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ストラスブール考察②

 10年初夏、渋谷の文化村ミュージアムで、「語りかける風景」と題して、ストラスブール美術館展が催されていた。クールベやモネ、ピカソといった巨匠から、他ではあまり観られないアルザスの画家なども含めて、良作・佳作が並んだ。
 ポスターや図録の表紙にもなったシスレーの「家のある風景」は、詩情あふれる一枚である。伸びやかな空の下、緩やかな道と木立の曲線の描く先に、オレンジ色の屋根をした家が佇んでいる。どこか高原の夏を思わせる。
 ヴラマンクの「都市の風景」は特に印象に遺った。どこかの都市を描いているというよりも、立体的なヴォリュームある形態が一個の都市を表している。画面には大胆なフォーヴにセザンヌの構成が加味されて、枠から飛び出そうとする意志と、枠の中に在り続けようとする意志が見事に共存している。
 他にも、17世紀前半のグーテンベルク広場から見た大聖堂や、一次大戦後のフランス軍によるストラスブール解放の日の歓喜と高揚を、ややフォーヴィスム風に描いた作品など、限に愉しいものが多かった。
 この展覧会を機に、私はストラスブールという町にさらに興味を抱くようになった。町には古典美術館と近現代美術館があり、双方から81点の風景画が出展された。これら多様な作品は、この町の歴史の重層と、この町の立地の特異性を鮮やかに表していた。
 
 
 大聖堂から広場を挟んで南側にロアン宮がある。18世紀のストラスブール司教ロアンの宮殿は、現在は美術館になっている。ラファエロ、ボッティチェリなどのルネサンス期から、19世紀中葉のコロー、クールベ辺りまでの絵画が並んでいる。
 ルーブルのミニチュア版といったところで、ところどころに名画が出現する。ルーブルに較べてゆっくり鑑賞できるのがいい。フランドルの画家や、エル・グレコやゴヤ、ロセッティなど、地域も年代も違う多様な絵に、ここストラスブールで出合うことができる。
 通路の最奥には、ストラスブールのモナリザと呼ばれる貴婦人が控えている。傘のように拡がった幅広の黒い帽子を被っている。日本で言う烏帽子みたいなものだろうか。知らない画家だが、妙に存在感のある絵である。
 ロアン宮から、イル川に沿ってプティット・フランスを抜けた先に、近現代美術館がある。滞在したホテルからは近かった。
 下層階は無機質なブロック体、上層階はガラス張りの、文字通りの近代的な建物に入ると、吹き抜けの大きなホールがある。上部からふんだんに光を採り入れた明るい空間である。両側に展示室が続く。印象派から現代美術まで、多彩な顔触れである。
 以前に東京で観た絵の多くは、こちらで再会を果たすことができた。シスレーも、モネやピサロもあった。点描の、いかにもシニャックな「アンティーブ、夕暮れ」。アンリ・マルタンの「雪化粧のパリ」や、明るい南仏の景色に真四角な家が印象的な「古い家並み」。そしてモーリス・ドニの「内なる光」。渋谷の会場で真っ先に登場したのがこの作品だった。他、ヴァロットンやデュフィ、カンディンスキーなども。
 セザンヌはなくてもセザンヌの影響が見受けられる作品は多くみられた。当時ドイツ領だったアルザスにはフランス贔屓の画家も多くいて、彼らの大半がポール・セザンヌを信奉していたという。当時は地元の南仏エクスではほとんど見向きもされなかった近代絵画の巨匠は、先進の気風のこの土地では受け入れられやすかったということだろうか。
 残念だったのは、ヴラマンクの「都市の風景」は、どこかに貸し出し中なのか再会できなかったことである。
 
