オダギリサトシ

1984年生まれ。noteにて趣味のフィルム一眼レフ関連の記事を掲載。 そして本業の傍…

オダギリサトシ

1984年生まれ。noteにて趣味のフィルム一眼レフ関連の記事を掲載。 そして本業の傍らKindle本を執筆。Amazon Kindleにて白内障手術の体験をつづった「30代で白内障になりました」を販売しています。https://amzn.to/3EKQrzu

最近の記事

賭博黙示録ジャンク 復活のF2

あれっ…巻上げレバーが動かない。 えっ?ちょっと待って! なんで?なんで? そんな・・急に・・・どういうことだよ? 考えろっ!考えるんだっ! !? 故障・・・圧倒的な整備不良、ジャンクカメラだからか。 それしかない! ざわ・・・ ざわ・・・ 伝説の「F」の後継機にして、機械式一眼レフの最高峰。 ニコンが誇る名機「Nikon F2」 そのF2を手に入れるべく男が飛び込んだのは〝ヤフオク〟欲望渦巻く地下のマーケットである。 そこでは素性のわからぬ数多のカメラを奪い

    • 賭博黙示録ジャンク ニコンF2

      ギャンブルは人生を破壊しかねません。 己をコントロールできるうちはいいですが、ひとたび欲望に呑まれてしまえば勝負が決するまで、もう後戻りはできません。 損をしてでも続ける、借金をする、やっていないと落ち着かない、ここまでいけば依存症の可能性があります。 20代の初め頃、僕は暇を持て余している若者のひとりでした。 その場のノリでアルコール度数の高い酒をあおり、鼻水やよだれ、ゲロや吐瀉物まみれになりながら、居酒屋の床を背中で磨いてたあの頃・・・ そんな学生時代にパチンコや

      • Nikonにあらず? ニコマートFTN

        ぼくの部屋には3台のニコンがあります。 「Nikon S」「Nikon F2」そして「Nikomat FTN」です。 そのなかで唯一、Nikonの名が冠されていないのがNikomat FTN(※以下、ニコマート)です。なぜニコマートは「Nikon」と名乗っていないのか、ずっと疑問に思っていました。 2種類のニコン日本を代表するカメラメーカー「ニコン」 日本光学の名で照準などの光学兵器を製造していた戦前の歴史。 そして日本の敗戦とともに始まり、現在の「ニコン」へと至るカ

        • 自己疎外と創作の楽しみ

          近頃はキヤノンF-1をぶら下げてよく出掛けています。大抵は自宅からそう遠くないエリアを散歩するだけなので、出掛けるといっても場所はどこでも良いのです。 そう、あくまでも目的は「カメラを触ること」です。 歩き回るのは被写体を探すためですから、一連の行動は「カメラを触りたい」という欲求がさせている事なのです。 つまり「カメラに歩かされている」と言えなくもありません。 怖いですね。 キヤノンF-1で散歩スナップさて、この日は隅田川をまたぐ形で、蔵前橋通りを両国方面に向かうル

        賭博黙示録ジャンク 復活のF2

          〝大公開時代〟と一眼レフ

          カメラはありふれた存在になりました。 今やスマートフォンの一機能として、当たり前のように備わっています。 カメラを趣味や仕事の道具にしている人は別として、一般人がわざわざ持ち歩く機会は減ってしまったといえるでしょう。 そのせいか写真の価値が、希薄になってしまった気がしてなりません。 僕が子どもの頃、父親はアサヒペンタックス SP(SPOTMATIC)という一眼レフで家族の思い出を写真に残していました。 ”特殊技能”だったカメラお正月。誕生日。入学式。 父は立ち位置を

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          20世紀末少年たちのハイパーディアブロ

          昭和59年、1984年生まれの37歳。 ミレニアル世代の我々は、世紀末という時代の過渡期を中学生〜高校生として過ごした、いわば20世紀〝末〟少年でした。 ※ミレニアル世代(1981年以降に生まれ、2000年代の初頭に成人または社会人となった世代) そんな我々の世代を直撃した大きな時代の潮流、それが… いわゆる「IT革命」です。 黎明期のインターネットは、今よりずっと怪しげでいかがわしい雰囲気を持ったディープな世界でした。「フェイクニュース」という言葉はまだ存在してお

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