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お弁当

 お弁当のイメージもそれぞれだと思います。ちょっと昔、「あたしんち」という漫画で、主人公がお昼ご飯の時に友達のお弁当を見て、家に帰ってから母親に「うちの弁当は茶色っぽくって恥ずかしいから、友達の弁当みたいに華やかにして!」と主張するシーンがありました。煮物や漬物などがメインになるとどうしてもそうなりますよね。むしろ健康的でバランスが良ければ、それでいいと思いますが、お弁当屋さんの広告にあるような彩のよいお弁当は美味しそうに見えだろうし、なにより「映え」の時代ですからね。
 個人的な話ですが、私は小学校4年生から高校までお弁当でした。埼玉県のとある街に住んでいたのですが、当時の町長さんの意向で「親子の絆はお弁当から」ということで、他の地域が給食センターの設置に次々と乗り出す中、私たちの街に給食センターを作らなかったのです。1970年代の話です。今だったらあり得ませんよね。もちろん子供達には大不評でした。外食が今ほどメジャーではない当時は、給食は子供たちの絶大な憧れでした。そのため揚げパンの味や、給食のカレーを好きな子に多く盛ってあげるなどの経験を知らない(私は小学3年生まで他の街に住んでいたので、かろうじて給食経験者でした)給食ロストジェネレーションを生産してしまったのです。
 お弁当には当然思い出があります。いい思い出とそうでない思い出が半々ですかね。親が色々と工夫して作ってくれた、という想いは当然ありますが、正月明けのお弁当に伊達巻や小魚の佃煮が入っていて、全くおかずにならなくて困ったこともあります。せいぜい紅白のかまぼこにしてくれ、と思ったことも記憶しています。一方で私たちの息子はその逆で、伊達巻が好きだったので高校時代に普段から伊達巻をお弁当に入れていたら、友達から「正月以外に食っている奴初めて見た」と言われたらしいですが。
 結局、お弁当は子供の成長に影響を与えますが、子供の心の成長には影響を与えません。私も伊達巻が入っていたからと言って、親を恨んだりしていません。今思い出すと吹き出してしまうくらいおかしくて、いい思い出だったと思っています。むしろ今も食べたいぐらいです。買ってきたものでも、作ったものでも栄養を考えて親が与えてくれた食事は子供にとって嬉しいものなのです。

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