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第二ペテロ3章5節ー7節

「み言葉の力」
世の終わりなど来ないとあざける人々に対して、使徒ペテロは次のように反論します。彼らは単に自分たちの都合がいいように、み言葉を部分的につまみ食いしているに過ぎませんと。なるほど、彼らは創世記の天地創造のストーリーを引用しはすることでしょう。しかし、部分的に利用しているだけの話であって、み言葉の真理全体を信じているわけではないというのです。

実際、み言葉の前後関係を無視したり、歴史的背景を調べなかったりして一部分だけ引いてくれば、どんなことだって言えてしまうでしょう。しかし、それはみ言葉を知っているということにならないのです。この手の過ちはいつの時代にだって現れることでしょう。ですから私たちはそういう詭弁に騙されることのないように、丁寧にみ言葉を学び続け、真理の全体を受け入れる者でありたいと教えられます。

ここでペテロが信じているのはみ言葉そのものが持っている力なのです。天地を創り出すほどに力ある神の言葉です。同時にノアの洪水の時のように古い世界を一気に押し流して終わらせてしまうほどのみ言葉の力です。何が言いたいのかわかると思います。要は再臨を信じていないとはみ言葉の力そのものを信じていない、とんでもない不敬虔なことなのだと言いたいのでしょう。

しかし、世の終わりの時に用いられるのは洪水のような水ではなく火だと言うのです。天から火が降ると言うと何やら恐ろし気な印象を持つかもしれません。しかし火とは、すべてのものを純化し、悪い要素を一掃してしまうものだと聞くと、なるほど、ただ神の正義だけが貫かれるところが世の終わりに訪れる新しい世界だと希望をもって受け入れることができるのではないでしょうか。

ところが興味深いことに地だけではなく天も消滅するとあるのです。どういう意味でしょうか。天とはこの時代、幾層にもなっていると信じられていました。諸天という言葉もあるほどです。そして天とは悪しき霊の跋扈する場所でもあるわけです。目には見えませんが悪しき霊が地上を混乱させるのです。人はそれに打ち勝てませんが、世の終わりに主が訪れる時には、悪しき霊が存在する天ごと消え去ってしまう約束がここにはあるわけです。

従って、私たちは不正義が幅を利かせていることに必要以上にがっかりする必要はありません。悪霊の力に怯える必要もありません。そんなものは一時的なことに過ぎないからです。むしろ一切のことに打ち勝って下さった勝利の主にまなざしを向けたいと思うのです。主が来られるその時まではみ言葉の真理の全体を握りしめて、み言葉に固く立って歩む者とさせていただこうではありませんか。

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