見出し画像

Twitter現代川柳アンソロ2~鑑賞~7

・TLに流した、X(Twitter)現代川柳アンソロ2の感想  #ツイ川ア・ラ・モード  をnoteにまとめ始めました。
・一部に加筆修正をしています。掲載は時系列でもページ順でもなく、加筆修正順のランダムになっております。
・あと、その時の気分で、文体が「ですます調」「である調」「口語調」に変わるので、いろいろ、混じっています。読みにくいかと思いますが、いちいち直すと、またタイプミスとか増えそうなので統一しません。
すみませんがご了承ください。

★新たに、月硝子さん、木口雅裕さん、汐田大輝さん、まつりぺきんさんの作品感想を追加しました。

病室の箱庭照らす永遠の晴れ / 月硝子
@gesshodo

調べると、箱庭というのは、浅い箱に土砂を入れ、家・橋などの模型を置いたり小さい木を植えたりして、山水の景色や庭園をかたどったものだそうだ。

病室のベッドわきの小さなテーブルに水差しやティッシュなどとともに置いてあるのか。
それとも窓際の桟のちょっとしたスペースに置いてあるのか。

箱庭の箱は狭い病室の、植えられた小さな草木は病室にいる患者の象徴とも読める。
「永遠(とわと読みたい)の晴れ」からは、手術室の無影灯のイメージも重なってくる。そう受け取れば、影の無い明るさから、かえって不治や死の影が強烈に意識されてくるのである。

冒頭に置かれた「病室」という状況設定によって、箱庭の可憐さや永遠の晴れという明るさの裏に命や時間を限定する不穏な影が濃く貼りついていることを意識させられる。そのギャップ(読みの二重性)に川柳味があるのかもしれない。

もちろん、「箱庭」の植物に命の尊さや「永遠の晴れ」に希望を重ねる読み筋、その他の読み筋もあるだろう。

+++

玄関に錆びた錨を置いてくる / 木口雅裕
@gayu07974581

「錆びた錨」は何かの象徴だろうか? 玄関と錨は案外近い言葉だなとは思った。本来、錨は家の玄関に置かれるものではなく、船舶に艤装(=ぎそう。船舶に必要な備品を取り付ける工程、または取り付けられるモノのこと)されるものだから。玄関=港の連想は容易だろう。例:「函館港は、長く北海道の海の玄関口と呼ばれていました」のような。

作中主体は自分を船に喩えているのかもしれない。毎日出かけ、また帰ってくる家の玄関は定期航路を走るコンテナ船の寄港地のようなものかもしれない。いままで、この玄関は必ず帰ってこなければならない場所だった。そして抱えている錨は責任とか義務感とか常識とかなにか、作中主体にとっては古錆びて形骸化した重荷だったのかもしれない。

それを今、置き去りにして、出て行くのである。もうこの玄関=家=家庭=関係には戻らない、ということなのかもしれない。そうとると、前半フレーズは重苦しく、後半フレーズは解放感のある吹っ切れたような読後感が来るのだった。

作者の木口さんは、#川柳EXPO にも参加されている。その連作の作中主体を意識して読んでいくとある傾向が浮かび上がるのだ。渡辺隆夫が生み出したキャラクター「ベランダマン」ほどはっきりしてはいないが、小心翼々、なにやらいろいろ用心しながら世の中を生き延びようとしているキャラが作中主体。その句が多く登場するようだ。

『川柳EXPO』 タイトル: センサーの感度 p60
センサーの感度を下げて生き延びる / 木口雅裕 
びくびくと守りの姿勢ダンゴムシ /
穴ぼこの底で見上げる流星雨 / 
表札に猛妻注意と貼っている / 
行き急ぐこと勿れとスロースクワット / 
庭石のパネルを眺めてから眠る / 
しみじみと残高を見る余命かな / 

Twitter現代川柳アンソロの掲句に戻ってみる。
連作に出てくるような慎重なキャラだった?作中主体がついに、安定運航に必要な錨を置き去りにして出て行ってしまうという、対照的な作風に仕上がっているのに気付かされ、なにか爽やかな感銘を受けたのだった。

+++

忠臣といわれて白き桃かじる / 汐田大輝 
@shioshiopoem

掲句を読んだ時に真っ先に思い浮かんだのが、忠臣蔵の大石内蔵助だった。いろいろな画策をして目指してきた御家再興がかなわないと知った段階で、内蔵助はひそかに吉良上野介を討つことへ目標を変更する。
最初は昼行燈といわれた内蔵助が、徐々に浅野家一の切れ者で人望の厚い忠臣だと知れ渡ってきた段階で、吉良家や幕府から仇討の疑いの目を逸らすために、芸妓と遊び倒して過ごしたという逸話。
さて、「白き桃」である。桃といえば自分にはすぐさま

中年や遠くみのれる夜の桃 / 西東三鬼

が想起される。三鬼自句自解には、「中年というのは凡そ何歳から何歳までを言ふのか知らないが、一日の時間でいへば午後四時頃だ。さういふ男の夜の感情に豊かな桃が現れた。遠いところの木の枝に。生毛のはえた桃色の桃の実が。」と書いているそうだ。

このような連想からいけば、やはり「白き桃」は内蔵助が遊郭で擬態に戯れたあいての芸妓が、じぶんにはぴったり来てしまうのである。
特に年末のこの時期には。
有名な逸話を背景として、もしかしたら作者は現実の社内の派閥関係での立場などを喩えて詠んでいるのかもしれない。
掲句はそんな読み方をしても、また現代性を帯びてきて味わい深いものがある。

