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ル・コルビュジエ建築探訪 後編

 ブザンソンからバスでブズールという町に出て、地方線で30分くらい牧草地帯を進むと、小屋のような待合スペースがあるだけの、辺鄙を絵に描いたような駅に着いた。ちなみにこの路線は本数が少ないので、ストライキなども考慮しながら前日に確認が必要である。
 駅を出て街道を少し歩くと、教会の尖塔が目立つだけで、店も片手で数えられるほどの集落が拡がる。フランス東部、スイス国境近いフランシュ・コンテ地方の牧草地帯のただ中にある、ロンシャンという辺鄙な町を世界的に有名にしているのが、コルビュジエが設計した礼拝堂である。
 集落のあるところから緩やかに坂を登って行く。樹々の中を20分くらい歩き、いつになったら着くのだろうと思い始めていると、俄かに景色は展ける。そこにあるのが、近代建築の聖地とまで謳われるロンシャン礼拝堂である。
 敷地に入ると、まず周辺の景観に溶け込んで佇むレンゾ・ピアノ設計のビジターセンターがあり、訪問者はそこから歩みを進める。アプローチの緩やかな坂道を上がって行くと、突如それは目に飛び込む。
 ーおお、ロンシャン・・・
 私は無我夢中に坂を上がった。何度も夢想してきたあの形態は、いま私の目の前にあった。蟹の甲羅からインスピレーションを得たと言われるその独特なフォルムは、コンクリートの白い壁と黒い屋根で構成される。前編の冒頭で記した通りの曲線を多用した自由な造形が迸っている。
 大地の上に、一個の彫刻がある。その上辺は、空に線を描く。その面には、大小無数の穴がある。この不規則にして幾何学的な窓は、内部空間に大きな仕掛けをもたらす。
 中に入ると一転、暗がりが拡がる。しかし静寂な空間のいたるところから光が差し込んでいた。まず三方の角にある礼拝スペースは、煙突のように上へ伸びていて、頭頂部がトップライトになっている。その光の降り方が絶妙で、暗がりに光が降りてくる礼拝堂のイメージをこれ以上ない形で体現している。
 そして、圧巻なのが、祭壇と座席のある中央の空間である。先刻外から見た大小の無数の窓からは、光がシャワーのように注がれる。ところどころ赤、青、黄に色付けされた窓を通して届く光は、この空間をさらに恍惚としたものにしていた。
 私は祭壇を前にして席に座った。祭壇は中央に十字架が置かれ、脇には無数の蝋燭が火を灯す。十字架の上には小窓があり、聖母マリア像が置かれる。席からは後光差す恰好となるためによく見えない。
 それ以外は一切の装飾のないシンプルな暗がりの空間を、ひたすら光のシャワーが降り注ぐという、他では体験できない時間を過ごすことができる。私にとってはその、えもいわれぬ空間は、どんな大聖堂よりも神聖で、得難い時間と言える。
 第二次大戦後、倒壊した礼拝堂を復活させる話が持ち上がり、コルビュジエに自羽の矢が立った。コルビュジエはそれまでの教会建築にも、自らの理論にもないまったく新しいプランを、ロンシャンの地に描いた。
 外に出る。制限された光は、全方位になる。改めて奇想天外な〝蟹の甲羅〟を私は眺めた。青空と芝の間で、造形が爆発している。そこには、サヴォア邸などの白の時代にみられる建築家の理性は感じない。芸術家の霊魂が、一編の詩となって佇んでいる。その比類のない美しさは、世紀を超えて、この辺鄙な丘の上に輝き続けるに違いない。

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