルニテ»)。川柳は教養が培われるのか(喜♪

友愛、ギリシャ語だとフィリアとかフィレオ―とか。フィレオフィッシュみたいですね。白身だからなんか打算の無い愛の感じに近いカラーイメージの気もしますw 聖書(キリスト教の愛についての教義)だと基本の愛がエロース(自分に欠けているものを求める愛)、次の段階がより尊いフィリアとかフィレオ―(友愛)、最終的な段階がアガペー(無償の愛)だそうで。

ビル風が~を連れて来るのフレーム自体に少し、ネガティブなものを入れなければ的な慣用的ニュアンスが。常識的な感覚では、ビル風の語感に埃、ゴミ、枯れ葉、寒さなどウザい系みたいなところが含まれている感じで、流れから行くとネガティブ表現を入れたくなる圧がかかるわけです。
ところが掲句では、友愛という哲学や宗教由来のプラス思考のニュアンスの語を取り合わせています。

で、文脈の本来もつニュアンスとは逆の語の挿入による微妙な感覚的ズラし(違和感)を起こさせているところに川柳味があるのかもしれませんね。

いや~、今まで考えもしなかった事調べたり考えたり、川柳って勉強になりますね~~♪

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てのひらは美術館だと思い出す / 太代祐一
@tashiro_yuichi

てのひらは美術館だと言い切っている点で、

妖精は酢豚に似ている絶対似ている 石田柊馬

的な「川柳が川柳であるところの川柳性」を吸収、自家薬籠中にしている感じがします。また、言い切りだけではなく「思い出す」と時間経過の意識とか気付きの意識が追加されている点にオリジナリティを感じます。気付きの句として自分が想起するのは

そうか川もしずかな獣だったのか 八上桐子『hibi』港の人 p14

ですが、川と獣、てのひらと美術館、それぞれの飛躍の度合いになんか共通するものを感じました。てのひらが扉となって、その奥に広大な展示空間が広がっているような読みへ引き込まれるのは、この言い切りと気付きの表現の飛躍性による説得力があるのかなと♪

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赤い沓、私の赤 / 南雲ゆゆ
@nanyunyuyu

あかいくつ、わたくしのあか で5・7の #ジュニーク ですね。

調べたら、沓というのは元来、革の靴を指すのだそうです。読み(鑑賞)をかなり広い部分で読者に投げかける構成は赤い塗潰し背景に革靴だけが描いてあるかのような、現代美術っぽい印象が来ます。

革靴の赤こそ私の赤である、という読みも出来ますし、革靴の赤があり、私の中の赤もまたある、というような並列の読みもできるでしょう。そのほかにも色々に。

赤、沓、私 という三つの要素しか句に乗せないことで読みの方向性を或る程度限定づけているところが、短律の句としてきちんとポエジーを醸成させている理由になるのかな?と思いました。チャレンジングな句だと思います!

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私たちネバダイ世代抱く草鞋 / 富永顕二
@tommykendrick33

個人的にネバダイから、どうしても007の第18作トモロー・ネバー・ダイTomorrow Never Dies(1997年)を思います。ボンドシリーズは若い人も遡ってみたりする映画だから世代の特定とかは難しいけど、1997年頃が青春時代だった世代ってことでしょうか?
なんか、しぶとそう、そして、どこか明るい感じですね。不屈は明るさを呼ぶのでしょうか?w「抱く草鞋」からは機転で出世した豊臣秀吉、草鞋を履く~からタフな渡世人木枯し紋次郎とかが来ます。

また、二足の草鞋を履くから、複数の職業を持つことで一つがダメになっても生き残っていく(ネバダイ)なイメージも。「ネバダイ世代」の脚韻(ダイ~代)の韻律感の良さ、結語の「抱く草鞋」の多彩なイメージ喚起力が掲句の魅力になっているようです。

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鳩だった前世を隠す系統樹 / 徳道かづみ
@peaceandbeautyt

系統樹っていう語を持って来られた時点でやられた!感があります。自分の好みとしては、作中主体が鳩だった前世を隠すというより、系統樹が作中主体の鳩前世を隠しちゃうっていう読みの方が面白いかなと♪

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砂の城くずれる肩の荷がおりる / 花江なのは
@nanohananoe

砂の城くずれる / 肩の荷がおりる と中七句跨りの二章立て一句として読みます。二つのフレーズに関係性を求めると、作中主体には「砂の城」は重い「肩の荷」だったと読めそうです。

主体が守っていた、良い子の仮面、家名、自分の立場、自分が所属している組織、などの喩として「砂の城」は上五に置かれた、と。
それは実は脆いものであって、ついに崩れてしまったというイメージが来ます。そのとき、主体にとっての真のカタルシスがおとずれるというような展開。

後半のフレーズで自分の思いを述べた句ですが、不思議にサラッとした解放感があるところに惹かれます。

5に続く

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