+++

ベスト・オブ・水のトラブルマグネット / まつりぺきん 
@mtrpkn

掲句を読んだ瞬間から脳内で「みずのトラブル~クラ~シアン♪ 安くて早くて安心ね~♪」の水道修理会社のTVCMソングが流れだし、永らくリプレイし続けて閉口しました。

ベスト・オブ / 水のトラブル / マグネット
 
カタカナ多用による視覚効果もあり、575の17音をEV車の滑らかすぎるほどの加速感のような律に仕上げてきています。

コマーシャルな軽快さ、軽み、意図された私性の排除の印象がきます。
句姿からも、コピーライト、サブタイトル、テーマやコンセプトのまとめ表題のような、スラリと入ってくるのですが、どこか、乾いたポエジーがきます。

西脇さんの中島みゆきへの過剰な思いによる超・私性句(聡個人の解釈です)と比べてみます。際立つのは、掲句がポスト現代川柳の王道である私性の超克という視点から、まさに私性(→私小説性)から最も遠い、ドライな作風かと。
よく投函される、水道修理の宣伝文句と連絡先が刷られたマグネット式のチラシ。各社それぞれにコピーが。

安い、早い、24時間OK、そそるコピーのマグネット裏にベッタリとマネーの思惑が貼りついています。さて、どれが一番いい出来かな?トラブル解決を一番そそるコピーは?ん?これかなぁ~♪ 掲句の作中主体はその、マネーの思惑の必死さをためつ、すがめつして、比較し、楽しんでいる乾いたアイロニーと笑いがあるようです。

この様な視点の句は際立っていて今回唯一の存在感。
掲句の作句のアプローチやアティチュード(作句態度)には、川柳性の受け継いでいる王道の要素のひとつであるアイロニーを現在(いま)の視点で、解体&組み立てなおしたらこういうアイロニー表現のスタイルにもなるんだよというような提示を感じます。
現代川柳の表現領域の踏査を常に意識して、実験する、まつりぺきんさんの特色がよく出た句だと思いました。

+++

わた、しが、毛になる毛毛毛波は念 / 小野寺里穂
@rh32401585

1:上五の律の違和感による掴み。
2:読点や文の切れ目の読み筋の変化で、写真の多重露光のように、
  各語の意味にブレを生ませる。
3:単語自体の切断により、複数の意味を発生させる。
4:同じ漢字の多用による視覚効果と切れの箇所の変動の仕掛。

わた、しが、 / けになるけけけ / なみはねん 4/7/5 16音

ですが、上五の読点による間(拍)の取り方が特殊。調べると読点→文章の切れ・続きを明らかにするために、文の中の意味の切れめにつける符号。普通「、」を用いる。とあります。

読点を1音に数えないと上4音ですけど、読んでいると無意識に「、」の部分の拍をおぎなって読んでいる感じ。でも不安定なので、仮に読点部分に「し」を入れれば、

わたく「し」が、 けになるけけけ なみはねん 

で通常の575の律になり安定します。掲句はなぜ、わたくしがの5音にせず、わざわざ読点を使った4音にされているのでしょうか?

「わた、しが、」=わたしが の前提で読むと、読点の定義から、文章の切れに打たれるはず。掲句は文の切れめでなく、わたしという単語の途中を読点がぶった切る(切れ目を能動的に作る)ことになります。従来的タブー(読点使用の法則の無視)。

あらら、現代川柳ってこんなタブー表現もガンガンやっちゃっていいのね~!となります。

ぶった切りで想起する超有名句は、

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ / なかはられいこ『くちびるにウエハース』左右社 p56

句中の、く、ずれて、=くずれて ~ な、ん、て、=なんて ~ きれ、い=きれいの部分などが相当します。

手前みそですが (汗、自分も実験で、#川柳EXPO 『離岸流離譚』p98~99の20句中で、「しゅ、んか、ん圧壊き、れい、けり」の句で、このぶった切り手法を試しています(ぶった切り+古語+相聞&時事)。

一方、ぶった切りではないとすれば、わたしとは読めなくて、「わた」という単語と「しが」という単語の間に文の切れがあるということに。するとまた読みが変わります。

当初の読みで「毛」の多用は毛髪や動物の毛などの印象。
わた→絮。しが→死が、歯牙。 
この読み筋でいくと、植物の絮毛が新たに来ます。
「毛毛毛」は例えば、芒の絮毛が河原で一斉に波(=風)のようになびいている様などの映像も来ます。

絮毛には種がついていて、種が死んで新しい複数の命を生み出す。人間界を歯牙にもかけない植物の世界。みたいな生命の念のイメージも来ます。

写真用語に「多重露光」があります。写真を重ねて別の印象やブレをです手法で、表現の幅を生みます。

掲句にちりばめられた手法は多重露光=多重ミーニングに共通するものを感じました。

作者がそれを意識したかどうかはわかりませんが、自分にはこのように読めたのでした。ビジュアル・インパクトだけではなく、広がり、深さや奥行のある句だと思います。

あと、もう一句の、

おもちゃの前足で刻むね心臓 / 小野寺里穂

後半の「刻むね心臓」部分ですが、むね→胸、心臓で、同じ意味が畳みこんである、ことばの遊び心なども感じました。

最後に、小野寺里穂さんの上梓した『いきしにのまつきょうかいで』です。

11月11日の文学フリマ東京37でも、11月19日の川柳イベント #川柳を見つけて  の会場でも登場。多くの人がツイートしていらしたので大反響の句集のようです。一句だけ取り上げても、これだけ読み応えのある作者の句集です。惹かれる句が沢山あるに違いありません。
現代川柳に興味がある方、手に入れて読んでみられてはいかがでしょうか?

画像はご本人の上げたものを拝借しております。


鑑賞8へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?