 
 ストラスブールで旅人が必ず立ち寄る場所が、プティットフランスである。イル川が旧市街のある中州にぶつかり分岐するところに、このかわいらしい街はある。辺りは色とりどりの花で彩られたアルザス特有の美しい木組み建築が拡がっている。
 ここも普仏戦争時、例に漏れず戦火は烈しかったが、戦後修復された街は美しく蘇ったという。こうした先人の積み重ねによって我々は今日美しい街を見ることができる。そしてそうした営為こそが、ヨーロッパの文化のひとつと言っていいだろう。
 私は滞在中は朝に夕に、ここを歩いた。ホテルと旧市街の間に位置していたので、いつも行き帰りに川辺を散策しがてらここを通った。
 近現代美術館の前の広場から川を渡るところに、ヴォーバン・ダムというトンネル状の橋がある。ダムと言うだけあって川の水を堰き止め、手前で氾濫させて街を守る意図で造られた、元は軍事上の要塞である。橋は中だけでなく上も通れる。上を歩けば二股になる川の流れと中州の旧市街を眺め、暑ければ下のトンネルはひんやりとしている。途中にある階段で登ったり降りたりできた。
 橋を渡って川辺を歩くとすぐ、プティットフランスに至る。静かな朝も、活気のある午後もいいが、辺りを夕闇が押し迫る頃になると、さらにこの街が美しく感じられる。通りは仄かに明るく、木組みの家々の屋根も壁も窓も、夕方の光に包まれている。カフェは賑やかだが、昼の賑いとも違う。それは楽し気でもあり、どこか佗し気でもあった。
 
 
 大聖堂から川辺に出るとすぐ、船着場がある。ガラス張りの遊覧が出たり入ったりしている。船は旧市街を出て、少し下流の欧州議会のある方まで行って戻ってくる。
 旧市街を出るとしばらくは特に見どころのない景色が続き、やがて十階建てくらいの湾曲した全面ガラス張りの建物が現れる。何世紀にも亘って啀み合ってきた欧州も、二つの大戦を経て、現在は27ヶ国の共同体となっている。民族も言語も宗教も多様な欧州共同体は、絶妙にバランスを取りながら、ここストラスブールで今日も議会が進行されている。
 ストラスブールの駅の脇には、EU加盟国の旗が並んでいる。楕円形のガラス建築を背景に壮観な眺めなのだが、私が見た16年当時は、全部で28本あった。
 04年から07年にかけてチェコやハンガリーなど12ケ国を加え、13年にはクロアチアと、増加・拡大傾向にあったEUだが、20年には英国が離脱するなど、情勢は変化している。移民問題などを前に分断の動きもみえ、昨今の流れは、共同体の連携に影を落としている。しかし確固とした民族のアイデンティティーと国の存立がなければ、それらを束ねる共同体も空疎な連携となるだろう。それぞれが連携しながら、さらなる輝きを放つ日が待ち望まれる。
 
 
 最後にアルザスの木組み建築だが、プティットフランスだけではない。ストラスブールから列車で30分ほど行ったところにあるコルマールは、ぜひ訪ねたい町である。街を運河が流れ、木組みの家々の壁はカラフルで、通りも家の窓も色とりどりの花で彩られている。
 私は運河の袂に立った。色鮮やかな花を手前に、運河越しに淡い赤や黄色の家々の壁が続いている。花と運河と家並みが最高にフォトジェニックだ。プティットフランスはストラスブールの旧市街の中のほんの一角だが、ここは街全体がこんな調子である。とにかく写真の題材に事欠かない。どこを切り取っても絵になる。
 陶然として街を歩いていると、前をプティトランが通り過ぎて行った。その何気ない光景も、家並みと呼応して美しい瞬間だった。
 コルマールからさらにバスで丘陵地帯を30分ほど行くと、リクヴィルという村がある。見渡すかぎりのぶどう畑のただ中に、花と木組みの家々で彩られた美しい村。
 村の入口から緩やかな傾斜の通りを上がって行く。カラフルな家々の窓は競うようにして花が置かれ、家並みの間を覗く青空には、ちぎったような雲が浮かんでいる。
 おとぎ話のなかにいるような、そんな夢心地で歩いていると、すぐ近くを日本語が通り過ぎて行った。そういえばこの村は、日本のガイドブックでも度々取り上げられていた。通りを上がると家並みは切れ、広大に拡がるぶどう畑へと道は続く。
 緩やかな丘陵を軽やかに登って行く。振り返ると、ぶどう畑と曲がりくねった道と、村の全景が見えた。今日はとてもいい日だ。辺りには、この上なく爽快な時間が流れていた。

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